最後まで胡乱な視線をカルクさんから向けられつつ、わたしはリディングストン家を後にした。
その際にいくつか注意をお願いしておくことを忘れない。
一つ、もしも学院内でわたしと会っても見知らぬ振りをする。
二つ、今回のことは学部に限らず他言無用。
三つ、わたしへ連絡をする場合はキース経由で行う。
どことなく不満そうな様子ではあったがカルクさんは頷いてくれた。
これは今回の調査に関係するだけでなく、彼自身のためでもある。彼がわたしと無関係だと思われていれば、今回の調査が露見したとしても彼に嫌疑の目は向かないからだ。
そういう汚れ系などの裏方はわたし達の方が慣れているので、彼をそこに巻き込みたくはない。
この調査が終わるまではキースの案によりカルクさんはリディングストン家に身を寄せることになったようだ。その方が安心なのでお願いします。
ガタガタ揺れる馬車の中で今日聞いた話を昨夜の話と纏め、それから伯爵の助力を得る画策をしつつ、それに伴って必要となりそうな物をメモしていく。
揺れのせいでやや字がよれてしまっているが読めれば問題ないだろう。
興味津々の体でこちらを見つめていたキースに馬車から降りる際にメモを手渡した。
「それを至急取り寄せて欲しいのですが、お願いできますか?」
「これくらい楽勝だよ。任せておけって!」
書かれている物と先程交わした意味深な言葉で何をするのか一発で分かったようだ。
至極楽しげな笑顔のキースを乗せた馬車が見えなくなるまで、見送り、それから屋敷の扉を開けて中へ入る。
通りかかる使用人からの「お帰りなさい」という言葉に「ただいま戻りました」と返して伯爵の部屋へ向かう。懐中時計を確認すると昼食に丁度よい時間だった。
予想通り目的地の扉の前に立つと中からイルの声が聞こえて来た。そんな大声を出していると…、なんて思った途端に伯爵の厳しそうな声が廊下まで響いた。あぁ、雷が落ちてしまった。
ノックをすると不機嫌丸出しの声で「…入れ。」と許可が聞こえたので刺激しないようそっと部屋に入る。
「ただいま戻りました。」
「あぁ、ご苦労。」
わたしを見たイルが「セナ!」と駆け寄って来ようとしたけれど、伯爵に低く名前を呼ばれるとビクリと硬直してしまった。
助けてあげたいのは山々だだ今回は大声で話していたイルが悪いので、わたしにはどうしようもない。
紳士としてだの、使用人としてだの挙げ出したら切りがなさそうな注意をつらつらと告げる伯爵に、イルは泣くのを我慢して素直に怒られている。
最初は泣いていたみたいだが伯爵に「泣いてもお前のしたことは変わらんぞ」と手厳しい一言を受けてからは、我慢するようになったみたいだ。
厳しいけれど、伯爵のその厳しさも何だかんだ言ってイルのためを思ってのものでもあるから、わたしもあまり止めようとはしない。
…でも、あれ?わたしが十二歳の頃はあんなだったかな。イルを見ていてふと引っかかった。確かにやんちゃしてたけど、もっと落ち着きというか。あそこまで子供っぽかったかな?
そんなことを考えている間にお説教を終えたイルが唇を噛み締めて抱き付いてくる。
…うん、まぁ、これくらいは許してあげてくださいよ。美形の人が怒って、それも伯爵みたいに理詰めな説教は結構怖いんですから。ジロリと睨まれ苦笑で返す。
「ご昼食になさいませんか?」
「あぁ……頼む。」
「畏まりました。」
抱き付いたままのイルを連れて廊下へ出る。顔を覗き込めば泣き出す一歩手前といったところだった。
懐から取り出した袋をその手に乗せてやれば、泣き顔から一転きょとんと見上げてくる。
「キースからイルへあげてくれと頼まれました。今度キースに会ったらお礼を言いましょうね。」
「…うんっ。」
「それとわたしは伯爵とお話がありますので、申し訳ありませんがイルは他の方々と一緒に昼食を食べてください。」
「わかった!」
繋いだ手の温かさに自然と笑みが浮かぶ。
あと数年もすれば成人して、やがて警察(ヤード)になるために屋敷を出て行ってしまうのだろう。
その成長が嬉しい反面寂しいと思ってしまう。親鳥は雛の巣立ちを毎年どんな気持ちで迎えているんだろうな。
じんわりと片手に広がる温かさを握り返して食堂へ向かう。
使用人にイルをお願いして、食べやすいよう整えられた昼食をキッチンカートに乗せて伯爵の下に戻る。
扉をノックすると許可の声が聞こえてくるので先に扉を開けてカートを中へ引き入れ、扉を閉めた。テーブルに昼食を並べていけばゆっくりと椅子から立ち上がって伯爵はソファーに移動する。
わたしも向かいに座って、伯爵が食べ始めてから食事に手をつける。
「―――それで、どうだった?」
食事に視線を落としたまま聞いてくる伯爵に、わたしも視線は食事に向けたまま今日聞いた話を全て伝えた。
どうにか学院に入るための身分の偽造をさせて欲しい旨も言うと呆れた様子でやっと顔を上げる。
ブルーグレーの瞳が探るようにわたしを見つめてきた。
負けじと見つめ返していれば先に根負けした伯爵が視線を逸らす。
「分かった。解剖学部に入れるよう適当なものを用意しておこう。」
「ご理解が早くて助かります。あ、それと…」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
イルの子守で疲れ切っているのか気怠げに問われて、わたしは手に持っていたナイフとフォークを置いて向き直る。
それに伯爵は気付いてナイフとフォークを下ろした。
「勝手に本人の了承なしに人を貸し出さないでくださいよ。」
わたしが文句を言えば片眉を器用に上げて伯爵が口を開く。
「エンバーはお前の友人だろう?協力することは目に見えていたから、前以て事前に許可を出しただけに過ぎん。」
「それはそうですけど…。せめて確認くらいはしてください。」
「お前が断った場合は諦めろと言ってあったぞ。」
「分かりました。でも次からは止めてくださいね。」
「…あぁ。」
頷いて食事を再開した伯爵を暫しジッと見てから、わたしも中断していた食事に取り掛かる。
ちょっと空気が重い。別に空気を悪くしたくて言ったんじゃないんだけどな。
食事を食べ終え、片付けるまで伯爵は結局一言も話さなかった。