「誘っても乗れませんよ。仕事中です。」
「なら終わってからは?」
「わたしはあなたを抱く事も抱かれる事もしません。」
「だろうな。」
だから余計に落としたくなるんだよ。なんて冗談に聞こえない言葉が聞こえたけれど、聞こえないフリで笑い流しておく。
彼の隣りに座る青年はわたしと目が合うとバッと視線を逸らして奥の部屋へ引っ込んでしまった。
その背を見送れば少年が眉を下げて青年が消えた扉を見つめる。
「ごめんなさい。あの人、入ったばかりで…。」
「いえ、気にしていませんよ。彼には彼なりの理由があるのでしょうから。」
別に男娼がいけないなんてわたしは言わない。
娼婦も男娼も、社会では下に見なされるがこの売春商業はある意味社会を支える一部なのだ。
ストレスの吐き場がなくなれば社会は犯罪が現在よりももっと横行するだろう。必要だからこそ彼らの仕事は存在する。
少年が頷いた後にふとわたしを見て「香水をつけました?」と聞いてくる。
「もしかして甘い匂いがしますか?」
「うん、何の匂い?」
「今回の事件の鍵になるものです。が、何の匂いだったか思い出せなくて甘い香りのする場所を虱潰しに探そうかと。」
「アンタ相変らず仕事熱心だね。」苦笑するアズールにわたしも笑い返した。
そうして立ち上がってわたしの傍に来ると、軽く腰を折って首元に顔を寄せてくる。スンと軽く鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。
ついでとばかりに首に触れようとする手を叩き落とすと肩を竦めながら離れた。
油断も隙もないとはこの事だ。
男嫌いという訳ではないけれど、元々恋だの愛だのに興味の薄いせいか美形を前にしても何とも思えない。せいぜい「あぁ、顔が整っているな。」くらいに思える程度だ。
彼ら男娼からすると自分の誘いに乗らない男は気に食わないはずなのだが、何故かアズールだけはめげないし、諦めずにわたしを落とそうとする。
こんな状況を伯爵に見られた日には一日中説教を受けそうだ。
…あ、でも女性でも陰間茶屋に来る者はいるから、そこまで怒られはしないかもしれない。
「なぁ、何考えてる?」
声をかけられて我に返ると目の前には整った顔。近いな。
「事件の事を少々。」
「あっそ。せっかくその匂いの元教えてやろうと思ったのに。」
「え、分かるんですか?」
思わず目の前の顔をジッと見つめれば、楽しそうな笑みが広がる。
これは実に嫌な予感のする笑みだ。
「教えても良いけど、俺には何の御礼もなし?」
……やっぱり。色気をたっぷり含んだ流し目を向けてくる。
これだから彼は扱いづらい。いくら色恋に興味がないからと言って誰にでも体を許すのは好きではない。
でもそれでは彼は納得してくれない。
「…仕方ありません。少しだけなら良いですよ。」
「具体的には?」
「キスならば許しましょう。ただし服は乱さないでくださいね。」
服の中に手なんて突っ込まれた日には性別がバレてしまうから。
彼は少し渋ったものの、それ以上は譲らない言えば了承する。
傍にいる少年はどうしようかとも思ったけれど、部屋から出る様子がなかったのでそのままにしておくことにした。
座ったままのわたしの顔にアズールの手が伸びる。手の平で包み込み、耳の後ろから首筋を指が撫でて行く。
ゆっくり下りてくる美形に目を閉じれば唇に温かく柔らかな感触が重なった。
何度も啄ばむように触れたそれが一度離れる。
「…口、開けよ…。」
熱の篭もった声が囁く。薄く唇を開けば、一瞬、食べられたような感覚に陥った。
バクリと容赦なく獣に食われている。
温かな舌が口内に侵入して歯並びをなぞり、わたしの舌を絡め取る。
鼻で息をしようにも激し過ぎて追いつかない。
唇が離れれば互いの口元から銀糸が繋がってアズールはそれを舐めた。
そのまま首元へ顔を埋めると軽く首に噛み付いてくる。
…こら、キスだけだって言っただろう。
頭を叩くと不満げに目を眇めて顔を上げ、わたしを見やった。けれどすぐにまた唇を寄せてくる。
「一度、だけでは…ないん、ですか?」
「一度なんて言ったか?」
「…そういえば、そう…ですね。」
もう一度重なる唇の熱に目を閉じる。
嫌ではないけれど、こういった行為が好きではない理由の一つは‘そこに感情がない’からだった。
相手を愛している訳でも、愛されてる訳でもないから。頭のどこかは何時も冷静だ。
散々口内を蹂躙して満足したアズールが顔を離す。
彼とこんな風にキスをするのは二度目で、以前も事件の情報のためだった。
その度に心のどこかが冷え切っていくような感覚がして、その後必ずわたしは後悔する。
何故してしまったのかと。
「花だ。」
「?」
「アンタが言ってるその甘い匂い。花だよ。」
花。彼の言葉になるほどと思う。
食べ物ほど甘過ぎず、香水ほどしつこ過ぎず、あっさりとした甘い香り。
立ち上がると彼は少し驚いた顔をした。傍でずっと見ていただろう少年も頬をほんのり赤く染めたままわたしを見上げてくる。
「…ありがとうございます。その線で調べてみます。」
「あぁ、またな。」
「えぇ、また今度。」
扉を開けて裏通りへ出る。
薄暗い路地を抜けて、表通りまで出てから一旦立ち止まった。
晴れていたはずの空は何時の間にか灰色の暗雲が立ち込めている。
…伯爵に会いたい。帰りたい。
あの綺麗なブルーグレーの瞳を見るとホッとする。特に彼が嫌うであろう、このような方法を使った後は殊更会いたくなる。
……あぁ、やっぱりしなきゃ良かった。
胸の内を重く塗り潰す思いが少しでも外に出るよう溜め息を一つ吐いてから、屋敷のある方へゆっくりと歩き出した。