妹に似る草と見しより。
―…奴良組の出入りがあったらしい。
―…奴良組二代目が率いる百鬼夜行に勝る者はいないそうな。
―…この町も鯉伴様のおかげで平和じゃのう…。
浮世絵町の一番街。横道をさらに少し逸れた妖怪横丁で、そんな話を耳にはさんだ。
「お待たせいたしやした。化け猫定食です」
夜に華やぐ化け猫横丁に大きく店を構える『化猫屋』で晩食を食べるつもりだった私は、その声に顔をあげた。
そのとたん
―ガシャンッ
「あ…」
定食を持ってきてくれた人が驚いたように目を見開いて食器を落としてしまった。
ぽたぽた、とうどんの汁が着物に染みた。
「も、申し訳ありやせん!!」
落とした猫妖怪さんは慌てて定食を片付けて手ぬぐいで着物を拭う。
「構いません。どうぞ、そのままに」
「いえ!どうか、こちらのほうへ!」
必死な姿にそう言うが、落とした猫妖怪さんはそうもいかない、と言ってなかば無理やり私を店の厨房の方へ連れて行く。
「あ、あの…」
戸惑って、番傘を手にして手を引かれるまま店の奥へと連れて行かれた先は、手ぬぐいを頭に巻いた左目に黒模様のある猫妖怪さんのところだった。
「おい、猫三郎。お客さんをこんなところに連れてきてどういうつもりだ!?」
耳をぴん、と立てて怒るのは店の仕切り役であろう猫妖怪さん。
そんな猫妖怪さんに、猫三郎と呼ばれた猫妖怪さんが頭を下げながら何かを囁く。
すると、怒っていた猫妖怪さんは驚いたように今度はじっくり私を見てきた。
何かを確かめるように。
なんとなく、気まずくなって私は店の中に関わらず番傘を広げる。
「申し訳ありませんが…私はこれで」
そう言って、背を向けた私に、猫妖怪さんが慌てたように声をだした。
「や、山吹乙女様!?」
…!
肩を揺らして、私はゆっくりと振り向いたのだった。
「乙女様では…ありませんでしたか…」
場所は変わって、ここは店の二階の奥座敷。
そこで良太猫さんという方と向かい合っていた。
「はい。…あの、」
ここに、母を知ってる人がいる。
私の知らない、浮世絵町での母のことを。
どうしても聞かずにはいられなかった。
「失礼ですが、…その、山吹乙女さんというのは…?」
聞くと、良太猫さんは恥ずかしそうに頭をぽりぽりと掻く。
「あー…、ここ浮世絵町の妖怪任侠二代目の…前の奥様、です。今は、若菜様という人間の奥様がいらっしゃいますが…。いかんせん、あっしらにはまだ乙女様のことが忘れられなくて…。ああ、そうだ。さっきお客様に粗相をした三郎猫も実は乙女様に世話になったもんでして」
「世話に…?」
「ええ。乙女様は人間の子供のための塾や、妖怪の子供のお世話もしてくれていたんで。三郎猫もその一人なんですよ」
「そう、ですか…。あの、他にも話を聞いてもいいですか?」
「も、もちろんです!最近では乙女様のことを知る者も少なくなってしまったんで、こうして話せるのが嬉しいです」
そうして、私は母の話をたくさん聞いた。
人間も妖怪も分け隔てなく、この町の住人を大切にしていた、母。
この町が大好きだったということが。父が守るこの町が大好きで、父も母をとても大切に愛していたという話が。
胸にほんわりと暖かい光を灯した。
私も、この町で生きてみたい。
母が愛した暖かな、この町で。
叶うならば、父とともに。
「もちろん、今の奥様もとても素晴らしいお方です!人間なのに、立派に鯉伴様のことを支えていらっしゃる!今はリクオ様というお子様も設けられて幸せに暮らしていますよ」
「あ…」
急速に頭が冷えていった。
私は、今何を考えていた?
父と暮らしたい?
そのためには、リクオと奥様と父の幸せな生活に水を差すことになるではないか。
言葉を交わすだけでいい、と思っていたはずなのに。
今私が出て行けば、父はともかく今の奥様はどう思うだろうか。
昔の女の娘が、今さらと。
普通ならばそう思うだろう。
母の願いは守れずとも、母の愛した父の幸せを壊すことなんて出来るはずがない。
かすかに灯った暖かな光に、私は目をつむった。
父にだけは会いに行こう。
だけど、そのほかの者には決して私がお母さんの娘であることを知られてはならない。
父にだけは知っていてほしい。
母の想いを。私の存在を。
それから、この町を後にしよう。
そう。
私には、まだ成し遂げていない目的もあるのだから。
父を探すのと同時に、何十年もあいつのことを調べまわった。
母と“私”に涙を流させた、“狐”
母と“私”の一生を捻じ曲げた本人に仇を討つことを私はここに産まれたときから心に誓っていたのだから。
妹に似る、草と見しより、我が標し、野辺の山吹、誰れか手折りしあなたに似ている草だと、私が標(しめ)をした野辺の山吹を誰が手折ったのでしょうか[ 7/21 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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