このままではいけません。何が何でも元の体系を維持しておかないと!
ヴェルノさんの膝から降りて、邪魔にならないようベッドの上に移ります。
とりあえず毎日腹筋、背筋、腕立て伏せを各二十回ずつ必ずやろうと思うのです。船が直ったら晴れている日は甲板で、雨の日は船内でランニングをしましょう。
今は部屋の中を走る訳にもいきませんので、ベッドの上で前転をクルクルとして少しでも体を動かすことにしました。
ころころ、くるくる、ころころ、くるくる。
ベッドの上を転がりながら行ったり来たりしているとヴェルノさんが立ち上がりました。
こちらに歩いて来られたかと思うとガシッと首根っこを掴まれ、シーツでぐるぐる巻きにされてしまったのですよ。
「少し寝てろ、気が散る。」
「ごめんなさいなのです…。」
シーツの上から更に二、三冊の本を重ねられてしまえば抜け出すどころか動くことも不可能なのです。
ちょっと不機嫌そうに言われてしまったので素直に静かにしていましょう。
ついでとばかりにヴェルノさんは蝋燭に火を点け、燭台をテーブルに置いて薄暗くなり始めた室内に明かりを入れました。蝋燭の火を反射させて黄金色に輝く瞳は何度見ても綺麗なのです。
真剣な表情で本を読むこの姿を絵画にしたらきっと素敵な絵になるのですよ。
グルグルに巻かれたシーツの中から私はヴェルノさんを観察することにしました。
読書に慣れていらっしゃるのかページを捲るスピードが早いのです。流し読みなのか、それとも必要な部分だけを読み取っているのかは分からないです。
時折考えるように目を細めたり、頬杖をついたり。
他の本を開いて見比べては溜め息を零す場面もあるのです。
ちょっとやる気がなさそうにも見えますが、立ち上がるどころか一度も顔を上げない様子からして集中しているのかもしれません。
とっても暇なのですが、ヴェルノさんの邪魔をしてしまうのも嫌なのです。
窓の外からは行き交う人々の声が聞こえてきます。色々な人が話したり、歩いたりしているからか内容までは分かりません。
………なんだか寂しいのです。
何とかシーツから抜け出すために腕をそっと動かしてみました。
上にある本が少し揺れたけれど気を付ければ大丈夫そうなので、そーっとそーっと右腕をシーツの外へ出し、更に左腕も慎重に出します。
腕が出てしまえばコッチのものなのですよ。
上に乗せられていた本を脇に避け、簀巻き状態だったシーツから体を引き抜きます。
ちょっと高いベッドから静かに下りてヴェルノさんの足元へ行きましたが、どうやら私がシーツから出たことに気付いておられないようなのです。
控えめにヴェルノさんのズボンの裾を掴んだら黄金色の瞳が私を見下ろしてきました。
チラリとベッドを見た後に溜め息交じりに抱き上げてくださいます。
半ば定位置と化しているヴェルノさんの膝の上に座り、本を読む邪魔にならないようペッタリと抱き付くことにしました。
……やっぱりこうしているのが一番落ち着きますね。
丁度良かったのかヴェルノさんは抱き付く私の頭に顔を乗せてクッション代わりにしているみたいでしたが、それでも構いません。
私はペット兼抱き枕兼クッションなのですから。
ギュッと抱き付けばヴェルノさんの胸からトクン、トクンと心臓の鼓動が聞こえてきます。
一定のリズムを刻むそれを黙って聞いていると段々眠くなってしまうのですから不思議なのですよ。
こんな風に静かにひっそり、まったりとするのも良いのですが、やっぱり私は船の暮らしの方が楽しいと思うのです。
甲板掃除でびしょ濡れになったり、皆さんと隠れんぼをして汚れたり、アイヴィーさんにお洋服を作ってもらったり。時々ヴェルノさんに見つかって注意されたり笑われたりして。
皆で一つの大きなお家で暮らしているような、あの雰囲気の方が私は大好きなのです。
……早く船が直ればいいのに。
そこまで考えて、背後から聞こえたパタンという軽い音に顔を上げればヴェルノさんと目が合いました。
何故か驚いたような表情をして、「起きてたのか。」という言葉に思わず頬を膨らませてしまいます。
私だっていつもお昼寝している訳ではないのですよ。
大雑把に頭を撫でて別の本へとヴェルノさんは手を伸ばし、それを引き寄せて表紙を開きました。どの本も分厚く、ハードカバーなので結構な量と重さがあります。
クッキーが潰れてしまうのも当たり前なのですね。
邪魔にならないようにしながら本の中を見てみましたが、やっぱり読めません。もしかしなくても読み書きを習った方が良いのでしょうか?…今更な気もするのですが。
躊躇いなく羽根ペンで本に書き込みをしていくヴェルノさんを見てると勉強する以前の問題として、羽根ペンで上手に何かを書けるかどうかという所の方が心配になるのです。でも、何か書いてみたい気もするのですよ。
ジッと羽根ペンを見ていた私をヴェルノさんはどう思ったのか、持っていた羽根ペンごとインク瓶を机の端に寄せてしまいました。
「触るなよ。」
と、釘も刺されてしまいます。
どうやら私の考えはバレてしまっているようなのでした。
同時に控えめに部屋の扉がノックされ、ヴェルノさんが返事をするよりも早く扉が開き男の人が入ってきました。
…あれ?なんだか見覚えがあるような、ないような…?
長めの髪を後ろで一つに纏めている男の人がニッコリ笑って扉を閉めます。
「夕食はもう食べちゃったかしら?」
「あ?…あぁ、もうそんな時間か。」
「やっぱり。時間忘れてたでしょ?もう、真白ちゃんもいるんだから食事くらい気を付けた方が良いわよ〜?」
近付いて来た男の人はヒョイとヴェルノさんの膝から私を抱え上げます。
この声、この口調はもしかして――…
「アイヴィーさん…なのですか?」
「そうよぉ、大正解。」
ニコニコと笑いながら抱き締められて、思わずマジマジと見てしまいました。
普段は髪も編み上げてありますしサングラスをかけているので、こうして顔をしっかり見るのは初めてなのです。
あんまり見ていたからかアイヴィーさんが「そんなに見つめられると恥かしいわぁ。」と言って頭を撫でてきました。
レゲエっぽいお兄さんから、爽やかでスポーツ系っぽいお兄さんに変わっているのです!
いつもの格好を見てしまっているだけに今のアイヴィーさんが、あのアイヴィーさんだとはそうそう気付かれないでしょう。
「何か食べる物持って来た方がいいわね、これじゃあ。」
「あぁ、ソイツを連れて外には出れねェしな。」
「私は一人でも留守番できるのですよ?」
「それは駄目。真白ちゃん一人で残す方が心配だもの。」
そう言われてしまうと二の句が次げなくなってしまうのですよ。
床に下ろしてもらい、アイヴィーさんは「ちょっと待っててね。」と部屋を出て行かれます。
ヴェルノさんも読みかけだった本を閉じて椅子の背もたれに体を預けています。ずっと同じ姿勢で座っていたのですから、疲れてしまったのでしょう。
夕食後にセシル君が来てクッキーの代わりだと置いていってくださったケーキを、ヴェルノさんと一緒に食べたのは秘密なのです。