まるで、呪いだ

初夏特有の湿気の多い風が私たちの身体にまとわりついてくる。私は、自分の手を強く引いてずんずんと前を歩く見知った赤髪に制止を請うた。

「赤司くん…!はなして、っ」

私が彼の名前を呼んだ瞬間、もう随分と長い間握っている腕の力がより強まった気がした。繋がれている部分が大分と汗ばんできている。彼の表情は、分からない。ただ、授業が終わってすぐに、クラスが違うのに教室まで来て私を連れ出した時の赤司くんの目は深く澱んでいたことは覚えている。
彼の目を濁らせている理由に合点がいく私は先ほどのようにずっと抵抗を続けているが、勿論その抵抗を彼が受容してくれるはずはなく、結局はいつものように無言の命令に従うこととなった。

体育館裏まで足を運ばせると、赤司くんはやっと立ち止まった。数分ぶりに離された、どちらかの汗によって湿った手に吹き付ける風が涼しい。
体育館から聞こえてくるバスケ部員が部活の準備を始める音に、私は息を整えるのもそこそこに、静止したまま動かない背中に声を掛けた。

「赤司くん!部活行かないと、」

「名字で呼ぶなと何度も言った筈だ」

でも、振り向きざま私の声を遮るように返って来た答えは私が放った話題とは全く無関係なもので。
このままでは話が進まないと判断した私は、久方ぶりに二人称をかつて呼んでいた呼称に戻した。

「…征十郎」

体育館の溝に生えている草を凝視しながら、吐き出すように口に出す。その表情からはありありと不快感が見て取れた筈だが、赤司くん、もとい征十郎は今日初めての笑顔を見せた。

「部活には遅れると緑間に伝えてあるから心配しなくていい。それより翠、君が同じクラスの中岡という男と付き合っているという馬鹿馬鹿しい噂を耳にしたんだが」

「本当だよ。昨日から付き合ってる」

その話題を出されることを征十郎が教室に姿を現した瞬間から踏んでいたため、今度は私が征十郎の言葉を遮るように返した。私の応答が予想と反していたのかゆるく上がっていた口角がピクリと動いたが、疑ってかかっているのだろう、まだ笑みは崩れない。
それもそうだろう。征十郎は自分が絶対だと豪語する人間だ。私の返答が本当ならば、彼は絶対ではないということになる。

「相変わらず空気が読めないな。今は冗談を言う雰囲気じゃない」

「…っ征十郎のバカ!」

「翠に免じて一度だけは許す。言動に気をつけるんだ」

「征十郎が信じないからでしょ!バカ!バカ!!」

征十郎の有難い警告も無視して、幼稚な言葉を投げつけ続けると突然背中に衝撃が走った。

「…ふ、ぅ…せいじゅーろ…」

私は今、首を掴まれて思い切り壁に叩きつけられたのだ。
改めて恐怖を覚える。

自分を愚弄されたとはいえ、幼馴染みである私を容赦なく痛めつける行動に出られる彼の精神状態に。

いつもは私より少し高い目線が、首を掴まれたことによって顔を上げさせられているので同じくらいの位置にある。私の首を掴みあげたまま、彼は端正な顔をぐっと近づけてきた。

「…翠。」

その声色で、その表情で、名前を呼ばれることの意味を私は征十郎と過ごした14年間で身を以て理解しているが、もうこれ以上彼に服従することに嫌気がさしている私は口をぐっと固く閉ざした。

「…!?」

途端に、先ほどの比ではない圧迫感が気管を襲う。おかしい。信じられない。彼は私の首を絞めている。このままの力を私の首に加え続ければ、いずれ死ぬ。それほどの握力で。
私は結局、屈するしかないのか。悔しさと生理現象が混じった涙が苦しさのあまり細めた目からこぼれる。

「ぅぐ…ごめ、なさ…ごめ…」

うわごとのように呟いた言葉が彼の望んでいたものだったので、あっさりと力は緩められる。だが、依然首には征十郎の手が回ったままで、危機感は一瞬たりとも拭えない。

どうして。いつからこんなふうになっちゃったんだろう。

「も、やめてよ…もうやだよぉ…」

最初の反抗心はどこへやら、私の目にはきっともう怯えの感情しか残っていないだろう。
どうやっても離れられないのか。彼に支配され続ける運命を受け入れなければいけないのか。征十郎は濁った目でなおも笑い続ける。

「翠、泣かないで。俺は怒ってるわけじゃない。もう一度聞こう。…君は、中岡と現在恋愛関係にあるのかい?」

一度、頷く。
征十郎の濁った目が揺れ、私の命を握っている手にも少し力が篭る。

「そうか。じゃあ次は質問じゃない、命令だ。今すぐ別れろ。いいね?」

一瞬の間ののち、もう一度頷く。
服従の意思を確認した征十郎は満足そうに笑い、涙の線を伝うように私の頬にくちづけた。

「分かればいいんだ。いいかい、僕と翠は深く繋がっている。恋愛なんてくだらない感情に俺と翠の関係に茶々を入れさせたりはしない。」

脳内を恐怖に冒された私は、征十郎の言葉の意味もわからずにただただ頷く。
体育館から聞こえてくる部員の活気づいた声と、扉一つ挟んだこちらの状況とのあまりの正反対ぶりに不思議な感覚に陥る。

「最近、俺のことを避けたり距離を置いたりと不審な行動をとっていたようだけど、それは無駄なことだから」

わかってる。ごめんなさい。ごめんなさい。

「もし、今度俺から逃げたり、俺以外の誰かを傍に置こうとしたときは、今度こそー…」

もう、逃げたりしないから。自由を求めたりしないから。

「…殺すよ」

殺さないで。


吹き付ける風と同じように、身体にベッタリとまとわりついてくるその言葉は。

まるで、呪いだ





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