色々聞きたいことはあったけれど、それは帰ってから伯爵に直接問えばいい。
疑問を全部飲み込んで、ついでに紅茶を胃に流し入れつつ溜め息も押し込んだ。
「ではお手数ですが最初から話していただけるでしょうか?」
「はい。実は疑問を感じたのは半年ほど前のことで――…」
カルクさんは思い出すように時折言葉を詰まらせながらも話してくれた。
彼が解剖学に足を踏み入れられるようになったのは一年くらい前で、どの教授の下で学ぶか悩んでいた際に彼の先輩から今の解剖学部の話を教えてもらったそうだ。
老若男女様々な人の解剖が出来て、しかも他の学部よりもその頻度が高い。
解剖の回数が多いということは学ぶ機会がそれだけ増えるということもあって、カルクさんは先輩に誘われるまま今の解剖学部に入った。
誘い通りその解剖学部では本当に大勢の遺体を解剖することができた。
最初は喜んでいたのだが、半年前に妙な遺体が解剖に回されてきて、それから疑問を感じるようになったんだとか。
「どのような遺体だったんですか?」
「どう、と言うか…所々足りないと言えばいいのか…。そういった遺体が何度もあったんです。」
「欠損している遺体は珍しいんですね?」
「えぇ。…知っていらっしゃるかもしれませんが家族や本人の意思で死後に遺体を学院に納められる方々がいます。そのお陰で僕達は医学を学べるのでこういった言い方はあまりしたくありませんが、欠けた遺体は正直解剖学には不向きなんです。個人の特定を防ぐなど何らかの理由があって教授が前もって遺体の一部を切除する場合もあるにはあります。しかし…あれはどう考えてもそれとは無関係な欠損に思えてならないんです。」
その光景を思い出したのか頭を抱えるように項垂れてしまったカルクさんの背を、励ますためかキースが軽く数度叩いた。
そうか、欠けているからと言っても事件性のない場合もやっぱりあるのか。
元の世界の知識はある程度あるけれど、それも一般人にちょっと長い毛が生えたようなものだし。こちらの世界の倫理観なども関係するし。
必死に悩む好青年には申し訳ないがある意味今回の話はそういった分野を勉強するいい機会かもしれない。
落ち着かせるために紅茶をまた淹れ直して勧めれば肩を落としつつも素直にカルクさんはティーカップに口を付けた。
「性別や年齢が近い…といった共通点はありませんでしたか?」
「…いいえ、特には…―――…あ、そういえば僕が入る前は若い女性の解剖がかなり頻繁にあったと先輩が以前話していたような気がします。」
女性ばかり…。それが何らかの事件と関連するなら、いつの世界のいつの時代も女性とは犯罪に巻き込まれやすいものなんだなと少しだけ暗い気持ちになる。
自ら飛び込んだり首を突っ込む自分とは訳が違う。
巻き込まれる、というのは想像以上に恐ろしいことだ。
何の抵抗力もない女性が犯罪に手を染めてしまった者に抗えるのは難しい。一度人を殺してしまえば、もう殺人に躊躇しなくなるように犯罪者も相手に容赦しないのだから。
目の前にいる友人達や伯爵、イルなどにその危険が降りかからないことを願うしかない。仄暗い感情に蓋(ふた)をして質問を投げかける。
「解剖に使われる遺体を集めるのは一体どなたが?」
「それは各学部の教授と助教授です。死刑囚は順番が決められているので、刑の執行後に番が回ってきた学部が受け取ります。その他の遺体は…その…、」
「?」
急に言葉を濁して歯切れが悪くなったカルクさんを不思議に思っていると、それまで黙っていたキースがやっと口を開いた。
その表情は不機嫌と不愉快の丁度中間の顔である。
「一番金払いの良いとこに持ち込まれるんだってさ。嫌だよなぁ、死んだ後に自分の体に値段付けられた挙句に売られるなんて俺なら化けてでるね。」
行儀悪くクッキーを食べながら両手を胸の前に持ち上げて‘お化けのポーズ’で話すキースをカルクさんが名前を呼んで制する。
だが当の本人はどこ吹く風でそのまま肩を竦めると、皿へ手を伸ばした。
「…なるほど、そういうことですか。」
遺体は話を持ちかけた学部の中でも、最も多額の金を払ってくれるところに売られる。
その恩恵を授かっているという自覚があるからこそ、あまり口にしたくなかったのだろう。それを恥と思っているならカルクさんは常識ある人間だ。
でも家族の体を切り刻まれることを考えれば金を請求したくなるのも分からないでもない。
本当に嫌ならどれだけ金を積まれても断るはずだし、この世界にはその誘いを断れないくらい貧困に窮してる人々もいる。
そんな仕組みを生み出してしまった世の中にも少なからず非はあると思う。
このことについてはわたしが考えたところでどうにもならない。この仕組みが医学の進歩に貢献してしまっているなら無関係な人間が感情だけで声高に非難するのはお門違いというものだ。
「遺体の入手方法についてはどうとも言いませんが…そうですね、出来ればどのようなものなのか学院の内情も含めて調べたいので中に入れれば良いのですが。学院はやはり関係者以外の立ち入りは出来ませんか?」
わたしはこの世界の学校に通ったことはない。学校というのも、以前伯爵に連れられて言ったあの学院くらいもので、あの時はどうせ伯爵が権力を振りかざしていたんじゃないかと実は少しだけ邪推している。
あの人は事件解決のためなら権力を振りかざすことを良しとする。大事の前の小事といったところか。悪を追求するためなら多少の悪事は止むを得ないと考えているみたいだ。
その辺の考えはわたしも同意見なので否定はしない。綺麗ごとだけでは事件は解決しないのだ。
「はい、恐らく関係者以外は門前払いかと…。」
「なら関係者になればいいんじゃん?」
「えぇ、関係者になればいいだけの話ですね。」
キースとわたしの含みのある言葉にカルクさんは「は?…えっ?」と理解出来ていない様子でわたしとキースの顔を交互に見る。
悪戯っ子の笑みを浮かべるキースと変わらずニコニコ笑うわたしに何かを感じ取ったのか、やがてカルクさんは諦めたようにまたティーカップの中身を口に含む。
つまり、大事の前の小事の出番というわけだ。