かくしあらば何か植ゑけむ。



暗闇の中に浮かび上がる桜の木。

もう、慣れたもので、私はとくにためらいもせずに桜の木に近づく。

ひいらり、ひらり。

舞い散る花びらの下。

桜の根本に寄りかかっている“私”を見つけて、私は彼女の隣に腰を下ろしてゆっくりとその黒い髪の毛を梳く。

彼女は目を覚まさない。

一狐様が私達を分かれさせて、この状態になってから一度も目を開けないのだ。

もう、何十年前になるのだろうか。

彼女の声に応えて、私は母のもとに生まれた。

そこは、私がいたところよりも厳しく、そして暖かい場所だった。

思えば、産まれたときからずっと意識は私にあった。
そのとき、私は自分の中にこの子を吸収したのだと思ったのだけど、そうだとしたらこの子はいったい何なんだろう。
この暗い闇から抜け出したい、母に会いたいと泣いていた少女の願いを私は叶えてあげることは出来ていたのだろうか。

もしも。もしも、今までが全て私の意識のもとのものだったとしたら。

彼女は生まれてからずっと眠っていただけだとしたら。

目を閉じた“私”の隣で、私は舞い降りてきた桜の花びらを掴んだ。

「…だから、この体は必ず貴女に返してあげるから」


母との幸せを奪ってしまった私は、もういいの。

もし、貴女が今度“私”になるなら…どうか。

どうか、次は父様との幸せを手に入れることが出来ますように。

臆病な私には母だけでなく父との暮らしさえも貴女から取ることなんてできないの。

今の幸せから父様を奪うなんてできないの。

ああ、叶うことなら貴女がどうか。

私に似ずに、強くありますように。







「起きたか、リン」

低く心地よい声に、目を開けた私は頷く。

固い床に寝転がっていたはずなのに体が痛くないのに気が付いて私は苦笑する。

「一狐様。私なんかに高貴な毛並を貸すと汚れてしまいます」

尻尾がクッションのように柔らかく私を包みこんでくれていたことに笑って言えば、一狐は鼻をならす。

「そのような冗談は好かん。時間がない。本題に入るぞ」

言われて、私は正座をして背筋を伸ばす。

「羽衣狐が現れた」

「!!」

その言葉に、私はびくりと肩を震わせた。

外では、まだしとしとと雨が降っている。


「現世に奴の気配が一瞬漏れた。しかも場所はこのあたりで間違いはないはずだ」

「…こ、こに…?」

悪い予感が胸をよぎる。

考えたくないが、ここにはかつて羽衣狐の大願を破ったと言われるぬらりひょん。そして、その子である父様がいる。

まさか。

心の声が聞こえたのか、二狐様が柔らかな尾で背中を撫でてくれる。

「最初は、私たちは晴明を追っていたの」

「晴明を…」

二狐様の言葉を大人しく聞く。

うろたえるな、私。

場所なんて関係ない。

だって、私が必ず封印してやるのだから。

「そう。そして、晴明は地獄から“ある場所”に一度姿を現した。地獄にいる死人が現世に出るのは大罪よ。それさえも構わずに動いたから嫌な予感がしたのだけど…」

その先を言いよどんだ二狐様に首を傾げると、二狐様が口に、とある物をくわえて私に差し出した。

「こ、れは…」

私は目を見開いた。

山吹。

少し、萎れたそれ。

「お、かあ…さん…?」

手に取った山吹から流れ込んでくる情景。




暗い。

だけど、そこで満足してたのに。

やめて。妾に光をあてないで。

もう、放っておいて。

妾を、寝かせて…。




「これ、は、お母さんのお墓に…植えた、山吹、です…」

呆然としながら呟く。

「そうだ」

一狐様に、ぼんやりと焦点をうつす。

「お母さん、が、お墓が、…」

頭の中が混乱して上手く言葉に出来ないのを見かねて、二狐様が説明してくれる。

「地獄からわざわざ出てきた晴明が何をしているのか。私達は見ていたの。貴女には、とても酷な話かもしれない。…晴明は、山吹乙女を…あなたのお母様を反魂の術で、蘇らせたわ」

「よ、み…?」

だめだ。

違う、ここで怒るのは違う。

一狐様と二狐様の前なのに。

「なんで…?どうして、お母さんを…?母は、もう、じゅうぶんに苦しみました…!ようやく、あらゆるしがらみから解放されたのです!ようやく眠れたのです!なぜ、なぜ、まだ母を巻き込むのですか!」

「リン、落着け」

「なんで!なんでよ!もう、いいでしょ!?巻き込むなら私を狙いなさいよ!なんで、わざわざ蘇らせてまでお母さんを苦しませるの!?お母さんがあなた達に何をしたっていうのよっ!!」

「リン!!」


びりっと空気が震えて、取り乱していた私は我に返る。

「あ、あ…、私…。…すいません」

拳を握りしめて、唇を噛んだ私に、一狐様は溜息をつく。

「よい。気持ちは分かる。…しかし、お前の母が狙われたのには理由はある。地獄にいる我らの同胞からの話だ。どうやら、今回の件、晴明一人の話ではないようだ。お前の父が昔黄泉送りにした魔王、山ん本五郎左衛門も一口噛んでいるらしい」

「…何のために…?」

「それは、まだ分からん。だが、山ん本と、お前の母の反魂、そして浮世絵町での羽衣狐の気配…」

私は、握りしめた手の皮膚が破れ、生暖かい血が流れていくのを感じた。

「狙いは…父様ですね」

私の言葉に、一狐様は唸る。

「おそらく。…そして、お前でなく母が何かの駒に選ばれたのは、お前に狐の守護がついていたからだろう」

「狐の守護?」

そんなものをかけられた覚えがなくて僅かに首を傾げれば、二狐様が答える。

「あなたのお百度参りの最後。一狐様があなたの前に現れ、願いが成就されたときに稲荷大明神様がお印をおつけになられたの。あなたの行く末に幸あるようにと」

「そ、う…だったのですか」

「だからこそ、一つの身体に二つの魂を持っている不安定なお前が今日まで永らえているのだ。言ってみれば、今にもばらけてしまいそうなお前を縛ってまとめる紐の役目のようなものだろう」

大明神様が…。

このような儚い妖に気をかけてくださっていたことにじんと胸が熱くなったが、それで母様に狙いがいったのかと思うと複雑な気持ちだ。

「まぁ、とにかく。まだ、羽衣狐は依代に取りついたわけではないだろう」

「依代…とは、やはり母様ですか?」

聞けば、二匹とも迷わず頷いた。

「それ以外に、晴明がわざわざ危険を冒してまで反魂の術をする理由が思い当たらぬ」

「そう、ですよね」

認めたくはなかった。

しかし、それでは前に進めない。

認めて、それから母も父も救える道を、私が必ずこの手で…!

「しかし、なぜ、まだ羽衣狐が憑りついていないと言えるのですか?」

はた、と気になって尋ねると二狐様が微笑む。

「羽衣狐の気配がここに現れたのはまだ一度のみ。おそらく、隠れていた場所からここのどこかに身を潜めたときに漏れ出た気配でしょう。ならば、依代に取りつくにはもう一度気配を感じるはず」

「そういうことだ。我らはこれから羽衣狐の匂いを追う。お前は、来るべき戦いに備えて体を休めているが良い」

そう言って、早々に二匹は雨の中に飛び出していってしまった。

…私は。

私は、ここでお狐様に頼っているだけでいいの?

父様に危機が迫っている。

誰かに、知らせなければ。

誰かに。


何かに急き立てられるかのように、私はまだ濡れている番傘を手に取ったのだった。




かくしあらば、何か植ゑけむ、山吹の、やむ時もなく、恋ふらく思へば

こんなことになるんだったら、どうして山吹を植えたのでしょう。いつもいつも恋しくて苦しんでいることを思えば…




[ 12/21 ]

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