青い鳥

「あ」
 
 テスト週間に入りそそくさと周りの塾生が普段より早く帰りの支度を終えるなか、宝生蝮は鞄の中を覗き込み間抜けな声を漏らした。さぁっと、血の気が引く音がする。あかん、祓魔薬学のプリント今日が提出日やった。金曜日は祓魔薬学がないので資料室に置いてきてしまっていた。普通の学生が寮以外の場所へ鍵を緊急時以外に使うことは原則禁止されているから歩いて取りに行かなければならない。しかも珍しく溜めてしまっていたプリントなので全く手をつけていない。ただでさえ往復で時間を取られてしまうのに、今日中に終わるかどうか。
 周りを見渡せば殆どがそれぞれの友人と帰路につこうとしていた。内心で項垂れる。小さい頃から蛇が大好きで友達を作る術なんかしらなかったし、明陀の皆は遊んでくれてはいたけど東京の本部に進学したのは私しかいなかった。
 ……そもそも、プライドの高い自分が素直に手伝ってと言えるかどうか怪しいところだけれど。無駄に虚勢を張って、周りを突き放してしまう。そんな自分が嫌で変わろうとした事は何度もあったけどそれと同じ数だけ失敗してきた。だから普段なら失敗なんかしなかったし周りを頼らなければいけない状況になんて絶対にならないようにしてきたのだけれど。
 じんわりと目のふちから零れそうになる何かを必死に押し留める。

 駄目だ、こんな所じゃ泣いちゃいけない。
 思えば思うほど視界は歪んでいって止まらなくなる。たかだプリントくらいの話だろう。だけど生まれて初めて明陀から離れて、たった一人なんだと再認識してしまった私はもう俯くことしか出来なかった。跡継ぎとして、父様みたいに蛇を使えるように。もうあんな夜に怯えなくていいように。そんな最後の意地が決壊しそうだった。


「蝮?」

 聞きなれた声がする。顔をあげた拍子に落とした涙を慌てて拭えば、間抜け面の柔造が目に入った。ブレザーに鞄を背負った姿を見て、そういえばこいつは教室移動だけは早めに行うなぁ、なんて思い出す。最悪だ、本当に。
 一番見らたくない相手のはずなのにぽろぽろと止まらない涙は志摩の顔を驚きから難しい顔に変えた。てっきり、笑うかと思ったのに。ぴくりとも笑わないで志摩は口を開いた。あまりに真剣な顔に今の今まで出ていた涙が引っ込む。

「なんで泣いてるん」

「お申には関係ないやろ」

 ほっといてや。幼馴染だからって私に構わんといて。そんな酷い言葉を吐きそうになって慌てて飲み込む。バツの悪さから八つ当たりしてしまえば、また喧嘩になってしまう。会えば喧嘩するこの短気な男と言い争いをする余裕はなかった。泣いてなんかないで早く寮に帰らなきゃいけない。間に合うかなんて分からない。それでもこんなお申に構っている暇はないのだ。
 つんつんした黒髪を無造作に伸ばしている志摩を見上げる形になりながら退かそうと奮闘するも、中学に入って急に伸びてきたこいつとの身長差のせいでままならない。

「関係あるわ。俺はお前の事を宝生の親父さんから頼まれとるさかいに」

 なっ、父様……ッ。聞いていない間に交わされていた約束に歯噛みする。責任感が強いこいつの事だ、本当に聞き出すまで離しはしないだろう。そっちの方が面倒くさいことになりそうで私はついに観念して事情を話す。ところどころつっかえつっかえではあったが伝えきれば、一瞬だけ考え込んだあと、志摩はつかつかと扉へ向った。

「悪魔についての資料室やんな?」

「そうやけど……。あんた一体何するつもり?」

 次の授業、ここなんやろ? 志摩がやりたい事が読めなくて、時間はないのに呆けて見守る。がちゃがちゃと鍵束をいじり、志摩は扉に見覚えがある鍵を差し込んだ。止める間もなく、ドアノブを回す。

「あんた!?」

「俺、あの先生に気に入られてるさかいに。鍵預からして貰ってるねん」
 
 人好きのする笑顔で、扉の向こうに志摩が消える。馬鹿や、あいつ馬鹿ちゃうの。こんな私のために怒られるようなことして、本当に馬鹿だ。

 暫くして少し埃を被った志摩が帰ってきた。嬉しそうに優しそうな顔でプリントを差し出してくる。きっと、必死に探してくれたに違いない。袖についた埃に罪悪感と嬉しさを感じながらごにょごにょと小さい声でお礼を言いながら欲しかったプリントを貰う。ああきっと今私の顔は真っ赤だ。悲しかった気持ちがこんなに簡単に上を向くなんて我ながら単純すぎる。

「これ、教えたろか?」

 いつになく親切な志摩の提案に、頷いてしまった自分が一番馬鹿で、でも一番幸せなのだという事実は気がついていないふりをした。



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