そんな君知らない

 小さい頃から柔造の周りにはたくさんの人がいた。志摩の次男坊という席は心地良かったし、自慢の矛兄もいた。
幼馴染みの蝮も矛兄になついていたが、それはただの憧憬だと思っていた。誰よりも強くて誰よりも優しい矛兄は柔造の憧れだった。蝮も矛兄の事を話す時だけは目を輝かせて柔造を見るから、そんな時間が柔造は嫌いじゃなかった。少し、チリチリと得体の知れないもやもやした感情に駆られる事もあったが、矛兄が大好きだった。
だから蝮も同じように矛兄が好きなのだと、今日まで柔造は勘違いをしていたのだ。



――呆然と兄の遺体を見つめる。柔らかく微笑む顔も、柔造をよく撫でてくれた手もぴくりとも動かない。
まるで眠ってるみたいや。
青い炎に焼かれたと聞いていた兄の遺体はとても綺麗で死んでしまっているなんて柔造には信じられなかった。

「ほら、柔造。矛兄に最後の挨拶しい」

誰かが柔造の小さい背中を押す。よろけて前に出れば急に不安を感じる。なんや、みんな。心細さに思わずお父を振り返った。いつものように、柔造は甘えたやなぁって笑って欲しくて。
振り返った先のお父の顔は、初めて見た冷たさだった。悲しみに暮れてはいるものの、柔造をあやすようないつもの笑みはない。

「おと」
「なんや柔造。志摩家の跡継ぎなんや。しゃんとしぃ」

矛兄はもうおらんのやぞ。
そう付け加え、矛兄の遺体に向き合えと促される。

まるで眠ってるみたいな“志摩家の跡継ぎ”の顔。坊と廉造を守って死んだ、最後まで立派に勤めを果たした矛兄。
その無表情な顔にひくりと何かが込み上げそうだ。矛兄が、志摩家の跡継ぎやん。俺は志摩家の跡継ぎやない。俺は志摩家の次男坊なんや。俺は、俺は。

「さっさとしぃ。矛兄はもういないのえ」

立ち竦んでいた俺の横にすっと蝮が並んだ。手短に焼香を済ませ、未だ現実を受け入れられない俺を一瞥する。


「志摩家の跡継ぎがこんなんやったら、私はもっと頑張らなあかんなぁ」

「蝮!」

「せいぜい“跡継ぎ”に押し潰されんようになぁ」


周りが何か言っていたが、蝮の言葉しか聞こえなかった。あまりにも図星過ぎて。こんなにも重い跡継ぎなんて肩書きを矛兄をおっとったんか。でも矛兄、全然そんな様子見せへんかった。いや矛兄だけじゃない。宝生家の跡継ぎである蝮も。今まで俺と同じように遊ぶどったやないんか。大人たちの期待が重々しく圧し掛かってくる“跡継ぎ”なんて肩書き。

 あいつ、なんなん。あんな大人に混じって堂々してる蝮なんて俺は知らん。

知らんよ、蝮。

こんな重いもんしょっとったお前も、こんな重いもんの背負い方も知らん。
 馬鹿みたいに蝮を見つめれば、小さな白い掌が震えているのに気がついた。照れながらも矛兄だけには握らせていた小さな手。その手を握る人物はもういないのだ。俺が大好きな矛兄を失ったように、蝮の憧れの人はもういなくなってしまったのだ。その事がとても悲しくて、でも“志摩家”の、跡継ぎである俺が形振り構わず蝮に駆け寄るわけにはいかなくて。何より言い訳をしつつもぴくりとも動かないこの足ではたどり着けるわけがない。
 なんや跡継ぎって。俺は志摩柔造ちゃうんか。周りの大人がいう台詞の一つ一つが重石の如く動きを縫いとめた。たった一人、同じ跡取りの宝生蝮のように自由に動くことすら適わん。蝮は、俺の幼馴染は手を震わせながらも必死に期待に沿おうとしていた。十つにもならん蝮は、こんなに強かったんか。
 ただ見つめた蝮の横顔に矛兄の影がふわりと重なる。

 ああ、そうか。蝮にとって矛兄は憧れの人だったんじゃない。たった一人の理解者だったのだ。そして、泣き虫で意地っ張りな蝮が唯一甘えられる相手はもうどこにもいなくなってしまったのだ。

 そのことを理解した瞬間、なぜだが溢れてくる熱いものを抑えることはできなかった。
 矛兄は、死んでしまったんや。

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