この春の雨に盛りなりけり。



意識もはっきりしないままに、私は彼の姿を求めるように浮世絵町をさ迷い歩いた。

つい先刻、関わるなと、突き放したばかりの彼を。

だって。
私のことを知っているのは彼しかいない。

お父さんには…会いに行けるわけがない。
娘の私だけでなく、お母さんまでもお父さんに関わってしまいそうだなんてどうして言えるだろうか。

だから、全てを知っている、唯一の彼を。
私を追ってきてくれた、彼を。

そんな私の願いもむなしく、だんだん長くなってきていたはずの日がゆっくりと傾いていく。
遠くで、ごろごろと腹に響くような雷鳴が聞こえた気がした。

ああ、春雷だろうか。

春の訪れを知らせる、神鳴り。
待ち遠しかったそれが、いつの間にか空恐ろしいものとなって私の胸の内に響く。

嫌だ。
もしも、お父様までもをあの狐から守れなかったら…それはひどく、恐ろしい。

やがて、霞のかかった空に浮かんだ悲しげな朧月夜。

お母さんは、もうこの地にいるのだろうか。

…もう一度、会えるのだろうか。


朧月夜を眺めながら、いつの間にか考えに耽っていた私は慌てて首を振る。

違う。
無理やり目覚めさせられたお母さんと逢うことは、再会とは違うのだ。

もしも、羽衣狐がお母さんに取りついてしまったのならば、私は覚悟を決めねばならないのだから。

そこまで考えて、私は再び月を見上げた。

私は羽衣狐を封印するために、こうして旅をしてきた。
狐が依代に憑くその時をもう何十年と待ってきた。

奴がこの世に現れたとき、初めて私の復讐の刃が奴に届くのだから。


そのためには、依代の命一つくらい、躊躇いなく消せると思っていた…はずなのに。

どうして、母なのか。

二人とも救いたい、と息巻きはしたが、それは計画とは違う。

…出来るだろうか。羽衣狐が憑いた母と、お父さんが対峙したとき、私は…

胸の中で黒いものがもわりと沸き上ってきたときだった。


―ドンッ

「あ…」

突然、足元に小さな衝撃を感じて見下ろして、私は目を見開く。

「リ、クオ…?」

「リンお姉ちゃんだ!」

元気そうに私の着物を握って笑う子供に、私は戸惑う。
もう再び会うことはないと思っていた。

「リクオ、なんでこんな時間に…。夜は危ないのよ?」

腰をかがめてリクオの目線に合わせると、リクオは悪戯っぽく笑う。

「だいじょーぶ!だって、ぼく、妖怪のそーだいしょうになるんだもん!夜なんかこわくないし、おとーさんみたいにりっぱな出入りをするんだ!」

屈託なく笑うリクオの笑顔に、私も釣られて思わず苦笑してしまう。

「そうだね。リクオは妖怪の総大将になるんだもんね。…でも、今はダメ。お姉ちゃんの言うこと、聞いてくれる?」

「えー…、でも…」

リクオが渋ったように顔をしかめたとき

「リクオ様!」

慌てたような息の上がった声に、私はばっと顔をあげた。



「あ、貴女は…」

「…首の無いお方」

探していた彼の、目一杯に開かれた瞳に、私は少しだけ後ろめたく思った。

「…リクオ様、こちらに」

彼が、私にひっついているリクオを呼ぶが、リクオは首を振る。

「やだよー!首無はすぐなんでもダメって言うから」

「それは、リクオ様がこんな夜中に、出ていってしまうからですよ!」

「だって、おとーさんが出入りにつれていってくれないんだもん!ボク一人でも出入りする!」

「リクオ様…」

困ったような首無と呼ばれた彼のもとへ押し出すように、私はリクオを背中を軽く押す。

「ダメよ、リクオ。出入りは一人じゃできないの。自分を信じてついてきてくれる仲間が必要なのよ。自分の、リクオの百鬼夜行が出来たとき、そのときに立派に皆を引っ張れるよう、今は修行しなきゃ。…皆を守れるように」

「ボクの…ひゃっきやこう…?」

「そう。リクオが妖怪の総大将になるなら、貴方が自分の百鬼夜行をつくるのよ」

「ボクのひゃっきやこう…」

私の言ったことを繰り返すリクオは次第に、目をきらきらとさせていく。

「うん!ボク、自分のひゃっきやこうつくる!そうしたらさ、」

リクオが首無のもとへ歩み出しながら、私を振り返る。

「お姉ちゃんも、ボクのひゃっきやこうに入ってね!」

「…っ、!」


また。

こうして、あなた達は私を期待させる。
私に夢を見させる。叶うことのない夢を。

それでも、百鬼夜行の主になるであろう小さなその子に、私は笑った。

「リクオが、そう言ってくれるなら」






「さ、リクオ様。雨が来ます。お屋敷に戻りましょう」

リクオを連れて行く首無に、私は思わず声をかける。


「もし、首の無いお方」

呼び止められた首無は戸惑うように私を振り返る。

「あの、鯉伴様に…」

言いかけて、止める。

首無の傍らには不思議そうに首を傾げているリクオ。

私は小さく息を吐いた。


「…いえ、なんでもありません。どうか、前に言ったこと…お忘れなきよう」

そう言って、私は小さくお辞儀をしてくるりと踵を返した。
そのとき


「リン様!」

「…っ!?」

なんで。

慌てて、振り返る。

そこには複雑そうに。でも、笑みを浮かべた首無が私を見ていた。

「乙女様と鯉伴様が幸せだったころ、言っていました。自分たちに子供が出来たら、男の子だったらリクオ…女の子だったら、リンと名付けようと。貴女様は、間違いなく奴良組の、家族ですよ」


「…っ!」

熱いものが喉元までせりあがってきた。

それを隠すように、もう一度深くお辞儀をして、私は今度こそ闇に消えた。



…もしかして、いいのだろうか。
私に帰る場所が出来ても。

いや、せめて羽衣狐との決着をつけてから、“私”の居場所をつくってもらっても。

そのとき、私はここにいないのだろうけど。


それでも、心の中の黒い靄は、少し晴れた気がしたのだった。




山吹の 咲きたる野辺の つほすみれ この春の雨に 盛りなりけり

山吹の咲いている野のすみれが、この春の雨のなか沢山咲いていますね。




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