下水に捨てれば確かに海まで一直線に繋がっているので、死体が流れてしまえば証拠も消える。
だが、今回のように下水の掃除夫などに発見される可能性も十分にあった。
それなのに敢えて死体をそこへ捨てたのには少なからず理由があるだろう。
深読みするとキリがない。気分を一度落ち着けてから再度考え直そう。
溜め息交じりに前髪を掻き上げるのと同時に馬車が止まり屋敷へ到着する。考えに没頭している間にかなりの時間が経っていたようだ。
馬車から降りて玄関ホールにいたメイドの一人に上着を渡して洗うように指示をしてから、クロードは浴室へ向かう。外の空気を吸うと自身に付いた臭いが余計気になった。
浴室に入り靴や服を脱ぎ捨て、バスタブへ湯を溜めるために蛇口のコックを捻る。
その間にシャワーを頭から浴びた。少し熱めの湯がタイル張りの床を流れて排水溝へ流れて行く様を暫し眺め、それから体と髪を洗う。湯が溜まったバスタブに体を沈めつつ自身の腕に顔を寄せた。
しっかり臭いが取れていることにホッと胸を撫で下ろした。
バスタブの縁に頭を預ければ天井には美しい絵画が描かれている。もっと具体的に言うならばツェーダの街が頭上に広がっていた。
幼い頃からこの絵画を見て育ったお陰で街中は地図が無くとも大抵の通りは分かるようになってしまった。
体が十分温まってから湯船から上がる。体を拭き、元から置いてあった服に手を伸ばしたが、暫し逡巡する。
クロードは振り返ると棚に置かれていた香油を手に取った。
普段は全く以って使わない代物ではあるけれど、あれだけ酷い臭いの中にいたせいか入浴しても臭いが残っているかもしれないと思ってしまう。香油でも塗れば臭いは隠せるだろう。
安易な思い付きだが爽やかなミントのような香りのする香油を体へ擦り込んだ。
それから服を着込む。さっぱりした気持ちで浴室を出て、瀬那の部屋へ向かった。
途中で執事が声をかけてきてイルフェスが昼寝をしてしまっていることを告げられる。主人を差し置いて、とも呆れたが昨夜はあまり眠れていない様子だったから仕方がない。起きるまで寝かせておくように言い付けて廊下を歩く。
まだ湿った髪が首に触れて少し冷たい。まぁ、この程度で風邪を引くほど柔じゃないから構わんさ。
目的の扉の前で立ち止まり、軽くノックする。
中からの返事を聞いて扉を開けた。
上半身を起こした瀬那が此方を見て緩く目元を和ませながら「お帰りなさいませ、お疲れ様です。」と、どこか茶化している風にも聞こえる声音で言った。
何時も肩で緩く編んだり纏めている黒髪が下ろされ、寝間着用だろう着古されたワイシャツと対照的で一層線が細く見える。
「いかがでしたか?」
気になって仕方が無い様子で問い掛けてきた瀬那にクロードは首を振る。
「遺体を検分して来たが無駄足だった。」
「無駄足ですか?珍しいですね。…どんな様子でしたか?」
「言う訳が無いだろう馬鹿者。今回の事件にお前を関わらせるつもりは無い。」
「ぇえ!?そんな…ちょっとくらい教えてくださっても…、」
「駄目だ、今回は諦めろ。」
見るからに落胆の色を滲ませた瀬那の頭を軽く小突いた。
休めと言っているのに何を考えているのやら、どうあっても事件を聞きたいらしい。今回の事件については大雑把にこんな事件が起きている、という程度にしか伝えていないため逆に気になるのだろうが。
一度教えてしまえばベッドの上で何時まででも思考の海に沈んで休息にならないのは目に見えている。
スンと鼻を鳴らして空気の匂いを嗅いだ瀬那が不満げに「入浴して来ましたね、伯爵。」などと睨んで来る始末だった。
そうだ、無駄に嗅覚が良いんだった。先に入浴を済ませてやはり正解である。
「イルフェスや他の使用人に聞くのも禁止だぞ。」
少し虚空を見ていた瀬那へ釘を刺す。案の定、「聞くのも禁止ですか?!」とショックを受けた顔をされるが、クロードは甘やかさなかった。
「セナ、お前は気にせず休む事に専念しろ。また倒れられたら敵わん。」
「…もう気を付けますよ。今回みたいに仲間外れにされたくありませんし。」
「そうか。まぁ、解決した暁には全て話してやるから我慢してくれ。」
「分かりました。」
困ったように、少し諦めた表情で笑った瀬那が不意に此方をジッと見つめてくる。
黒曜石のような黒い瞳が胡乱げに細められ「髪くらいきちんと乾かして来てくださいよ。」と手が伸ばされた。ベッドサイドに置かれていた椅子に腰掛けていたので、瀬那の手はあっさりクロードの髪に届く。
湿った髪を指先が撫でるように梳いていった。
「タオルは?」
「放っておいてもすぐに乾く。」
「乾きません。こんなに冷たくなって、風邪引きますよ。」
肩にかけていたストールを取ったかと思うと容赦なく頭に被せられる。
強引に引き寄せられてベッドへ片手を付いてしまった。が、瀬那はそのままストールでクロードの髪を拭いていく。
「ストールが濡れるぞ。」と抗議しても「濡れた髪のまま出歩く伯爵のせいですね。」と若干棘のある言葉が返って来た。
暫くして確かめるように手が髪に触れ、手櫛でだが整えられる。
「わたしはともかく、伯爵が風邪を引いたら困るでしょう?体調不良で事件に挑むつもりですか?」
「はい、乾きましたよ。」ストール片手にニコリと笑う。世話焼きなのは知っていたが、意外と心配性らしい。
謝罪を述べて手から湿ったストールを奪い、ベッドへ寝かせる。本人は眠くないと言うが横になるだけでも体は休まるのだ。
毛布に包まった姿を確認してクロードは瀬那の部屋を出た。
自室へ戻り、机に地図を広げて被害者が発見された現場を頭に叩き込む。明日は下水に下りて調べてみよう。犯人に繋がる手掛かりがどこかに残っている可能性を信じたいものだ。