伝わらない


 奥村先生。他人行儀な呼び掛けに緩慢に振り返れば目元を腫らした神木さんがいた。つり目がちな瞳は潤んでいて、直前まで泣いていたことを思わせていた。

「私じゃ駄目ですか」

「うん」

「代替でも何でもいいんです。隣にいたいんです」

「駄目だよ」

 僕だって君に溺れてしまえば楽だと思う。何も考えず緩やかに腐敗していく世界に身を投じれたなら、酸素が足りなくてもがくだけの日々よりはよっぽどましだろう。

 休み時間中の廊下。普段から人通りが少ない階段の手前で、神木さんは距離をつめてきた。紫がかった髪、さらりと間から零れた表情は小動物のよう。頬に手を伸ばせば、跳ねる身体が愛らしい。
 ……全然、似ていない。

 試しにと行いかけた動きはやはり無駄だった。彼女相手ならば喉が渇けば、水を飲むようにごく自然に唇まで手が動いたはずだ。熱さをましていく伝わる体温に冷えていく僕の心。違う。違うんだよ。

「兄さんの方が近いんじゃないの」

 勝呂君には、とは口の形だけで。触れたまま吐き出した言葉は予期せずしてきついものになった。なんで僕なの。誤解されやすい外側も真摯な内面も兄さんの方が似ているじゃないか。

「……私は、霧隠先生に杜山よりは近いと思います」

 あはは。何を言っているんだろうか。それじゃあ適わないって吐露しているようなものだよ。勝呂君もシュラさんも、僕らの事なんか見ていない。彼らが見ているのはいつだって光の先だ。光を追いかけるのは眩しいし辛いから手身近なもので紛らわせようとするのは実に人間らしい解答だけれど、相手を間違えてるよ。

 甘えにも依存にも僕は縋る気はないんだから。慰めが欲しいならもっと別の人間をお勧めするよ。

 思ったままの感情をぶつければ、ひゅっと息を飲む音が聞こえた。頬に置いた手を引けばまた泣きそうな顔。なんだか煩わしさよりも息苦しさを感じて眼鏡の位置を直した。もう授業が始まる。

「氷、保健室で貰ってきといた方がいいですよ」

 結局最後まで彼女は僕の言葉に頷かなかった。









 純粋に好きと言えない神木さんと、歪み過ぎて人の好意を信じられなくなった雪男君のお話。

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