鴬の声を聞くらむ君は羨しも。


あれから、私は妖怪横丁に寄ることはなくなった。

母を知っている妖が多い可能性が高い場所にはなるべく近寄るべきではないと思ったから。

どう噂が流れるか、分かったものではなかったから。

怖いのは、その噂が今のお父さんの奥さんの耳に入ること。

だから、また一歩、私はこの町と距離を置いた。






春が少しずつ近づいてくるのを肌で感じながら、私は赤い番傘をくるくる回して、少し入りが遅くなった夕陽を公園のブランコに座りながら眺めていた。

もうすぐ日が暮れる。

夜は、私は嫌いだ。

妖怪のくせに、と自嘲しながらも私は惜しむように夕陽を眺めていた。

そのとき

「きゃっ!」

公園の前の道を歩いていた女性が慌てたように声をあげた。

大きな買い物袋がしぼんでいく様子から察すると、どうやらビニール袋が破れてしまったみたいだ。

きぃ、と錆びついた音をたてたブランコを降りて、私は女性に歩み寄る。

「大丈夫ですか?」

軽く腰をかがめて落ちてるリンゴを拾いながら、慌ててる女性に声をかけると、彼女は一瞬だけ驚いた顔をしたあとすぐにぱっと笑った。

その笑顔が、まるでさっきまで惜しんでいた陽の光のように暖かく見えて私は思わず目を細める。

「あら!ありがとうございます!ふふ、私ったらちょっと買いすぎちゃって…。息子がね、風邪引いちゃったから元気になる物を食べさせようと思ったら悩んじゃって…、つい喜びそうなものをたくさん買っちゃったのよ」

屈託なく、今出会ったばかりの私に楽しそうに、少し恥ずかしそうに女性は話す。

そうか。この人はお母さんなんだ。

ああ、この暖かさは私のお母さんによく似てる。

他にも、子供のことや何やら大勢で住んでいることなんかを友達みたいに楽しく話してくれる彼女の優しげな声に耳を傾けながら、私は袂から小さく畳んだ風呂敷を取り出す。

それを地面に広げて、落ちている物を風呂敷に乗せていく。

終いには女性の手の中の買い物も一緒にしてくるりと端を結び合わせる。

「どうぞ。これなら破れる心配はないですよ」

にこっと笑って荷物を差し出せば、女性は目をまんまるくさせて、突然私の腕をつかむ。

「まぁ!ありがとう!こんなに良くしてもらっちゃって…」

そう言って女性は何やら首を傾げながらぶつぶつと呟く。

「そうね…、うーん…」

何かひとしきり悩んだ後、彼女は顔をあげてぱぁっと笑った。

「こんなにお世話になったお礼にうちでご飯でもどうかしら?もう暗くなるし、若い娘さんがこんなところで一人なんて危ないわ!」

「え…」

そのお誘いに、少し心が揺れる。


私は、夜が嫌いだ。

一人っきりの夜は、嫌い。


そんなところへ思ってもいなかった暖かな言葉。

こんなにも暖かな人の家。

きっと素敵な、家と、家族。



私が迷ったのが伝わったのだろう。

彼女は首を傾げる。

「あ、迷惑だったかしら?もう家にご飯用意してあるの?」

そう言われて私は苦笑する。

「いえ、私は旅をしていて…。帰る家はここにはないんです」

ここには、ない。

ううん。どこにも、ない。

母を埋葬してから、私は家を焼いた。

母のぬくもりが恋しくなって家に帰らないように。

帰っても待ってる人が誰もいない家なんて、寂しさが増すばかり。

だから、思い切って家を焼いた。

狐への復讐を胸に抱いて。


その言葉に、彼女は今までにないくらいいっぱいに目を開けてから、私の腕を引っ張った。

「あ、あの…」

困惑して声をかけると、彼女はキッと私を見てまるで子供を叱るように私に言う。

「深くは事情は聞かないわ。人にはいろいろあるもの。でも…でもね。…一人は寂しいわ」

「あ…」

こんなきりっとした表情もできるんだ、なんてぼんやり思っていた私に、彼女の言葉が突き刺さる。



―ぽろり


暖かいものが頬を伝って、地面に吸い込まれた。

…―涙

一瞬、それが涙だと私にはわからなかった。

だって、今まで私が流した涙は冷たかったから。

妖怪の涙って冷たいんだと思ってた。

「あたた、かい…」

自分の濡れた頬に手をやり、私はぽつりと呟く。

「何言ってるの!こんなに体を冷やして!」

そう言って彼女は暖かな手で涙を拭って、頭をゆっくりと撫でてくれた。

「事情はきかないわ。…だから、この町にいる間だけでもあなた、うちに来ない?」

「そ、そんなわけには…」

うろたえた私に、彼女はにっこりと笑う。

「大丈夫。さっき話した通り、もともとうちにはたくさんの人がいるし、一人増えたくらいどうってことないのよ!それに私、あなたみたいな娘が欲しかったのよ。あなたが来てくれたら私も嬉しいわ!」

「む、すめ…」

「ふふ、あなたみたいな美人な娘が来たら主人も息子も喜ぶわぁ!…あ、でもちょっとうちの人達変わってるんだけど…うん!大丈夫!全然問題ないわ!」

一人で自己完結して、彼女は優しい目で私を見つめた。

「出たいときに出てっていいの。だけど、帰るおうちがいろんなところにあるって素敵じゃない?旅をして、疲れたらちょっと羽を休めに来る場所。ね?」

私は、そう言って笑った彼女の顔を、せっかくの素敵な笑顔を、涙でぼやけた視界のせいで見ることが出来なかった。





「あ!そうだ!まだ自己紹介してなかったわね!私、若菜です!奴良若菜!」

少女のようにはしゃいだ声に、私は一瞬聞き逃しそうになった。

「ぬ、ら…?」

「そう!あなたのお名前は?」

私を覗き込むくるんっと丸い可愛らしい大きな目。

茶色がかったくせっ毛。

どこか見たことのある面影。



「あ!」



背中で若菜さんの声を聞きながら、私は逃げるように走った。

頬を伝う涙はまだ、暖かかった。





山吹の 茂み飛び潜く 鴬の 声を聞くらむ 君は羨しも

山吹の茂みを飛びくぐる鴬の声を聞いてらっしゃるでしょうあなたがうらやましいですよ




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