火神の場合

彼の部屋番号は勝手に指が記憶している。
迷いもなく三桁の数字を入力すると、ピーンポーンという無機質な音がマンションの玄関内に響き渡った。
しばらくして受話口から聞こえてきたのは、いつもより少し低い愛しい人の声。

「…はい」

「開けろ、大我」

「…っえ!?翠!?」

「開けて」

「いや、てかなんで…って、オイ!!」

何度開けろと言っても聞かないので、マンション内に通ずるガラスでできたオートロックのドアを拳で叩きまくってやった。音だけで大我は私がどんな所業をしでかしているのか察したらしく、数秒後その扉は開いた。私は一人で暮らすには立派すぎるマンションのエントランスを早足でくぐり抜ける。
夜遅くまで部活を頑張って、疲れ切っている彼氏の家にいきなり上がり込むなんて非常識的だ。わかっているが、我慢できない。
エレベーターに乗っている間もせわしなく貧乏ゆすりをする私。エレベーター内の壁に取り付けてあった鏡には、目をギラつかせている肉食動物が映っていた。まあそんな女子らしからぬ表情をしているのも仕方ないだろう。

私は大我とキスをしにきたのだから。

大我の部屋のドアに到着すると、もう一度インターホンを押す。今度はすぐに扉が開いて、Tシャツにジャージという部屋着姿の大我が顔を覗かせた。気だるそうに頭を掻く大我の顔を見上げて、こんな図体のでかい男に厳重なオートロック必要ないだろうとふと思う。

「お前…公共物破壊しようとすんのやめろマジで」

「ほんとに割ったりするわけないじゃん。お邪魔しまーす」

「あっ!」

未だ半開きのドアを全開にして、大我の身体をぐいぐい押しながら部屋の中に入る。大我の力なら私を家から追い出すことなんていとも容易いはずなのに、こうやってされるがままリビングまで押されてくれるところに彼の優しさを感じた。優しさにかこつけて押しかけちゃってすみませーん。

身体は押されてくれてはいるが、大我の口はまだやかましく動いている。リビングのソファーの近くまでたどり着いて私が大我の肩を押す力を緩めると、横を向いていた身体をバッと私の方に方向転換させてきた。

「何しに来たんだよ!こんな夜に外出歩いてんじゃ、」

「ごめん、大我とキスしたくなっちゃって」

「…は?」

口を大きく開けて、私の発言に呆気にとられている大我の身体を再度強く押し、ソファーに無理矢理座らせる。大我が抵抗する隙も与えず、膝の上に馬乗りになって密着してやった。

「ちょ、翠…」

「ね、しよ、キス」

「しよ、って…」

さっきまで騒ぎ立てていた勢いはどこへやら、顔を真っ赤にして目を白黒させる大我。男らしい胸板に乗せた私の両手をひっぺがし、出来る限り私と距離をとろうとする。

「落ち着けって…とりあえず離れろ」

「とりあえずって、離れたらキスしてくれんの?」

「や、そうじゃなくて…ってかどうしたんだよいきなり」

「だって今まで一回もキスしたことないじゃん!!!」

いつまでも歯切れの悪い大我に業を煮やして、とうとう私は大声を上げてしまった。
何なんだよ、理不尽なのはわかってるけどさ。強引にキスの舞台をセッティングしたとはいえ、もう準備は整っちゃってるんだから男なら腹決めろよ。
大我は私の言葉にぐっと唇を噛んで俯く。何だこのチキン、この期に及んでまだキスしやがらない。項垂れてがっくりとソファーに座る大我と、その上に乗っかって大我を睨む私、というシュールな体勢のまま気まずい沈黙は続く。

火神大我は、見かけよりもずっと優しくて、繊細で、臆病だ。勿論そういう所が魅力だと思うし、そんな大我を好きになったんだけど…付き合ってもう半年経つのにキスもしてこないのってどうなんですか。
それを大我と同じクラスの黒子に相談したら、「ないですね」とバッサリ返された。私もないと思う。


「そんなことないって分かってても、好かれてないんじゃないかってやっぱりちょっと思っちゃう」

「…」

あーあー。完璧困らせたな。段々肩の力が抜けてくる。大体彼氏の家にキスするためだけに特攻するとかどんだけサカってんだよって普通思いますよね。

「性欲魔神でごめん。疲れてるのにいきなり家来たりしてごめん。」

一気に頭が冷えてきた私は淡々と反省文を読み上げるように述べて大我から離れた。
…はずだったんだけど。

「…っ、女が性欲魔神とか言うなって…」

「…大我…?」

大我の膝から離れたのに、さっきと同じ距離に…いや、さっきより近いかもしれないぐらいの距離に大我の顔があるのは何で。(今日のところは)大人しくずらかるつもりだったのに、身動きがとれないのはどうして。

「…嫌なんだよ。付き合った途端、とか、そういうの目的で付き合ってると思われんのとか」

私の顔の横に置いてある手を握っている大きな手を見つめながら、回らない頭でぼーっと考える。

「翠に触りたい。でも同じくらい大事にしたい」

そうか、私、

「けど…それが翠を不安にさせてたなら………悪かったよ」

今大我に押し倒されてる。自覚したとたんに顔に一気に血が昇る。さっきは勢いに任せてたから気づかなかったけど、私こんな恥ずかしいこと大我にしてたんだ。

「聞いてんのか、オイ」

「いだっ」

完全に脳がお散歩状態の私のおでこを軽く叩いた大我も、私と負けず劣らず赤い顔をしてると思う。

「ごめん、緊張して全然聞いてなかった…」

「んだそりゃ。お前がふっかけてきた癖に」

未だ真っ白になっている頭を必死で回転させ、大我が話していた言葉を反芻する。
要は、きっと、私のこと大好きって言ってた。

おそらく一世一代の独白だったであろう大我の言葉にまったく反応できないでいる私を責めるように大我がキッと鋭い眼光で睨んでくる。けど、それが照れ隠しだと分かるからつい笑ってしまう。
私は大我からもらうものならなんだって嬉しいんだよ。
くれたものと同じくらいの、いや、それ以上の思いで応えるから、怖がらないで。
私はそっと大我の頬に右手を寄せ、まぶしい光を前にしたときみたく目を細める。
そして、今日ここに来てから再三口にしている言葉をもう一度唱えた。

「ねえ大我、キスして」


「っ…マジ、どうなっても知んねぇからな」

私の肩に顔を埋めて、唸るように言った大我の頬を撫でる。首を起こした大我が、濡れた瞳で私を見つめた直後に重ねられた唇は、

「ー…」

想像していたよりずっと乱暴で、熱くて、
やっぱりちょっと震えていた。

火神大我+キス
=やるときゃやります



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