移ろひぬらむ山ぶきの花。



「リクオ、その娘は…」

リクオに手を引かれた私は、父と母の前で一瞬固まる。

不思議そうな顔で首を傾げながら私を見上げる幼い母の表情に、私のことを覚えていないことを悟ったからだった。

記憶を、失くしている…?

そんなことを考えながらも、私は父へと向き直る。

「あんた…」

父もやはり動揺しているようだった。

「山吹が…咲いたんだったな」

ぽつりと呟かれたその言葉に、覚悟を決めて私はすうっと息を吸い込む。

「花咲きて、実はならねども、長き日に、思ほゆるかも…山吹の花」

「!」

さあ、と春風が私たちの間を吹き抜ける。

それは、私が誰であるかを歌った歌。
それで父は全てを悟ってくれたようだった。

「そうか…。そうかい。はは、今日は不思議な日だ。夢ん中にいるみてえだ。…ようやく会えたな、リン」

「…はい。鯉伴様」

あえて父とは呼ばなかった。
リクオがそこにいるし、今ここで父と呼んでしまえば決心が揺らぐような気がしたから。

「いろいろと話したいことがあるんだが…。すると、この子はお前の子かい?」

父が手を握っている母を見下ろして言った言葉に、思わず声が漏れる。

「え?」

「違うのかい?俺のことを父親だと勘違いしてるみてえなんだが…」

「!」

その言葉に、慌てて首を縦に振る。

「は、はい。少し目を離したすきにいなくなってしまって…。ご迷惑をおかけしました」

…そういうことか。

私に手を出せないから、出来なかったはずの“もう一人の娘”として母の記憶を入れ替えたのか。

それならば、まだこの子が母とはばれていないはずだ。
私は少し胸を撫で下ろして、母に手を差し出す。

「こっちへおいで」

しかし、母は怯えてように父の背中に隠れてしまう。

母を父から遠ざけることが出来ずに困っていると、父が柔らかく笑う。

「いいじゃねえか。この子は…俺の孫娘ってことになるんだろ?甘えてくれて嬉しいんだよ」

「しかし…」

そう言って、本当に嬉しそうに…でも少しさびしげに笑われると、もうどうやって父と母を離したらいいのかわからなくなってしまう。

そんな私を、父は優しく抱きしめた。


「乙女と話してたんだ。子供が生まれたら一番に俺に抱かせてくれるってな。ずっと、こうしたかった。…生まれてきてくれてありがとよ」


父は、ずるい。

さっきまでの決心を、覚悟を。

たったこれだけの間に、私の世界を変えてしまう。

だから、もう会わずに母と共に逝くつもりだったのに。


「辛かったな。悪かったな、苦労かけちまって」

涙腺が崩壊した私の頭を、胸に抱いたまま父はぽんぽんとあやすように撫でてくれる。

その暖かな行為に、ここへ来る前の一抹の寂しさなど埋められてしまった。

お母さん、お母さん。
貴女の愛した人はとても素敵な人だったんですね。

私は、幸せ者です。

こんなに素敵な父と、優しい貴女の子どもに生まれてくることが出来て。

大好きな人を守るために命を賭けるときって、この世界からいなくなることが寂しくならないんですね。

何十年も生きてきて、悟ったと思えていたのにこんなことも私は知りませんでした。

最後にこんなことを教えてくれた父と逢うことができて、私は本当に。

幸せです。




身のうさに かさねてものを 思へとや 移ろひぬらむ 山ぶきの花

いろいろと人の身には物思いや憂目があるものですが、山吹の花は変わらずそこに咲いています



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