桜咲く

ホグワーツの復旧作業はできるだけ自分達の手で、というのがあの大戦を潜り抜けた者たちの総意だった。
ある人は愛する家族を失い、ある人はかけがえのない友を失った。

その思いを辿りながら、一つ一つ瓦礫を掘り起こし、整え、元の姿へと戻していく作業は、苦しく、悲惨ではあったが、それと同時に自らのバラバラに引き裂かれそうな心を繋ぎ止めるためのものだった。

「ウィンガーディアム・レビオーサ!――レパロ。」

「名前。」

「セブ、そっち終わった?」

「粗方片付いた。」


戦いに参加しなかった者や卒業生たちも続々とホグワーツに戻り、作業を進めてはいたが、この壊滅的な被害を建て直すにはより多くの人手を必要とする。

故に、微力ながら復旧作業に二人も参加していた。


「無理をするなよ。また倒れられては敵わん。」

「もうそんなヘマしないわ。力加減わかってきたもの。」

失われた杖の代わり使っているのは、ごくごく普通の杖である。規格外の魔力を操ってきた名前だったが、その力は消え、ごくごく普通の魔女となった今、以前と同じペースで魔法を使うと、ふつっと電池が切れたように意識がブラックアウトしてしまうのである。

「どうだか。君が意識を飛ばす度に気を揉むこちらの身にもなれ。」

「そんなしょっちゅうじゃないわよ。たまーに、何度かよ。」

「19回だ。」

「え、数えてたの?気持ち悪。」

「気持ち悪いとはなんだ。何度も何度も同じことを繰り返す学習能力のない君のせいだろう。」

「学習はしてるじゃない。最近倒れてないもの!」

「では記念すべき20回目が起きないことを祈っておこう。」

彼は小バカにしたように鼻で笑い、踵を返す。
この皮肉屋は死にかけても直らないらしい。しかし返す言葉もなく、悔し紛れにその後ろ姿に向かって、セブのバカ!と叫ぶしかなかった。



「まあまあ、スネイプ夫人。痴話喧嘩が廊下中響き渡ってるぜ。」

後ろから、笑いを堪えるような声がした。
振り返ればそこには、燃えるような赤毛の青年の姿がある。

「フレッド。そのスネイプ夫人ってのやめてってば。私まであのひねくれ者と同じみたいじゃない。
――ってあれ、ジョージは?」

「店番だよ。生産ラインがようやく稼働しはじめたから、商売も本格的に再開なんだ。新作も出るしな。」

「そう。皆、新しい生活を始めているのね。」

「もうすぐ1年だからな。
君たちもそろそろホグワーツを出るんだろ?」

「ええ。元校長がいつまでもいちゃ、色々ややこしいしから。」

あの戦いの後、彼は校長職を正式に辞任した。

ダンブルドアの計画の下、ダブルスパイをしていたという事実は一応のところ明るみになり、裁判の後、法的な罪は課せられないこととなったが、已然として彼に対する世間の疑惑の目が消えたわけではない。
復旧作業に携わるというのは二人で話し合って決めたことだが、彼にとってはあまり居心地のいいものではなかっただろう。


「ホグワーツ新名物、見るもの全てをげんなりさせるスネイプ夫妻の痴話喧嘩も、見納めとなるとなかなか寂しいもんだな。」

「名物って……。そんなにしょっちゅう喧嘩してないわよ。」

「よくいうよ。お役御免した途端、公然とイチャついて。
初めこそみんな目玉ひん剥いてたけど、今じゃもうまたかとしか思わないぜ。」

「いや、だって、その……、」

名前はもごもごと口ごもる。

「でも、そんなところ構わずキスしたりとかしてないし……。」

「別にそんな言い訳しなくてもいいさ。
好きにすればいい。もう、古い時代は終わったんだ。」

フレッドはそう言って肩を竦め、作業に向かった。

そうだ、もう。古い時代は終わった。名前はその言葉を噛み締めた。


陰険で嫌みで、血も涙もない冷徹教師。
そんな対外的な彼の印象も、今のホグワーツではやや和らぎつつあるようだった。
勿論、素直でないひねくれものには代わりないが、鉄壁の仮面を過去の遺物として打ち棄てた彼は、意外にも素直に感情を表す。

長年サボりきった彼の表情筋の動きは乏しく、見慣れた者にしかわからない程度の些細な違いだが、皆、その雰囲気の変化には気付いているだろう。
なんの事はない。ただ彼が気を張る必要がなくなっただけなのだ。



廊下を走り回る生徒たちを怒鳴り付けようとして、自分はもう教師ではないのだと思い直した彼は、生徒たちへ咎めるような視線を送りながらも、何も言わず見送った。
その口許には僅かな笑みが浮かんでいる。呆れたような顔で口の端をちょっとだけ上げる、彼がよくする表情だ。

冷徹な仮面の下に隠されてはきたが、やはり彼らもセブルス・スネイプの愛の対象だったのだと思うとちょっと妬けてきて、生徒たちに囲まれる彼に声をかけるのである。


「セブルス。」

主人公の名前の姿を捉えたその漆黒の瞳は、柔らかく細められた。

「名前。」

「セブルス、なんのお話をしてらしたの?」

Professor Snapeとはもうけして呼ばない。
彼は私のものだ。と、悠然と微笑み主張した。
その意図に彼は気づいたのだろうか。また意地の悪い笑みを浮かべる。

今まで彼を囲んでいた女の子たちは、気まずげに笑ってそそくさと散り散りになっていく。

こういうことをやっているから名物だのなんだのと言われてしまうのだ。
それはわかっている。しかし必要以上には嫌みを言わなくなった彼は、恐らく結構モテる。以前より格段に。惚れた弱味というか欲目というか、自分の目とか基準が多少ズレているのはわかっているが、多分これは間違いないと思う。

所謂ギャップというやつだ。普段あんな厳めしい顔しかしない人が、ちょっとでも普通の表情をすれば、そりゃときめいてしまうのも訳ない。ちょっと根暗で陰険なだけで、元々顔立ちもスタイルも悪くないのだ。


「名前、午後は魔法省へ行ってくる。」

「魔法省?」

名前は眉を顰める。

「そんな顔をするな。ただ残った手続きを済ませるだけだ。」

「気を付けてね……。」

「ロンドンで、何か必要なものはあるか?」

「んー、そうね。大抵のものはあっちで買った方が安いし品質いいのよ。キャスター付きのトランクとかはもう買ったし……。
特にないかしら?」

「そうか。」

復旧作業も殆んど終わり、ホグワーツから出ることに決めた二人は、英国からも出ることにした。ほとぼりが冷めるまでは、異国の方が静かに過ごせるだろうとの判断からだ。

何せ彼は日刊予言者新聞の一面を連日賑わせる有名人である。
ホグワーツにいる間は、復旧作業の現場責任者であるミネルバ・マクゴナガルが取材陣をシャットアウトしてくれているが、一歩外に出れば、どこからともなくわらわらと現れる記者たちに囲まれてしまうのである。

そしてまた、デスイーターの残党が裏切り者である彼を狙うこともままあった。幹部たちは粗方戦死か、投獄されているため、残ったのは召集に応じなかった忠誠心の薄い者か、デスイーターとも呼べないようなチンピラばかりだったが、煩わしいことには変わりない。

「ほんとに、気を付けてね。」

「大丈夫だ。」

彼の手が名前の頬に触れた。
柔らかく視線が交わり、その心地よさに満たされる。


「やあ名前、セブルス。」

そのとき、廊下の端から柔らかい声がした。
はっとしてそちらに目を向けると、赤子を抱いた友人夫妻の姿がある。

「テッド!んんん、久しぶり!」

微笑む友人をスルーして、名前は緑色の髪をした赤ん坊の方へ一直線に向かった。

きゃっきゃと笑う赤ん坊に頬を寄せ、すべすべつるつるもちもちの肌を堪能する。
子供が大きくなるのは本当に早い。この前までは腕にすっぽり納まるような大きさだったのに、今は両腕でしっかり抱えてもずっしりと重みを感じる。


「テディはママ似かしらね?」

今日のテディはママであるニンファドーラとお揃いの緑の髪をしている。

「ほらね?やっぱりテッドは私に似てるわ。」

ニンファドーラは夫たるリーマスに得意顔を向けた。

「ドーラ、君の髪が今日は緑なのはテッドに合わせたからだって、私は知ってるよ。」

「悔しかったらあなたも色を変えればいいのよ。」

「それができたら苦労しないさ。」

どこか拗ねたような顔で、リーマスは妻の髪をすいた。

名前の友人は、いつでも柔和な笑みを浮かべる人だ。
この人もそんな顔をするのか、と微笑ましい気分になる。
と、同時に勝手にやってろ!という気持ちが沸々と湧いてきた。


「夫婦喧嘩は犬も食わない、ってね。」

「あら、名前。人のことは言えないでしょう。色々噂は聞いてるわよ。」

ニンファドーラはニヤニヤと実に楽しそうに笑った。

「まあ、私たちはわりと見慣れていたけれど、初めて見る人は物凄いインパクトでしょうね。」

「んー、でも私は生徒たちと現場にいるし、セブはミネルバと色々指揮をしてるわけだから、皆が言うほど一緒にいないわよ。」

「それはそうかもしれないけれど、名前倒れたときの取り乱しっぷりとか、セブルスのギャップが凄すぎるのよ。鬼の目にも涙!ってね。」

「セブ、毎度そんなに取り乱してるの?」

名前はセブルスの方を向く。彼は曖昧に片眉を上げた。

「そんな覚えはないな。」

「いいわよねー。ずっと新婚さんみたくお熱くて。
うちはそれどころじゃないもの。」

そう言ってドーラは溜め息をついたが、彼女の視線は愛しげにテディに注がれる。ふと隣に寄り添うリーマスを見れば、彼も同じ目をしていた。


「あなたたちはどうなの?子供、作らないの?」

「どうかしら。欲しくないわけではないんだけれどね。
――ほらセブ、テディよ。」

名前は腕に抱いたテディを夫に差し向ける。


「知ってる。」

「知ってるのはわかってるわよ!じゃなくて、ほら、だっこ!」

「いや、いい。」

「もう!首の座っていない子ならともかく、こんなに大きくなったんだから大丈夫よ!」

赤ん坊といっても、もうすぐ1才を向かえるテディは10sを越えており、弱々しく感じられた乳幼児の頃とは違う。
半ば無理矢理腕に押し付けると、彼は恐々と抱き抱えた。
まるで爆弾でも持たされたかのような顔だ。


「この調子じゃあね………。」

「自分の子供なら違うかもよ。」

「そうねぇ。けど、テディみたいにこんな人見知りしない愛想のいい子そうそういないのに。」

名前は肩を竦めた。

「わっ!泣くぞ、こいつ、泣く!」

彼の弱りきった悲壮な声が聞こえる。
テディはどんぐりのようなまんまる眼をうるうると潤ませ、口はへの字に曲げている。

「ああ、セブルス。君がそんな険しい顔してるからだよ。緊張が伝わってるんだ。しっかり胸に乗せてあげて。
ほら、安定するだろう?そうそう、お尻を支えてて。」

見かねたリーマスがレクチャーしてくれる。
自分の子が練習台にされているというのに、何とも懐の広い人である。

「腕がつりそうだ。」

なんとかそれらしく抱え直した彼は至極渋い顔をした。

「慣れるよ、そのうち。ドーラだってあの細腕で毎日抱いてるんだから。――まあ、最近は随分逞しくなってきたけど。」

「リーマス!」

ニンファドーラは口を尖らせ、リーマスを睨み付ける。

「悪いとは言ってないじゃないか。」

「いえ、今のはぜぇったい不満が滲み出てたわ!」

「いやほら、二の腕とか!ぷにぷにして触り心地いいよ!」

「もうリーマス!あなた全然女心ってものがわからないのね!」


リーマスのフォローは全くフォローになっていなかった。
この会話の流れには何だか既視感を覚えざるを得ない。
男というのはつくづく、女心のわからぬ生き物なのである。


しかし、こうして仲良く夫婦喧嘩をする二人は、実に幸せそうだ。
自分たちもこんな風に見えているのだろうか。
ちらりと見上げると、赤ん坊を抱いた夫と目が合った。

落ち着いたらしいテディは再びきゃっきゃと楽しそうに笑い、何やらうにゃうにゃと言葉のようなものを発する。

「名前。」

穏やかな表情をした彼の顔が近づく。
名前も背伸びをして、そっと唇を重ねた。


「「あ。」」

いつの間にか矛を納めたらしいルーピン夫妻はニヤニヤとこちらを見ていた。


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