カリカリカリカリ。ネズミさんが壁を齧るような音がずっとするのです。
音の発信源はわたしに背を見せて机に向かっているカルヴァートから聞こえてきます。
何か書き物をしているようなのですが、このカリカリという音はどうにも耳についてしまって眠ることが出来ないのですよ。
ヴェルノさんもよく書き物をしていましたがこんな音ではなく、紙の上を羽ペンが滑るサラサラという心地良い音でした。
…はっきり言わせていただきますと、とても安眠妨害なのです。
せっかくうとうとしておりましたのにカリカリカリカリ音が響いてわたしの頭の中ではネズミさんが大量発生してしまっているのです。
カリカリカリカリカリカリカリカリ。
…もうこの音は嫌いになりそうなのですよ。
どれぐらいそうしていたのかは分かりません。けれど何やら仕事を終えたらしいカルヴァートはパタンと本を閉じて棚に戻すと、その足で立ち上がって部屋の外へ行ってしまいました。
これでようやく眠ることが出来ます。
目を閉じるとゆっくりと身体の力が抜けて、わたしは眠りに落ちました。
擬音語に直すなら、ドッカーン。そんな感じの、かなり大きな音と地震のような揺れに唐突に目が覚めてしまいました。
はてさて一体何が起きたのでしょう?
断続的に建物が揺れ、遠くから何やら映画などで聞くような派手な音が聞こえてきます。
それに混じって廊下を走る人たちの慌ただしい足音と声も壁を通して届いてくるのですが、何やら由々しき事態なご様子なのです。
とりあえず起き上がって部屋の中を見回してみますと、棚の上にある物が落ちてしまったり、テーブルの上にあったグラスが割れて床に散らばったりしておりました。
これならわたしがいなくなってもすぐには気付かれなさそうです。
棚から降りようと後ろ向きで取っ手の部分に足をかけたところで、また大きな揺れと音がしました。
「ぶふっ…!」
頭でっかちな体は揺れで外側へ倒れて、物の見事に床とご対面してしまいます。
…顔から落ちなくて良かったのです。
キョロキョロと辺りを確かめてから机の脚を何とかよじ上ってから、カルヴァートが一生懸命書いていた本を引きずり出しました。
文庫本ほどの大きさと厚さの本を一度開けて見ました。が、わたしには読めない字なので、何が書いてあるのかサッパリ分かりません。
けれど沢山書き込んであるということは何か大切なことなのでしょう。
ちょっとだけ悩みましたがその本は持っていくことにします。
本を服の内側に押し込んでから、どうやって机から下りようか思案していましたら部屋の扉が勢いよく開きました。
思わず硬直してしまった私を見たジークさんの姿にホッと胸を撫で下ろします。
「いたいた。」
ヒョイと抱え上げられたかと思うとジークさんは割れたグラスやらを踏みながら部屋を出て行こうとします。
「あの、どちらへ行かれるんですか?」
「甲板。君のお迎えが着たからね。」
「お迎え…ヴェルノさんですか!」
「うん、あの人だよ。」
ジークさんの肩に落ちないように手を添えます。
平然と会話をしていますが、ジークさんはかなりの速度で廊下を駆け抜けていて、途中で何人かの軍人さんとも擦れ違いましたが顔を見る暇すらありませんでした。
上に行ったり左右に行ったり、それこそ迷路のような船内を風のように走ります。
ジェットコースターのような感覚が少し楽しいのです!
話しかけるとジークさんは返事を返してくださいますが、何やら急いでいる様子でずっと前ばかり見ております。
と、急に立ち止まって壁に隠れて角の先の廊下の様子をそっと窺いました。
数人の軍人さんが剣を持ってウロウロしております。
これを突破するにはジークさん一人では難しい気がします。私はきっと戦力になりません。
どうするのでしょうとジークさんを見やれば、ポケットからビー玉くらいの小さな銀色の玉を幾つか取り出して、数回確かめるように手の内で軽く回します。
そうして軍人さんのいる廊下を見ながら玉を放り投げました。
銀色のそれは綺麗な放物線を描いた後に軍人さんたちの足元へ四方八方にコロコロと転がり、動きが止まる前に小さく火花を散らせたかと思えば、小さな球体から一気に真っ白な煙が噴出しました。
廊下は数個の玉のせいで真っ白になり、視界は完全に見えなくなったのです。
しかしジークさんは真っ白な煙の中を走り出し、煙に咽たり焦ったりする軍人さんと鉢合わせする事無くあっさりと抜けてしまいます。
一体どのような仕掛けなのでしょうか?
「煙の中なのに見えたのですか?」
今だ疾走するジークさんに聞きましたら、見えてないと答えが返ってきました。
玉を投げる前に予(あらかじ)め廊下の物の配置と軍人さんの位置を覚えておき、煙幕で見えなくなってからは記憶を頼りに素早く抜けるのだそうです。
すごいのです、ジークさんは運動だけではなくて記憶力も良いのですね。
ですが煙幕の玉というのはとても役に立ちそうなのです。
…なんだか忍者さんみたいなのですよ。
目の前に偶然現れた軍人さんへ眠り薬の入った玉を投げ付けるジークさんを見て、笑ってしまいました。
ジークさんはそれを聞き取ったのか不思議そうに眠たげな顔で首を傾げます。
何でもありませんと言うと、そう、とだけ呟いてまた走り出しました。