もう少し待っていて
「魔神の落胤を生かしておくなど」
「危険分子ではあるが兵器としては」
「まぁ使い捨ての道具だと思えばいい」
ごちゃごちゃと意味のない言葉が頭上を通過していく。誰も彼も僕を見ない。僕の事を話しているはずなのに。悪魔、兵器、道具。人間としてすら認識されてないわけか、僕は。唐突に連れて来られた法廷での判決。たった七年の人生の中でこうまで露骨に敵視された事なんてない。兄さんは、いつもこんな視線に晒されていたのだと思うと身体の芯が震えた気がした。じんわりと涙が瞳の端に溜まる。
神父さんは、神父さんはどこ? いつも優しい手で撫でてくれる神父さんならこんな茶番から僕を助け出してくれるに違いない。
期待を込めていつもと違う礼服に身を包んだ神父さんを見上げれば、見た事もないくらい無表情の顔と目が合う。僕の何かが、砕ける音がした。
繋がれた鎖の重たさと冷たさだけが正しいんだ。これは、僕に対する罰だ。
「ビぃリぃー」
「僕は奥村雪男だって何度言ったら分かるんですか……」
シュラさんという女性が僕に対して異様に絡んでくるようになった時の事はよく覚えている。
七つの時に銃を持てと言われた。同胞殺し、半分は人間の血が流れていてもどこか共鳴する叫びを聞きながら弾を放った。そのうち何もかもが現実でないような錯覚が芽生えて次第に作り笑いが上手くなった。
僕を危険だと見下す大人は僕が素直に命令に従って上手に焔を扱えるようになったら褒めてくれた。これでこそ生かした甲斐があるとごつごつした掌で撫でてくれた。世界は歪んでいる。認識はしているけれど微温湯のようにこの世界は居心地がよかった。何も知らない兄さんと周りの大人と変わらない神父さん。いずれ来る魔神との決着が怖くないと言えば嘘だけれど任せられた事を着実にこなしていれば誰も僕の内側になんて入ってこない。
だから、上手に悪魔を倒して僕を罵倒する人間なんて初めてだったと思う。神父さんが彼女を連れてきた時の第一声を今でもはっきり覚えている。
「おい、お前馬鹿じゃないのか」
赤に汚れてしまった制服を軽く払っていたのに、あんまりな台詞だ。焔を弾に篭め、遠距離から悪魔を狙い撃つのがいつもだけど、その日はたまたま俊敏な奴が一匹紛れ込んでいた。祓魔師としては例外的に単独で戦うが、アシストという名の監視員が僕にはついている。彼らのところまで瞬時に移動されたから、それを上回るスピードで回り込んで盾になった。そんなイレギュラーはあったが彼らに全く怪我はなかったのになんで初対面の人間に罵倒されなければならなかったのかは、今でもわからない。
ただ凄く久しぶりに歪んでしまった心に触れられた気がした。
「シュラさんって今どのくらい偉いんでしたっけ?」
暇つぶしと称して来るこの人は結構、いや相当強い。回復や後方支援を必要としない僕と比べるのは間違っているが人間にしては規格外のレベルであるはずだ。あくまで真面目にやれば、の話ではあるが。
実力だけは確かだから初めて会った時からかなり階級が上がっていたように思う。飼い殺しの僕と違って通常通りに昇任も受けているだろうし。
「上一級だにゃー。一応お前より偉いんだぞー?」
「あ、そうですか」
「自分で聞いたくせに反応が酷いなー」
冷たく返しても、作り笑いをしてもこの人の反応はいつも変わらない。のらりくらりと猫のように時たま僕にちょっかいを出してはあまり上品とは言えない顔で笑うのだ。それが楽しいなんて、思っていないけれど。
「ここ最近、立て続けに任務入れたからもっともっと昇任して最終的には聖騎士になる予定だしー?」
「……明日は厳重に頭上を警戒しないといけませんね」
「ビリーのくせに言うにゃー」
珍しい。いつも任務が嫌だと騒ぐシュラさんを間近で見てきたからこの人が真面目に働いているところはもしかしたら初めて見たかもしれない。そして聖騎士を目指していたなんて初耳だった。きらりと輝く祓魔師の証がいつもより頼り甲斐がありそうに見えた。
「メフィストに聞いたんだよ」
「何をですか?」
真剣な眼光に思わずたじろぐ。飄々としているはずなのに隙がない。
「聖騎士になったら魔神の落とし子の管理権を得れるんだってにゃー」
魔神の落とし子なんてわかり辛い名称。僕は僕だって言ってくれてたのはいつかのシュラさんなのに。それを馬鹿みたいだと笑い飛ばしたのも僕なのに、心が痛い。まるで小さな針を飲み込んだようにちくちくと。
「そんなの、全然よくないじゃないですか。僕は僕だって言ったのは貴方なんだから今更僕を道具として扱うんですか。そんなの。そんなの神父さんと」
一緒じゃないか。
全身の血が熱い。普段はここまで熱くなることなんかないのに。だってニコニコ笑っていれば褒めてくれる。従順に使い捨てらしくしていれば傍に置いてくれる。兄さんだけを普通に扱う神父さんも、僕が兵器としていればいつかは。
だから自分を捨てた。
それを拾ったのは彼女なのに。彼女が失くした心を拾ってきたのに。それだったら最初から捨てたままの方がよかったんじゃないか。込みあがるのは怒りと綯い交ぜになった悲しみ。そうだ、僕は今悲しいんだ。
久方ぶりに表に表れた激情に言葉が詰まっていく。言いたいことはたくさんあるのにどれも形にならない。
「ちげーよ。雪男、お前何になりたい?」
「……は?」
意味がわからない。沸点から急降下、中途半端にどもった僕とにやけてるシュラさん。変わらない、ずっと変わらない笑顔に少し棘がとれて。
「あたしが聖騎士になるまでに考えておけよー」
適当なせりふと共に退場する彼女。まったくもって訳は分からなかったが、彼女がああいう顔をする時はきっと良い事が起こるなんて女々しい確信だけが残った。
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