わたしの話を分かり易くするとこうなる。
今日とても気になる検体があったから、院生に混じって検分してきた。
その検体は通常であれば凝固しているはずの血が固まっておらず、内臓にも異常が見られたため更に調べてみた。
片付けに託(かこつ)け、検体の首から上も見てきた。
それに伯爵は‘傷があったか’と聞いてきた。
だから、わたしは何もしなかったがわたし以外の‘誰かが付けた傷があった’と答えたのだ。
これならば教授と交わした緘口(かんこう)の約束を破らずに伝えられる。
貴族社会で言葉遊びは嗜みの一つであるから、伯爵にとってもこの程度の会話は難しいものではないだろう。
「そういえば、伯爵はタイナーズ・ロークというホテルをご存知でしょうか?」
「タイナーズ・ローク?お前こそ何故そのホテルを知っている?」
教授から見せてもらった書類に書かれていたホテルの名前を問うと、何故か眉を顰めて聞き返された。
互いに顔を見合わせて数秒。
どうやらそのホテルについて何か知っているらしい。
「そのホテルの経営者が今回、解剖学に貢献しているようですよ。きっと、それはそれは素晴らしい方なのでしょうね。」
「…そうか。」
伯爵は顎に手を当てて考え込んでしまった。
その横顔を眺めてわたしも待つ。
何かが伯爵の中で気にかかっているのだと思う。
暫く広がった沈黙の後に顎から手を離してブルーグレーの瞳が鋭く動く。
「お前が探っている件と、私が追っている件はどうやら繋がりがあるようだな。」
「伯爵が追っていらっしゃる件についてお伺いしても?」
「無論だ。」
頷き、それから伯爵が机の中から分厚い紙の束を取り出すと、それを渡された。
行方不明者と書かれた最初の表紙を捲る。
中は写真と名前、その人物の略歴、場合によっては住所なども載っていた。
パラパラと斜め読みで大雑把に目を通していくわたしに、今回追っている事件の概略(あらまし)を伯爵が話してくれた。
要は地方から来た人や地元の人などの行方不明者が、ここ数年やけに多いから調べろ。と、言うことらしい。
ちなみに警察(ヤード)からの依頼ではあるものの女王陛下からも資料を受け取った後に手紙が来たんだとか。
…そういや女王陛下って伯爵の口から頻繁に出て来るけど、会うどころか容姿すら知らないんだけど。これってバレたら不敬罪とかになるのかなぁ。
伯爵は立場上何度も謁見してるし、わたしがお世話になってからも両手じゃ足りないくらい王城に出掛けている。
使用人であるわたしがお目にかかれるはずもないか。
事件と全く関係のないことをツラツラと考えていたら、伯爵が不意に口を噤(つぐ)んだ。
暫しわたしの顔をジッと見つめた後に眉を顰める。
「セナ、私の話を聞いていただろうな?」
「勿論。主人の話を流すだなんて、とんでもございません。」
「…なら良いが。話を続けるぞ?」
「はい。――あ、ちょっと待ってください!」
危ない危ない。伯爵って時々妙に勘が良くてヒヤッとする。
そう内心で胸を撫で下ろしたが、渡された資料の中に見覚えのある顔があって思わず声を上げてしまった。
「言葉を交わすことは叶い状態でしたが、この方と今日お会いしましたよ!」
「やはりそうか…。」
そのページを伯爵に見せると難しい顔をされる。
そこに貼られた写真に写る人物は細身の老人だった。
今日見た時はもっと痩せていたが、少し肉付きが良くなると写真そっくりになる。
老人は、元は地方から出稼ぎに来ていたらしい。
多分仕事がなくなったか、辞めさせられたかして浮浪者になったのだろう。
届出自体、三年も前の日付だった。
そこで今まで若干流し気味だった事件の話を、記憶から手繰り寄せる。
伯爵は行方不明者達の目撃情報からあれこれして行動範囲を割り出し、その周辺区域の店に聞き込み調査を行った。
――…まで聞いてたよね、確か。
改めて背筋を正したわたしを伯爵は一呼吸分眺め、話を再開する。
「話を戻そう。行方不明者について聞いている内に近隣住民から気味な噂を耳にした。人を喰らうホテルがある、と。…言わなくとも、もう此の先は分かるだろう?」
「えぇ。その人を喰うホテルがタイナーズ・ローク、という訳ですね。」
「そういう事だ。お前も今回は別件を抱えているから、出来る限り此方は此方で済ませようと思っていたんだがな。」
全く世の中とは上手く行かないものだ。そう苦い顔で続けてぼやき、伯爵が溜め息を零す。
その気持ちだけで十分です。
「お気遣いありがとうございました。」
ニコリと笑って感謝の意を告げれば、ブルーグレーの瞳がスッと逸らされる。
無愛想なフリして隠しても肌が白いから、照れるとその分目元が微かに赤くなって分かりやすいんだよね。
伯爵本人は気付いてないみたいようだけど。
「ともかく行方不明者と人喰いホテル、そして解剖学。これらをそれぞれ考慮して纏めた場合どちらにも利害が発生し、尚且つ犯罪の重要な証拠となる遺体も人目を憚る必要無く処分出来る。」
「ホテルには検体の報奨金、解剖学には実習用の検体ですね。」
「あぁ、解剖時は首から上は隠されているからな。胴体部分に傷を残さない殺し方であれば気付かれないとでも思ったのだろう。」
「まだ卵とは言え医者を志す院生の目を誤魔化し続けることは、結局出来なかったようですが。」
今回のように何かしら違和感や異変のある検体がいくつか以前にも持ち込まれ、カルクさんはそういった検体の解剖に割り当てられて不審に思った。
そしてキースを通して伯爵とわたしの下へその話が来た訳か。
教授の言葉ではないが、やはり悪いことは出来ないものだ。
――――…ん?教授?
資料を返しながら首を傾げたせいか、伯爵に「どうした?」と問われる。
「いえ…解剖学と人喰いホテルの両方が繋がっていたとしたら、教授はこの事を知っていらっしゃるのでしょうか?」
今日話を聞いた際に、それらしい雰囲気は感じられなかった。
教授が知らなかったのなら学院側が繋がっている可能性も出て来る。
それとも今日の話は全て嘘で、教授のあの苦悩に沈む表情は演技だったのだろうか?
「…さあな。それも調べれば何(いず)れ分かる事だ。」
「それもそうですね。」
でも、出来れば教授と事件が無関係であることを信じたいな。
わたしが思っているそれを感じているのか、伯爵も微かに眉を寄せたまま手元の資料に視線を落とした。