安置所の地下へ続く階段を下りながら強くなっていく不快な臭いにクロードは綺麗な顔を歪めた。
他の死者達からも漂う腐臭は混ざり合い、一言で言えば最悪である。
冷たい石の壁が伸びる通路を進み今回の事件の被害者達が安置された室内に足を踏み入れた。
扉が無い部屋の中央にはより分けられた遺体の破片が五つの布に並べられ、判別出来なかったのであろう大量の残りは隅に敷かれた布の上に置いてある。
「…何度見ても気分の良いものでは無いな。」
溜息を零してから、手袋を付け直しつつ並ぶ布に歩み寄った。
その脇に膝をついて検分する。
死体の破片は全て綺麗な断面で骨ごと切断されていた。
血を抜いてから解体したのだろうか。死体には目立った血の汚れは見られない。
細切れ、という表現が似合いそうな様子にクロードはブルーグレーの瞳を眇めた。
何故犯人は被害者達の遺体をこんなに細かくする必要があったのか?
持ち運ぶにしたって随分と手間がかかる方法だ。
それとも殺害した相手を解体することに悦びを感じる者の犯行なのか…
どちらにせよ死体を細かくすることに何かしらの意味はあるはずだ。
並ぶ破片を一つ一つひっくり返して確認していく。手袋越しの感触を無視し、クロードは淡々と作業を繰り返した。
それは男女関係なく切り刻まれているようだった。
判別不能の布も見る。
そこにあるものは他より殊更細かくされていた。
同じ人間だったとは思えないその破片を見て似たものを探して分ける。
血が染み込んでしまった手袋を新しいものに取り替えたり、パズルを組むように破片を繋ぎ合わせたり。時間を忘れてクロードは死体に意識を集中させた。
――――ゴツゴツ。石壁を叩く鈍い音に振り返れば見慣れた刑事が蝋燭片手に立っている。
「来てたんですかい、伯爵。」
大柄なせいか天井がやや低い安置所内は窮屈そうで、頭上を気にしながら入ってきた。
「遺体を検分しなくては始まらんからな。」
「それもそうですがね。…今日は坊主達を連れてないんですねぇ。」
「セナは体調を崩している。それに、いくら何でもイルフェスにはまだ早い。」
「成るほど。」
刑事が納得した様子で頷く。
そうしてクロードの手元を見て驚いた。
警察達で苦戦しながらより分けた死体の破片が更に分けられ、繋ぎ合わせられていたのだ。驚かない訳がない。
「伯爵には叶いませんね。こっちは徹夜でやってもロクに進まなかったってのに。」
感心した声音で肩を揺らした刑事に苦く笑う。
死体の組み立て作業を誉められても全く喜べない。
「生前の姿が分かればもっと楽なんだが。」
「すみませんね、まだ被害者の身元は割り出し中なんですよ。」
「だろうな。」
刑事のために少し脇に避けつつ、まだ残る破片を摘み上げる。
明るい色合いの肌と皴が少なくあまり年齢を感じさせない目元。濁って光を映さない瞳が対もなく此方を見つめている。
暫しそれを眺めて観察してから右側の隅に寄せた。
刑事も面倒臭げに手袋をはめて嫌な顔をしたまま破片のより分け作業に参加する。
黙々と死体を分けていた二人だったが数十分と経たずに無言で顔を見合わせると、立ち上がり、部屋を後にした。死臭漂う階段を上がって外へ出たクロードは人目が無いのを良い事に腕を上へ伸ばして固まっていた体を解す。
後ろの扉から出て来た刑事も首を左右に折って音を鳴らす。
「やってられん。」
どす黒く染まった手袋を捨ててクロードは投げやりに言った。「本当に。」刑事も同意した。
刑事の思いは如何だか知らないけれど、何の証拠も見付からないまま延々と死体を相手にパズルをしたところで何の収穫も無い。冷淡と思われるかもしれないが‘やるだけ時間の無駄’だった。
そもそも考えてみれば自分がやるべき事柄ではないのだ。
襟に鼻を寄せると眉を顰めたくなるような臭いがする。
生き物が腐った臭い以外にも鼻腔を刺激する嫌な臭気は考えるまでもなく下水のものだろう。
…さっさと屋敷へ戻るか。
結局遺体を検分したところで何も得ることは無さそうだ。発見現場にも足を運ぶべきなのだろうが、こんな臭いをさせたまま街中を動き回りたくない。
欠伸を零す刑事をその場に残し、クロードは安置所から通りへ出る。
ずっと待たせてしまっていた御者がすぐに主人に気付いて馬車の扉を開けた。乗り込む際に御者が一瞬顔を顰めるのが見えたが毎回の事なのでもう気にするのも馬鹿らしかった。
「屋敷へ戻ってくれ。」
「畏まりました。」
扉が閉められたがクロードは窓を全開にする。自分に付いてしまった臭いに鼻が曲がってしまいそうだ。
瀬那の部屋へ行くのは汗とこの死臭を流してからだな…と嘆息するしかない。まさか体調の悪い人間の部屋に死臭やら腐臭やらを纏わせたまま行く訳にもいかないし、そこまで短慮なつもりもない。
それよりも困るのは何も手掛かりが無かったという事実だ。
被害者は皆、鋭利な刃物で切り刻まれたのだろう。だが共通点は見出せない。精々若い男女という程度で明確なものは何一つなかった。
いや、もう一つあったか。顎を軽く擦りながらクロードは先程まで行っていた作業を思い出す。
腕や足の主な骨や背骨が見当たらなかった。頭蓋骨もなく、残っていたのはまさに小骨と皮と、その中身。これは憶測だが犯人は大きく太い骨を切断出来る程の刃物は持っていないのではないだろうか?
だからこそ主要な骨だけが見当たらないのだ。
そして何故、主要な骨は捨てなかったのか。
見方を変えて見るならば‘捨てられなかった’か‘捨てたくなかった’という事にもなる。
クロードは車窓へ視線を投げかけた。――さて、私自身なら死体をどうするか。
死体というものは案外扱いに困る代物である。埋めても腐って臭いが周囲に漏れる、移動するにしても大き過ぎて人目に触れる、焼くにしても人間の体というものは水分を多量に含んでいるため短時間ではそうそう簡単には燃えない。
まず移動するために解体したとしよう。
あれだけ細かくすれば数回に分けて運ぶことも出来る。密閉性のある物に入れておけば臭いの心配もない。人目にも触れ難くなる。しかし、その場合骨を残す必要性が感じられないのだ。
埋める事と燃やす事は今回は除外して構わないだろう。
発見されたのが下水なのだから、犯人はそれらの手段は考えていなかったはずだ。