東風にのせる山吹の願い。
結局、私はこの家に住むか住まないか決断しないまましばらく奴良組本家で療養させてもらっていた。
そんなとある日の午後。
部屋で物思いにふけっていると、後ろから突然声をかけられた。
「リン。今、でかけられるかい?」
「お父さん…」
私もよく気配を隠すことはしていたが、お父さんのは本当に気付けない。
それに苦笑しながら、私は頷いた。
「まだ、うちに残るか迷ってるんだってな」
どこかへ向かいながらの道中、お父さんが口を開く。
「…分からないんです」
私の言葉に、お父さんが首を傾げる。
「私は、何者なんでしょう。この体は確かにお父さんとお母さんから頂きました。しかし、それはもう一人の“私”がいたから。だからこそ…」
春の桜を散らす強い風が私達を吹き抜けていく。
「“私”が消えた私が何者なのか分からないんです。これからどう生きればいいのか…分からないんです」
お母さんと“私”との約束だから、これからしっかり生きていく。
お父さんのそばにもいたい。
だけど、この家にいることが私の生き方なのだろうか。
仇である羽衣狐を討った今だからこそ、生きがいをなくしてしまったようで。
「このままこの暖かい場所にいるのはとても心地いいです。…でも、私が生きてきた道はあまりにもここの人達とは違う。組の一員として生きる覚悟もない。…こんな私が、ここにいてもいいんでしょうか?」
私が今まで自分自身に問いかけてきたこと。
私の心の内など知らぬと鶯の鳴き声が爽やかな春の午後に響き渡る。
あまりに綺麗な歌声。のどかな日差し。
寒い道を歩き続けてきた私には、少し暖かすぎて。
怖く、なる。
「…その答えはオレが言うべきじゃねぇな」
「え?」
てっきり、何か言われるかと。
そう思っていた私に返ってきたのは、言葉こそ素っ気ないものの暖かな声だった。
「聞くべき人は、ここにいるんじゃねェか?」
「あ…」
目の前には、そろそろ季節が過ぎると言うのに美しく凛と咲く山吹の花。それと…。
『山吹乙女』と彫られたお墓。
「山吹もな、最初の頃同じように言っていた」
「…?」
「自分に組を支えられるでしょうか、とな」
愛しそうに山吹の花にそっと触れながら、お父さんは目を細める。
「それで…?」
「オレが何も言わなくても、そのうちすっかり組に溶け込んじまってたなぁ。…あいつが自分の中でどういう結論を出したのかは知らねェ。だが、そのためにいろいろと努力していたのは知っている」
「、!」
「うちの組にいるのもいろんな事情抱えたヤツばっかだ。どいつもこいつも一筋縄じゃいかねェな。…問題は、今リンがここにいたいと思っているかどうかじゃねェのか?覚悟なんざ、あとからいくらでもついてくる」
お父さんの言葉に、私は目を閉じる。
お母さんのお墓を前にして、最後に逢ったときの言葉を思い出した。
「貴女は戻って鯉伴様と、奴良組を支えてあげてください」そうだったよね。
最後のお母さんのお願いはもう変わったんだよね。
ここで、お母さんが愛した人達を支えること。
それが、お母さんの願いならば…
馬鹿ねくすくすと、山吹が笑った気がした。
驚いて山吹を見ると、確かにお母さんの声が頭に流れ込んでくる。
妾の愛している人の中にリンが抜けてるんじゃ意味ないわ。貴女が幸せになること。
これが、妾の最後の願い。
山吹の願い、なのよ。「お母、さん…」
幸せにすると言ってくれた若菜さん。
幸せになれと願うお母さん。
なんでお母さんってこんなに暖かいんだろうね。
「山吹は…何か言っていたかい?」
お父さんの言葉に、私はゆるりと笑った。
「ええ。幸せになれと…叱られちゃいました」
「そうかい」
お父さんがゆっくりと頭を撫でてくれる。
お母さんの声と同じぬくもり。
これが、幸せのぬくもり。
「風が冷えてきたな。帰るか…家に」
「…はい。帰りましょう」
丁寧にお墓を洗って、私達はそこを後にした。
帰る家に向かう私達の後ろ姿を、山吹がずっと見守ってくれていた。
春惜しみ 命惜しめと 吹き上げる 東風(こち)にのせる 山吹の願い了。
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