娼婦の部屋は想像していたよりも綺麗で、貴族御用達と言われるだけあって給金も結構なものだったのかもしれない。
邪魔な警察達を室外へ追い出してから部屋の中を調べ出す。
小さなテーブルにはワインの瓶とグラスが一つ。開けたばかりなのだろうコルクが傍に置いてあり、中身はまだ十分残っていた。
試しにワインをグラスに注いでみる。
元から減っていた分と注いだ分を確認すると、元の分量は二杯分くらいだろう。一人で飲んだのか第三者と二人で飲んだのかは定かではないけれど、犯人が来て、娼婦が招き入れて飲んだのだと仮定することもできる。
グラスから顔を上げれば伯爵と刑事が出入り口に立ってわたしの様子を見ていた。
刑事はまだしも伯爵は何時もわたしが現場検証をする様を見ているが、偶には自分で動いたらどうなんだと思ってしまう。
勿論伯爵だってきちんと色々見ているのだろうけれど基本的に動きたがらない人だし。
溜め息を隠して室内を見回す。
…そもそも何故犯人はここに来たんだろうか?
一度殺し損ねた彼女を狙ったにしても白昼に訪れず、深夜にそっと現れて殺せば明日の朝までは犯行に気付かれなかったはずだ。
捕まるかもしれない危険性を押してまでここへ来た理由は一体――…、
「……ん?」
ふと視線を彷徨わせていればキラリとベッドの下で何かが光った。
見間違いかとも思いつつ毛布を捲り上げてみれば奥の方に何かがある。床へ手を付いて、反対の手でそれを拾い上げる。
「! 伯爵、こちらをどうぞ。」
「これは…。」
手の平の物を伯爵へ手渡せば驚きにブルーグレーの瞳が見開かれた。
横にいた刑事は訳が分からないといった表情のまま大きな体で覗き込んでくる。
「その指輪がどうかしたんですかい?」
手袋で覆われた伯爵の細い指が持つ指輪。全体的にシルバーが使われ、大きなブルーサファイアと小さなダイヤモンドがあしらわれた高価なもの。
あの双子の指にはまっていた物と類似した指輪だ。
むしろ全く同じ物と言って良いほどだ。
これはどう考えても犯人に繋がる証拠と見るべきだろう。
伯爵もそう思ったようで指輪をハンカチで包むとコートの内ポケットへ仕舞った。
「この指輪の出所は私が調べておこう。お前は先程会ったという男の居所を探れ。…貴方は私の手伝いをして頂こう。」
「それくらいならお安い御用ですよ。」
伯爵が刑事を見上げると、しっかり頷きが返ってくる。
第一印象は大柄で熊みたいな人だったが予想よりも協力的だ。
わたしもあの優男の居所をさっさと見つけなくてはなりませんね。
部屋を出ようとすると伯爵に腕を掴まれて引き止められる。
「何か御用でしょうか?」
「いや、深追いはするなよ。」
「はい、心得ております。男の居所を掴むだけ、それ以上の事には首を突っ込みません。」
「…なら良い。」
何やら妙な間を置いて伯爵の手が離れて行く。
まぁ、以前も何度か深追いし過ぎて危ない橋を渡りかけた事が何度かあるので、その事を気にしているのだろう。
流石のわたしもそう何度も同じ失敗は繰り返さないつもりである。
娼館を出て、とりあえずは男が去って行った方向へ向かうことにした。
独特なあの甘い匂いを思い出しながら考える。甘味など食べ物の甘さではなく、もっと控えめな甘さだった。
わたしの独断だが男はその匂いのする場所にいると思う。
家、もしくは仕事場であの香りがしており、そこに長くいるうちに染み付いてしまった可能性だ。
香水という可能性もあるが、それは男が貴族であった場合に限る。一般人で香水を使う者などほとんどいない。香水は果物や花から特殊な方法で香りを抽出しするため価格が高く、貴族くらいに金がなければ買えない。
「甘い香り……調香師、石鹸屋、髪油を扱う整髪屋、花屋、一応高級男娼もありそうですね。」
調香師であれば何の匂いかハッキリするけれど、残念ながら調香師に知り合いはいない。
今度良い調香師を探すべきだろうか?
…高級男娼にでも会いに行こう。
何故か、なんて問いは愚問だ。わたしがただ単に興味があるだけである。
陰間茶屋(かげまちゃや)なんてそうそう行く機会もないし、そもそも伯爵がそんな所に足を運ぶ事もないし。
そうと決まれば行動するだけ。わたしは少しワクワクとした気持ちで裏通りに繋がる路地に体を滑り込ませた。
普通の娼館と違い男娼の娼館は表立って商売をやらず、元々貴族のように金のある者でない限りは男娼を買う事も出来ないのだから目立たない場所にあるのも頷ける。
プライドの高い貴族は他の者に男娼の元へ通っている姿を見られたくないと思うもので、普通の娼婦の下へ通う場合は逆に見られる方が好いらしい。
全くもって理解出来ない。
右へ左へ路地を通り抜けて陰間茶屋へ行く。行った事もないのに道を知っているのは以前男娼が貴族の子息と無理心中して、その時に訪れた事があったからだ。
その時は伯爵は来なかった。彼は男娼をあまり良く思っていないらしい。
薄暗い裏通りの一角にある重厚な木の扉の前に立って、扉を叩く。二回、一回、三回。
すると扉が内側から開けられてわたしよりもやや背の低い少年がそっと顔を覗かせた。
「あっ!」
わたしを見るとパッと表情を明るくして建物の中へ入れてくれる。
中は赤と黒を基調とした物で統一され、赤いソファーには二人の見目麗しい男達が座っていた。
片方は以前訪れた時に話を聞いたことのある男で、もう片方は新しく入ったのか見たことのない男で、横にいた少年に手を引かれながら彼らの傍に行く。
「久しぶり。」
用意された椅子に礼を述べて座れば見知った男が声をかけてくる。
名前は確かアズール、だったか。細身で長身、伯爵に勝るとも劣らない美形な彼は随分腕が立つ。
以前の事件では世話になったが彼程の人物が何故男娼になってしまったのか不思議でならない。
「お久しぶりです、アズール。」
「へぇ、覚えててくれたんだ?」
「勿論ですよ。以前協力してくださった方をそうそう忘れたりは致しません。」
「…アンタらしいな。」
するりと細い指が頬を撫でていく。
横にいた少年が怒ったように彼の名を呼んでわたしに抱き付く。
男だと思われているので何かとこういった事をされるけれど、そのつもりは無いのであしからず。
彼はわたしと一夜を共にしたいらしいが、わたしの性別を知ったらどんな反応をするか少し見てみたい気もするが。