国王陛下から御呼びがかかった弥生は前を歩く二人の騎士の背中を半ば睨むように見つめて歩いていた。
騎士達に非がないのは分かっていても、そうしたくなってしまう。今すぐその襟元を引っ掴んで揺さぶりたい衝動を胸の内に収めているだけでも褒めて欲しいものだと、苛立ちにも似た感情を持て余していた。
それに気付いたのか、はたまた見兼ねたのか横を行くラシェルが口を開く。
「そんなに嫌なら断っても良かったんだよ」
ピクリと、一瞬だが前の騎士二人の肩が反応する。
それを横目に弥生は首を振った。
「一国の王様の誘いを断るなんて出来ませんよ。理由はどうであれ、私は養ってもらっている身ですしね」
「確かにね。でも人を睨むのは感心しないな。彼らの背中に穴でも開ける気かい?」
「……それどんな攻撃ですか」
全く気休めにもならない冗談を流して溜め息を吐き出した。
国王との謁見だなんて寝耳に水の出来事過ぎて、向かう段階で緊張やら苛立ちやらで既に辟易してしまっていた。あまり身分というものがハッキリしない世界に生きてきた弥生が国の頂点に立つ者といきなり会うだなんて想像もつかないのだ。
国王陛下に会うというのに平然としていられるラシェルの方がおかしいはずなのだが、昨日‘国王に報告する’と言っていたのを思い出して、この人は国王に謁見することが出来るくらいには高い立場なのだろうと隣りにいる人物を見上げる。
それから、行く先が謁見の間でないことに騎士達の向かう方向で何となく弥生は気付いていた。恐らく公式での謁見ではないのだろう。こういう君主制の国では国王との謁見というものは格式にこだわる節がある。格式云々の前に礼儀作法もまだロクに分かっていない今の状況では、それだけが救いであった。公の場でないなら多少の無礼は見逃してもらおう。
「そもそも、王様にこんな小娘一人と会う時間ってあるんですか?」
「国王陛下はとても御忙しい御方でいらっしゃいますが、この度は他の公務を削って時間を御作りになられたのです」
「そうですか、それは失礼いたしましたー」
漏らした疑問に間髪入れずに前を行く騎士の一人が突っ掛かってきた。とても、の部分を強調された挙げ句、刺々しい声音だったので思わず弥生も棒読みで感情のこもらない謝罪を述べてしまう。子供っぽいことをしているという自覚はあった。
反省皆無な返答をされた騎士が眉を顰めて振り返ると全員の歩みが止まった。
もう一人の騎士はまるで聞き分けのない子供を見ているような目でやや困ったような表情を浮べている。ラシェルは我関せずといった体で静観していた。
振り返った騎士の視線を弥生は斜に見返した。
「……なに?」
投げやりな声音で問うた弥生の態度で騎士の眉間に皺が寄った。
「あまり不敬と取れる発言をしないで頂きたい。本来であれば貴女は陛下と言葉を交わす事すら叶わぬ身。我が主を愚弄するとは切り捨てられる覚悟が御在りか?」
出た、と弥生は顔を歪めた。これだから嫌なんだと心の中で悪態を吐(つ)く。
ファンタジーの世界に憧れる人々には申し訳ないが弥生はこういった身分制度や格差社会が大嫌いだった。創作物や歴史として本を読む分には特に感じないものの、それを押し付けられて従わされるのは我慢ならない。
自分が一国の主よりも上だなんて大層な考えは持っていないけれど、日本に生まれた弥生にとって敬意を表すとしたら国の象徴である自国の陛下であって、この国の王ではない。
異世界に来てしまった今となっては自ら会って敬うべきだと感じた人間にしか敬意は払わないつもりだった。尊敬とは誰かに言われてするものではないと中学生の頃に教師が言っていたが、本当にそうだと弥生は思う。
「それ、脅し?この国の人々にとっては敬うべき王様だろうけど、私には私の国の王様がいる。何より会ったこともない人を尊敬しろなんて言われて、貴方はその相手が自分よりも身分が上という理由だけで尊敬できるの?直に会ってみない限り私は無理」
「それは極論というものでしょう?」
「そうかもね。でも敬わないなら殺してしまえなんて考えよりは私の方がマシだと思うけど?」
人の命を何だと思ってるんだ。私だって好きでここにいる訳じゃないのに、王様に敬意を払わないなら死ねっていうの?
考えれば考えるほど弥生の中の激情は強まった。それと同時に泣きたくなった。帰りたい。元の世界に戻りたい。
更に言葉を続けようとした弥生の肩を誰かが掴む。咄嗟(とっさ)に払うように振り向けば、無表情のラシェルがいつの間にか傍らにいた。
もうそれが標準なのだと分かっていても美形の無表情は妙な威圧感があって、吐き出しそうになった言葉を無意識に飲み込んでしまう。
ポンポンと頭を叩くように撫でられて驚いた。
「そこまでにしなよ。君、自分が今どんな顔してるか分かる?」
「……いいえ。私の顔、どんなですか」
「泣きそうな顔」
言われて唇を噛み締めた。泣きたくなかった。これは悔しさとか悲しさからくるもので、脅されたから泣きそうになってるんじゃないんだと自分に言い聞かせて目元を拭う。少し濡れた手の甲をこっそり服になすり付ける。
ふっと息を吐いてから深く吸い込み、肺の中身を新しい空気で満たすと少しだけ気持ちが落ち着く。
熱くなって言い合いをしていた自分が馬鹿馬鹿しく思えて笑いが漏れる。苦い笑みだった。
「……ありがとうございます」
「どう致しまして」
弥生は騎士達に振り返った。
言い合いをしていた騎士も、もう一人の騎士も、面食らったような表情だ。
「王様に対しての言葉は私が悪かった。ちょっと苛立ってて八つ当たりです、ごめんなさい。――…はい、これで言い合いはおしまい!王様も待ってるんだし、歩こう」
「…私も言い過ぎました。無用な脅し、申し訳ありません」
言い合いをしていた騎士から告げられた意外にも素直な謝罪の言葉に弥生は僅かに瞠目し、気にしていないと少しだけ口元を緩めて笑った。
そして「彼女の言う通り、これ以上陛下を御待たせする前に行こう」とラシェルが促したことで全員が歩き出す。背に沿えられた手は弥生をその持ち主の隣りに並ばせる。無言の優しさが無性に嬉しかった。
誰も言葉を発しないまま辿り着いたのは城の奥の庭園で、庭師が手間暇をかけて手入れをしているのがよく分かる美しい場所だった。可愛らしいドーム型の小さな東屋まで行くと、中に男性がいた。
四十代半ばくらいでどこか見覚えのある人物は、弥生達を見ると一度目を瞬かせ、それから少しだけ眉を下げる。
「随分と暗い顔をしているが、どうかしたのか?」
男性の言葉に騎士の片方が「いえ、何も御座いません」と硬い声音で言った。
あぁ、この人が王様なんだ。まじまじと見れば男性も弥生を見ていた。
騎士は一度礼をして東屋から離れてしまう。声が届かない辺りまで下がって行っただけで、彼らは弥生達の見える範囲に留まった。
「突然呼び付けてすまない。立ち話もなんだ、座ると良い」
「失礼します」
国王の言葉にラシェルが頷き、一言断ってからその真正面に弥生を座らせ、自分はその隣りに座った。
王というだけあって威厳があったが、やはり弥生はすぐにすぐ目の前の人物を敬う気にはなれなかった。
しかし当の国王はティーポットに手を伸ばし、慣れた様子で紅茶をカップに注がれたのには流石に驚いた。王自ら紅茶を淹れるという予想外の行動にぽかんとしている弥生に悪戯が成功した子供みたいに眼前の人は柔らかく笑う。注がれた紅茶を一口飲むと美味しくて、また驚かされた。
「ここ数日王城で生活して、何か不便はなかったか?」
美味しい紅茶にほっとしていた弥生は気遣う色の濃い声に頷く。
それから、ちょっと考えて敬語を使うことにした。
「はい、今のところはありません」
「そうか。だが此方の不手際のせいで望まぬ生活を強いる結果になってしまい、其方(そなた)には本当に悪い事をしたと思っている。すまなかった」
テーブル越しに頭を下げられて弥生は困ってしまった。非公式とは言えど国王が頭を下げるとは思ってもみない出来事で、しかし簡単に許せるような事柄ではないので良いですよとも言えない。
背中に何となくチクチクと感じる視線もあって、どうすべきかと考えあぐねていれば「陛下、彼女が困っております」とラシェルが助け船を出した。頭を上げた国王は眉を下げている弥生を見て肩の力を抜き、騎士達からの視線も同時に四散する。
「許せるようなことじゃないので、気にしてないとは言えません。でも放り出さずにお城に置いてもらって、後見人にもなってもらって、こうして謝罪してくださった王様の誠意はきちんと感じました。お礼は言いませんが、出来うる限りのことをしていただいている以上は責めるつもりもありません」
「……其方は、優しいな」
「優しくなんかないですよ?元の世界に戻れるまで、もし本当に戻れないのなら一生養ってもらうつもりです。放り出されたら私は絶対生きていけませんから」
弥生の明け透けな返しに国王は笑い、それで良いのだと頷く。
「謝罪も呼び付けてしまった理由の一つではあるが、もう一つ重要な話をしても良いか?」
「構いません。それに、重要な話ってこの目についてですよね?」
ラシェルが精眼の件を報告した翌日に呼び出されたのだから理由はそれしか思い浮かばない。先に話題を振れば、やや驚いた様子で国王は肯定した。
呼び出したのは精眼のことで、ラシェルは弥生の身元引受人なので共に呼ばれたらしい。
先に国の政治面において弥生の精眼を利用することは決してしないと国王自身の名に誓ってくれたので、そういった話ではないことに安心した。
明らかに安堵の表情を見せた弥生に国王がラシェルにその旨を昨夜伝えたはずだと言われ、名前を出された方も肯定して頷く。
そういうことは早く言ってよ。
思わず隣りに座る人物の脇腹に容赦ない肘打ちをかましてしまった。そんなことをされるとは思いもしなかったのか、一瞬ラシェルが息を詰める音がした。
「…今のは痛いな」
「すみません、つい…。って、そうじゃなくて、そういうことは朝会った時点で教えてくださいよ!」
「ごめん、君に精霊の話を説明する事ばかり考えていたんだ」
「それは私としても助かりますが、お願いなので次は気を付けてください。‘この国のためにその目を使え!’なんて言われたら逃亡しようって、昨夜はかなり悩んだんですよ?」
「うん、本当にごめん。でも逃亡は良くないな」
テンポよく交わされる二人の会話を国王は瞠目して眺めていた。
失言に気付いた弥生が誤魔化すように話しかけたので、その表情はすぐに消える。
「ともかく、この国にとって私は必要ないってことですよね!」
「あ、あぁ。そういう事になるが…」
それなら、と弥生は考える。
この国にいるだけでは何も始まらない。教えてもらうのも大事だけれど、やはり何事も自分で見聞きして知っていきたい。百聞は一見にしかず。弥生のモットーとも言うべき諺だ。
昂ぶりそうになる気持ちを落ち着けるために紅茶を一口飲む。既に冷めて渋みが強くなっていたけれど、不味くない味だった。
「私、旅をしたいんです」
顔を上げてハッキリ言った弥生に、国王は王城(ここ)にいることに何か不満があるのかと心配したが、首を振ってそれを否定する。不満はない。衣食住を確保してもらって一応不自由のない生活を数日だがさせてもらっていた。
だがラシェルからこの世界の様々な話を聞く中で‘自分で見なければ’と強く感じたのだ。
魔法について聞いた時にラシェルはちょっとだけ躊躇うように間を開けてから、弥生には恐らく魔法は使えないだろうと言った。弥生もそうでないかと思っていたので、その時はそれ以上深く聞かなかった。元々魔法のない世界にいた人間が、別世界ではあっさり魔法が使えるとは微塵も考えていない。
けれども、使えないから学ぶ必要がないとも思えない。元の世界に帰る方法を探すために、使えずとも知識として様々な魔法の勉強もしたかった。