山吹の花の盛りに。


ここ数日、自分がどのように過ごしていたかあまり記憶になかった。

ただ、暗い闇を照らすネオンの光に誘われる虫のように朝も夜もふらふらと歩きまわっていたように思える。

人の目には触れぬ力を使っていたから危なそうな裏通りを歩いていても誰かに声をかけられたり、何かに巻き込まれることもなかった。

だから、心ここにあらずとも何の問題もなかったのだ。

そうやって過ごした数日間、私の想いはこの間の出会いのもとにあった。

奴良、若菜。

お父さんの、奥様。

会わなければ、よかった。

会わなければ、再びこんなにも気持ちが揺らぐことはなかっただろうに。

とても、素敵な女性だった。

私がお父さんの前の女の子供だとしても、暖かく迎え入れてくれると想像できるほどの。


だからこそ、自分の存在であんな素敵な人の顔をもしも曇らせるようなことがあってはならない。

“人”が、前の女の子供に分け隔てなく接することはとても難しいことだと、学んできたから。






「乙女…様?」

考えにふけっていた私の頭が急速に冷えていった。

この声は、聞き覚えがある。

それも奴良家の門前で。

人には見られずとも、気配を絶ち、存在に気付かれなくしているだけなのだから力ある妖には見られてしまう。

私は、番傘を握る手の力を強くして、足早にそこを立ち去ろうとした。

―が。


「お待ちください!」


そんな私を、その人は走って追ってくる。

生憎、ここは人通りも物陰も少ない道で姿をくらますには少々難儀なところだった。

目の前には、ここ数日降り続いている雨のせいで水かさが増した川。

諦めて、足を止めた私を追いかけてきたその人は少し震えるような声で私に呼びかける。

「山吹、乙女様…ですよね?」

再度の問いに、私はどうしたらいいかとぐるぐる頭を悩ませた。

ここは違うと言うべきなのか。

しかし、母を知っている者だったなら、じゃあお前は誰なのかと問われることは必須。

どっちにしろ、母のことを明言してしまうのならばしばらく様子を見るために沈黙することにした。

「なぜ、戻ってきたのですか…?」

後ろから聞こえる涼やかな声は、多少ためらいながらもはっきりとそう聞いた。

「乙女様が出ていかれてから数百年。鯉伴は…鯉伴様はずっと苦しんでおられました」

胸が、ずくりと痛んだ。

「ですが、ようやく…ようやく、新しい幸せをあの方は掴むことが出来たのです…。ずっと暗い影を落としていた鯉伴様がようやく明るく笑ってくれるようになったのです…!なのに、なぜ、今更…!なんで…!」


心からの彼の叫びなのだろう。

そういう心の機微を察知する能力に、私は生まれながら長けていた。

だから、彼の本当の叫びも聞かずとも分かった。

「なぜ…!出ていってしまわれたのですか、山吹乙女様!!」

痛んだ胸が今度は抉られるようだった。


「子が、出来ぬと。跡継ぎを産めない女に、その場所は辛かったのです」

私は、雨に消えてしまいそうな声で呟いた。

「子が、出来ぬのは…」

言いかけた言葉を遮って、私はその人を振り返った。

「知っています。狐の呪いでしょう。でも、そのときは誰も知らなかったのでしょう!?母が、子供を産めぬ自分にどれだけ絶望したかわかりますか!?陰で交わされる跡継ぎ問題を何十年と聞いてきた母の心の痛みが分かりますか!?」

気付いた時には、叫んでいた。

そんな私を雨の中傘も持たずに、声と同じく涼やかな顔の男の人が驚いたように私を見ていた。

「乙、女様…?母…?」

戸惑う彼に、私は積年の心の叫びをぶつけた。

「鯉伴様はようやく新たな幸せをつかむことが出来たと?母は、自分が亡くなる最後のときまで鯉伴様を想って息をひきとりました…!鯉伴様に訪れたような、新たな幸せをつかむことなく、ずっと鯉伴様を想い、そして自分の行いを責め、あなた方のもとから去った後も母は悩み、苦しんで、苦しんで…!この世を、去ったのです…」

ばしゃ、と私の手から落ちた傘が音を立てて地面に転がった。

雨とも涙とも分からぬ水の筋が私の頬を伝っていた。

「乙女様、では…ない…?あなた、は…もしや」

「分かっています。悪いのはあなた達本家でも、逃げてしまった母でもない。真に憎むべきは、私が生まれるのを妨げた狐の呪い。…ただ、間接的にしろ、母を追いつめたあなたに少し、激情してしまいました」

すいません、と私は頭を下げる。

「あなたなら、分かってくださると思い、名乗らせていただきます。私は、山吹乙女と鯉伴様の娘…山吹リンと申します」

「乙女、様の…娘?そんな、馬鹿な…」

降り続く雨が私達を濡らしていく。

「母が本家を去って数十年、縛られていた狐の呪いをかいくぐり私は生まれてきました。…首の無いお方。貴方様は大変聡明でいらっしゃられるから分かると思いますが、私のことは話してはいけませんよ」

言葉を失くしてしまったその人に、私はそう言って落としてしまった傘を拾い上げた。

そのとき。

雨の止むことのない空から青い光が二つ、駆け下りてきた。

それは、宙を翔ける二匹の大きな狐。

それを見て、私はもう一度首の無い妖を振り返った。


「この雨は春の訪れを知らせてくれているのでしょうね。…春に咲く山吹の花が変わらず、母が愛した鯉伴様とこの町を永遠に見守ってくれるでしょう」

察しのよさそうな彼なら分かるだろう。

山吹の花が咲くころに、私はこの町から去ることを。

そして、二度とここへ訪れることはないこと。

だから、私の存在は彼の胸の中に一生とどめて漏らさないでほしいということを。

何か言いたいが、言葉が出てこない。そんな彼に少しだけ笑みをもらして、私は翔け降りてきた狐のうちの一匹にまたがり、その場を去った。

私を追いかけてきたその人は、私の視界から消えるまでその場から動くことはなかった。




山吹の 花の盛りに かくのごと 君を見まくは 千年にもがも

山吹の花の盛りに、このようにあなた様にお会いすることが、いつまでも続いて欲しいものです。
転じて、山吹とともに愛しい貴方のことをいつまでも見守っています


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