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0705 百鬼夜行(木場榎)


特別な用がなければこんな場所を自ら訪れる事などない。だから、今回は特別な用があった訳で、それというのもこの目の前でぐうぐうと寝ている男への仕事の依頼をさる人物の代理で嫌嫌やって来たのだ。
ぞんざいに扉を開けるなり、短躯の給仕は待ってましたと云わんばかりに顔を輝かせた。「丁度良かったですぜ、旦那」などと早口で調子良く捲し立て、最終的に茶受けを買いに行くと云い残してそそくさと外出してしまった。仮にも客に留守番を押し付けるとはどういう了見だ、という文句は徹底的に無視されたので、帰って来たら一発殴ろうと決めた。探偵助手の若者もどうやら調査に出ているらしい。ガンッと履き潰した靴でソファを蹴って、奥の扉を見た。


「まだ寝てやがるのか」


昼はとうに過ぎている。
呆れて無遠慮に足音を響かせて踏み込むと、案の定奇人はぐうぐうとだらしなく寝ていた。寝顔だけは人形のように整っている。


「おい、起きろ」


幾度か繰り返し声を掛けたが無反応である。痺れを切らせて寝床を蹴りつけると、うぅだかあぁだかと呻き声が上がった。しかし、いい気味と思えたのはその一瞬だけだった。


「おぉ、出たな妖怪下駄男!今日は一段と四角だな!」
「うるせぇな」


数度瞬きを繰り返してようやく此方の存在に気付いたかと思えば、声高らかに人を罵倒してきた。こんな奇天烈な男が、多少の誤解があるとしても名探偵として一部の人間達の間では有名であるという事実は、本邦の恥であるとしか思えない。


「嫌だ」
「見たのか」
「面白くないから嫌だ」


いつの間にか半目になった変人は、そう云って大欠伸をした。人がうんざりとしているうちに、記憶を見て全て察したらしい。
何処から聞きつけたのか、普段ではお目通り出来ないような―したいとも思わないが―御偉方から秘密裏に依頼されたのだ。冗談じゃねぇ、と思って来たのだが…


「探偵様本人が依頼拒否したんじゃ、仕方ねぇよなァ」
「随分嬉しそうだな。気色悪い」


嬉しい訳ではないが、ざまぁ見ろという気分であったのは間違いない。地位だけはある爺達のおろおろとする様が目に浮ぶ。いい気味だ。
不意にがさごそと布擦れの音がし、見れば自称探偵がのろのろと着替えを始めていたので、一旦部屋を出て応接ソファに腰掛けた。
煙草を取り出し、窓の向こうに目をやると忌まわしい程白い入道雲が立派に育っていた。
近くの木から、蝉時雨が届く。
火をつけないまま銜えた煙草が湿る。
何処からか風鈴の音が聞こえる。
それらの圧倒的な夏に目が眩みそうになって視線を外した先に、半目の男が仁王立ちしていた。


「何だ、僕ばかりじゃないか」


白い開襟に海老茶色のズボン、サスペンダーという出で立ちの男は悪戯を思い付いた悪魔のような笑みを浮かべている。


「都合の良いモンだけ見てんじゃねぇよ」
「なかなか変態趣味っぽいゾ」
「馬鹿言え」


脱力して目を閉じる。一瞬遠くなっていた騒がしい蝉の音が戻って来た。
影がかかるのを感じ、目蓋を上げると西洋絵画に描かれる天使のような顔立ちをした悪魔が此方を見下ろしていた。
陶器のような手が伸び、火をつけ逃したままだった煙草を唇から奪われる。


「おい、何しやがる」
「許可するまで目と口を閉じていろ」


これで三十半ばになる自分と同じ齢であるから始末に悪い。こうなれば黙って従って遣り過ごすことが最善であることは長い付き合いの経験で明白だった。再びぬっと腕が伸び、掌で両眼を覆われる。存外ひんやりとしていたそれに思わず小さく息を吐くと、笑った気配がした。流石に文句をつけようとした瞬間、肩にもう一方の手が添えられ言葉が喉の奥で止まる。その内に膝の上に重みが降りた。視覚が遮られているせいか、他の感覚が鋭くなっている気がした。身体の熱、近くに感じる呼吸、髪の毛の先の感触、匂い。


「礼二郎」


反応した身体を閉じ込めるようにその腰に両手を添えると、肩に置かれていた手が耳に移動して塞がれた。


「修ちゃん」


聞き慣れないが故に未だに戸惑う、その甘える子どものような声に誘われるように顔を少し上げる。途端に、唇を塞がれた。
こうして一般に恋する男女がするような行為を戯れのように重ねる度にそれは記憶になってこの頭に残り、目の前の男はそれを見ることもあっただろう。
―だから、それを嫌って目を塞いだのか。
尤もそれは単に考え過ぎなのかも知れないが。


「丸い西瓜を食べよう!」


突然夢から覚めたように身体を離した男―榎木津礼二郎は、目を輝かせて大声を上げた。
ほぼ同時に扉が開き、和寅が勢いよく転がるように飛び込んで来た。
その腕には立派な西瓜が抱えられている。
俺は煙草を取り出し、今度こそ火をつけた。





1229 GK(持田)

いくら足を動かしても、ちっとも前へ進まない。緑の芝生の上にいるのに、まるで水中を移動をしているような抵抗感だ。目と鼻の先にあるボールになかなか触れられない。そんな悪戦苦闘をしているうちに、後ろから来た奴等がどんどん俺を追い越してゆく。それでもまだ、俺はほんの少しの距離すら進めずにいた。焦りと苛立ちが限界に達し、そこでようやく自分の足を見た。
そして解った。
これは俺の足じゃない!
だから、いくら懸命になっても思い通り前に進まなかったのだ!だったら…だったら、俺の足はどこだ!きっと誰かが盗んだに違いない!返せ!俺には足が必要なんだ!俺の言うことをちゃんと聞く足が!まだこんな所で止まる訳にはいかない!だから早く、俺の足を…


「返せ!」


叫ぶと同時に、目が覚めた。
乱れた呼吸を整えながら、全てを一瞬で理解する。まだ眠りに就いてから然程も時間が経っていないらしい。圧倒的な暗闇の中にあって、転がっているスパイクの蛍光色だけがぼんやりと浮かび上がっていた。
触れただけで解る。これは確かに、俺の足だ。安堵とも落胆ともつかない感情がうねった。それをあやすように足を擦る。
突然、頭にある男の顔が浮かんだ。
彼は…彼も、こんな思いをしたのだろうか。
けれどそんな考えはすぐに打ち消した。
これは誰の痛みでもない。俺の、俺だけの痛みなのだ。共感も同情も必要ない。そんなものを得る位なら死んだ方がマシだ。
そう思ったけれど、どうしても吐き気のするような思いだけは消えてはくれなかった。


(こんな馬鹿な俺を、俺は知らない)




1222 GK(達海)


雨の降る夜だった。
濡れたアスファルトのせいか、普段より鮮明に耳に届く車の音を数えている。20を数えた所で、それにも飽きてやめてしまった。すると途端に耳鳴りが酷くなる。そうして意識すればするほど、それは酷くなってゆくようだ。しかし成す術はない。ただ身を任せるばかりである。
風が強くなってきたようだ。木々のざわめきが、まるで胸の内に凝った得体の知れない焦燥感のようなものを煽るように耳に纏わり付いた。それに重なるようにしてまた、一台の車が通り過ぎてゆく。
ふ、と電気を消す前まで見ていた映像や文字の羅列が脳裏に浮かんだ。同時に左膝や右足首を中心にしてじんわりと疼きが生まれた。いつものようにそれを無視しようとしたが、何故か今夜は上手くいかなかった。まるで服にこぼしたインクのシミのように広がってゆく。今まで全身を受け止めていたベッドは気がつけば泥沼のようになっていた。ずぷりと沈み込む。
あぁ…誰かが、俺の名前を呼んでいる。好き勝手なことを言って、怒っている。笑っている。泣いている。
飲み込んだ言葉は重く、腹の底に沈んだ。夢中で探した人に、それでも手を伸ばせない。


“太陽になれ、達海”


目を開くと、部屋に薄陽が入り込んでいた。どうやら雨は止み、東の空が白み始めたらしい。いつの間にか、全身にしっとりと汗をかいていた。窓の向こうで、車の走る音が聞こえる。残酷な残像はやがて緩やかに消えていった。
無理だったよ、笠さん。



(追憶の夜明け前)





1029 GK(達海)

ついに足が壊れて、もう二度とピッチを走り回ってボール蹴ることも出来ないんだって突き付けられた時は往生際悪く暴れちゃってさ、やっぱり俺はまだやれるんだって思ってたから。わかってたのに。もうそうなるずっとずっと前から、わかってたんだ。こんな日が来るって。それでも、最後の瞬間まで信じてたんだよ。馬鹿みたいに。俺は自分を過信してた。覚悟は出来てるって、仕方ないことだなんて、嘘ばっかり。そんな俺にさ、みんな優しかったよ。痛いくらい優しかった。だから余計、醜い自分が嫌でさ。それでもあの時、イギリスにいて良かったと今でも思う。随分遠くに来ちゃったなぁなんて思ったりもしたけど。俺がサッカー出来なくなっても当然のように何も変わらなくて、朝は来るし。世界に取り残されたような気分になるんだよ。だけど気が付けば俺はやっぱりサッカーを見てて、夜には試合してる夢まで見るんだ。そういう夢を見るとさ、やっぱ諦めきれてないんだなぁって思ったよ。正直、あの時期は誰でもいいから抱いて欲しかったなぁ…なんて、うそうそ。今?今はね、大事に仕舞ってあるよ。なんたって俺の性感帯だからさ。あ、ふざけるなって?


(BURN)




1028 作家アリス(火アリ)


「随分お疲れやな、先生」
「試験の採点がようやく片付いたんだ」


そう言うなり火村はソファに横になって瞼を閉じた。
明日は朝から船曳警部直々に声がかかった事件の現場に赴く為、仕事を片付けて私の家に前乗りしてきたのだ。
恐らくまた彼を困らせるような答案があったのだろう。


「ベッド使うてええで?」
「いや、いい…お前は、」
「キリがええとこまであと二時間は粘る」


私もちょうど今取り掛かっている仕事のラストスパートに差し掛かり、何とか今夜中には終わらせておきたかった。火村は目を閉じたまま「そうか…」と呟いたきり、会話をする気力もなさそうだった。
しばらく静かに呼吸する音だけが部屋を覆った。
私は休憩の為に入れたインスタントのコーヒーを飲みながら、何をする訳でもなくリビングに留まっていた。
だらしないネクタイはそのままに、くたびれた様子の准教授はいつもに増して年嵩に見える。
ふと、いつか聞いた彼の悲鳴が頭の中に蘇った。
手にしていたコーヒーカップを取り落としそうになり、慌ててそれをテーブルに置いた。
火村は寸分足りとも動かず、そこで眠っている。
紙の上では日常的に人が人を殺す物語を書いている私だが、現実に人に殺されるなんて悲劇は真っ平ごめんだ。それは誰だってそうだろう。
けれど火村を見て思うのは、殺される方は悲劇でしかないが、殺す人間にとってもそれは悲劇に変わりないのではないかということだ。
彼の見る夢がせめて少しでも幸福なものであって欲しいと、いまだ理由を聞くことが出来ないでいる私は、そう思う。


「何考えてる、アリス」
「え?」


思わず口から出た間抜けな声に、眠っていたはずの火村がにやりと笑った。


「な、なんや、寝てたんやないんか」
「何か不都合か?」


人の悪そうな笑みを浮かべてこちらの反応を楽しんでいる。何だかからかわれそうな気配がして癪だったが、けれども私は今しがた願ったことを取り消したり後悔したりはしなかった。


「いやいや…いつ見ても男前やなぁと…」
「おいしっかりしろ、ボケるにはまだ早い」


数十分の仮眠は効果的とは聞いていたが、これ程のものなのか。それともただの狸寝入りだったのか。
取り敢えず眉間に皺を寄せて大いに呆れている様子の火村に「ボケることは確定済みか」とつっこんでおいた。



(知らないだろう、俺はお前に救われている)





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