山吹は日に日に咲きぬ。



すう、と心地よさそうな寝息をたてるリンの寝顔を、一狐はゆっくりと首を起こして見つめる。

己はすでに稲荷神の神使を引退した身。

そんな自分に、白狐の使いが訪れたときには思わず首を傾げた。

…百度参りを続ける妖がいるのだが、これの対処に明神様が困っておられると。

なぜ、私に、と問いを返せば、その白狐は答えた。

葛の葉の匂いがすると。

葛の葉。私がまだ稲荷神の神使であったころの教え子。
そして今や妖へとその身を落とし、浮世をかき回す羽衣狐となった女狐。

それがなぜ。

疑問と興味と怒りが同時に沸き上り、二つ返事で私はその妖のもとへと飛んで行ったのだ。

しかし、そこで出逢ったのは足が限界に至って、何度も転びながら尚、無心で百度参りを続ける儚く消えてしまいそうなリンの姿だった。

彼女の不思議な生い立ち。
それは偏に、千年前に闇を望む葛の葉を戒めることのできなかった自分の不始末なのだと思い、彼女の想いを果たすのに協力を約束した。



それから数十年。

仇を取るためにと、リンの選んだ道は過酷なものだった。

地獄に行っても何度も転生してしまう羽衣狐を本当の意味で殺すことはできない。
ならば、封印してしまえばよい。

しかし、それも簡単なことではない。

一つだけ、彼女の話を聞いて思い当たった方法をぽろりと私はこぼした。

それはひどく残酷な方法。
しかし、二度とあの女狐が世に出てくることのない完全な封印。

それを彼女は静かな笑みをたたえて頷いたのだった。


リンの中には二つの魂が存在している。
波長があっていたのか、うまく溶け込んでいた二つの魂を、私は精神が壊れない程度に引き離した。

そうすればもちろん二つの魂を抱えている体は不安定になり、下手をすれば消えてしまう。

陽の光も、月の明かりも、慈しみの雨も。

全て拒絶する傘をさして彼女は復讐のために生きることを選んだ。

こんな方法で本当に良いのかと問えば、彼女は晴れやかな笑顔で頷いたのだ。

ここにいるのは母の暖かみを与えてくれた“私”であるべきなのだ。
本来、人間であった自分はもう十分なのだ、と。




ふと、意識を戻すとリンのまなじりからつう、と一筋涙がつたっていた。

それをぺろりと舐めて、一狐はあやすように尻尾でゆっくりリンの背中を撫でてやっていると、二狐と目があった。

「本当に、これでいいのでしょうか」

小さくこぼれた二狐の言葉に、私は答えずに尻尾を振る。

「この子だって本心はここにいる父と暮らす幸せを願っているはず。それなのにこんな残酷な報せを届けることしかできないなんて…」


二狐の悲しげな声を聞きながら、私は前足に顎を乗っけて目を閉じた。

それでも、二狐のこぼした言葉が自分の頭の中に何度も木霊する。

…本当に、これでいいのか。


答えのでないまま、時間はすぎていくのだろう。

せめて、その時まで少しでもこの子が笑っていられるよう。

天狐であるはずの自分の無力さに、胸が痛んだ。



山吹は、日に日に咲きぬ、うるはしと、我が思ふ君は、しくしく思ほゆ

山吹の花は、日に日に咲き開いています。ご立派でいらっしゃると尊敬しているあなた様の幸せをしきりに思っています。





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