僕だって恋くらいする


 プラットフォームから走り出した電車はあっという間に見えなくなった。周囲の暗さと反比例して明るい駅のベンチ。座り込んだまま動けないでいる。別に辛いわけじゃない。ただ、疲れただけ。
 
 自分にしては長続きした方だと思う。半年と三ヶ月。誕生日も、花火大会も楽しめた。ここ最近は喧嘩ばかりだったけれど彼を恨むつもりはない。大学生になって出来た初めての彼氏。優しくて暖かい手のひらで撫でてくれる彼の、辛そうな顔はもう見たくなかったから。

「ごめん、出雲ちゃんといると疲れるんだ」

 先ほど告げられた言葉がリピートされる。彼が我慢をしているなんて気づけなかった。一緒に楽しんでくれているものだと思っていた。……こんなだから、振られちゃうのね。自嘲気味の笑いが虚しく溢れる。
 昔から人付き合いは苦手。面倒だし、大変だし。今だって両の手で足りる程度の友人しかいない。別に無理して他人に合わせる気なんてさらさらないけど、自分にも問題があるのには気づいていた。好意を向けられても素直に喜べない。裏があるんじゃないか、なんて疑心暗鬼にかられる癖に一人ぼっちは怖い。随分なわがままだ。高校の時から変わらない性格を矯正する事は最早諦めていた。

 疲れる、ね。
 認めたくないけれど簡単に心を抉ったその台詞を放った彼は電車に乗るまで一度も怒りはしなかった。いつだって彼に怒られた事なんかなかった。それと同時に、彼が心から笑っている顔を私は思い出せないでいる。デートの時、一緒に講義を受けた時。彼が浮かべるのは曖昧な笑み。いつから無理をさせてたんだろう。遅すぎる後悔に胸が痛くなる。楽しかった関係が崩れる音でさえ、私は聞き逃していた。

 寒さが全身を包む頃、涙は引いていた。マフラーで痛み始めた頬を隠して歩き出す。早く、帰らないと。一人暮らしとはいえ明日だって講義がある。サボってもいいのだけどそんなのプライドが許さない。震える足で向かった駅の昇降口にいたのは、懐かしいにやけ面だった。

「志摩、あんた」

 突然の衝撃によろける。犬みたいに駆け寄ってきた志摩に抱きつかれ、一気に暖かさが全身に回る。

「久しぶり、出雲ちゃん」

 彼と同じ呼び方なのに全く違う、馬鹿みたいにふにゃふにゃな声。二年ぶりのその声によく分からない感情が押し寄せてくる。
 何、勝手に大きくなってるのよ。
 すっぽり腕にはまってしまう頭一つ分違う身長差。昔と違って少し筋肉質になった。

 なんで都合よくここにいるのとか、あんたって相変わらず馬鹿なのねとか。言いたい事は山ほどあるのに、志摩が本当に真っ直ぐにぶつかってくるから何も言葉が出ない。
 漸く少し離れた志摩の指がマフラーに柔らかく触れる。そうしてまた相好を崩す。

「まだ付けとってくれたん」

「……だったら何よ、アホ」

 ただ使い心地がよかっただけに決まってるじゃない。気持ち悪い。

「戻って来るなら連絡ぐらいしなさいよ」

 例え今は付き合ってなくても、昔の仲間でしょ? ちょっと鼻を啜れば自然に出てくるティッシュ。変わってない、こういう変に準備がいいところも。付き合っていた頃と何にも変わらない。

「一番最初に出雲ちゃん驚かそないと思って。堪忍やで」

 だって出雲ちゃんが好きなんやもん。なんて。
 軽口とともに出てきた言葉に心臓が跳ねる。へらへら笑う顔に救われるなんて初めてだわ。
 今日はちょっとセンチメンタルな気分だから。傷心中なの。自分に言い訳して言葉を振り絞る。

「あんた、よくこんな面倒な女好きね」

 一緒にいたら、疲れるでしょ? 無理、してるんじゃないの?

「はぁ? 俺は出雲ちゃんの素直になれないところもツンデレなところも大好きやで!」

 いきなり顔が熱くなる。馬鹿だ。本当にこいつ馬鹿だ。照れも臆面もなく言われた台詞がはずかしい。

「……気持ち悪」

「ひどっ!? 出雲ちゃん相変わらず酷過ぎやぁ」

 男の泣き真似なんて可愛くないのよ。というか、いい加減真っ直ぐすぎるのよあんたは。ひねくれて疑ってるこっちが馬鹿みたいじゃない。赤いマフラーを巻きなおして上がる口端を隠す。


 もうとっくに吹き飛んでしまった泣きたいような気持ちの代わりに、私の心には新しい始まりの予感が芽生えていた。

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