泣かない君を泣かせたい


 兄さんが物質界を救ったのと、物質界と虚無界を丸ごと滅ぼそうとしたのはほぼ同時だった。
 魔神を貫き、滴った血は僕にも降りかかった。たった一滴だと言うのにそれが身体についた瞬間どうしようもなく全てを壊したくなって、投げ出したくなって。蹲ることでしか自分の感情を抑えられなかった僕と違って返り血を殆ど浴びた兄さんは呻きながらも自我を保っていた。身体から漏れる青い炎。透き通るような綺麗な炎はいつもと違い、僕らを傷つけた。初めて焼かれた痛みは破壊衝動なんか吹き飛ばして、次に理解できたのは兄さんを止めなければという使命。周りにいた祓魔師は十人ほどだったが、全員が負傷していた。僕が、一番無傷に近かった。

「兄さんッ!」

 短く叫んだ悲鳴みたいな声。慣れ親しんだ銃身から飛び出した弾は捕縛用のものだ。弾かれる音がして全く攻撃が意味を成さなかったことがわかる。かといって実の兄を傷つける弾を撃つ勇気も、僕にはなかった。
 一度銃を向けた時の、兄さんの顔がちらついてしまう。牙を生やし、敵意をむき出しにする兄さんが振るう炎を避けるくらいしか打つ手がなかった。ただただ体力が浪費されていく。数人の祓魔師が放った攻撃もほぼ無意味なようだった。折角魔神を倒しても、これじゃあ。諦めと絶望が綯い交ぜになったまま形だけ銃を構えたら、ぴたりと兄さんが動きを止めた。苦しげにもがくその表情は撃ち捨てられた魔神に少し似ていた。

「ゆき、お……」

 零した雫が降魔剣に触れる。鎮火された炎と動きが止まった、しかし無理に押さえつけているような四肢。呼ばれた名前に込められた意味を見抜けてしまって、責任逃れをしようにも兄さんを、止める、いや撃てるのは僕しかいないのはわかっていた。

「にいさ…………」

 ごめんなさい。
 そう言って放った実弾を見事に兄さんの心臓を撃ち抜いた。倒れ付す兄さんと、薄れる意識。ああ、もう本当に。





「ゆーきお! 元気かにゃー?」

 お見舞いを自称してシュラさんがここにくるのは最早よくある事だった。未だに精密検査が繰り返され、傷の治療の名を借りた封印が施されるようになって一週間がたつ。僕の身体は日に日に重たい印術にまみれるようになった。見張りが大勢いる病院から出れなくなって、面会も上級の祓魔師のみ。随分と厳重なものだと鼻で笑って、どうでもよくなっている自分がいる。
 兄さんが死んだあの日から、僕の感情は止まったままだ。言わば半身のような人を亡くすのが、唯一の肉親をなくすのがこんなに辛いものだと分からなかった。神父さんをなくしたときは得意の言い訳で自分に嘘をついて兄さんに責任転嫁して。それでも処理できない気持ちは凍らせて。つくづく僕はずるい。
 
 こうやって心配しているシュラさんにすらバレバレの笑顔を吐く。

「元気にきまってるじゃないですか。それと病室では静かに」

「べっつにお前は病人じゃないだろ。あっこれ塾生のやつらから。いい教え子がいたにゃー」

 フルーツの盛り合わせと、分厚い手紙。きっと彼らも僕を心配してくれてるんだろう。そうは思うのに、理解できてるのに凍ったままの心は動かない。思ってもいないのに少し大袈裟にお礼を言って、珍しく黙り込むシュラさんと沈黙が続く。
 白い病室で、このまま溶けてしまいそうな気がした。

「……ビリーさ、辛いな辛いって言え」

「辛いですよ。兄さんは、もう帰ってきませんし」

 じくり。 
 自分の言った言葉で痛む胸。じわじわと漏れ出すような液体に名前なんかない。怒ったようなシュラさんの顔が怖かった。シュラさんはこの液体の名前を知っている気がした。そう確信にも似た予感が、僕の視線をさ迷わせる。

「そういんじゃねーだろ」
 
 兄さんとシュラさんが重なる。嘘がなくて、真っ直ぐで、でも不器用で。見れば見るほど重なっていく彼と彼女を見たくなくて目をつむる。この身体に張り巡らされた封印術が僕の感情を奪ってしまえばいいのに。そうすればこんな視線に刺されているなんて気持ちを味わうことはなかったのに。

 深呼吸して、もう一度笑えばいきなりグーで殴られた。痛みよりも驚きが勝る。一体なんだよ。
 後からくる痛みは結構強かった。

「お前は今殴られたんだ」
 
 お前が殴ったんだろうが。言い返したい気持ちをぐっと堪えて唐突な行動の答えを聞く。


「だから、泣いてもいいぞ。痛い時は泣くもんだ」

 そっぽを向いて、僕の顔を見ないようにしたシュラさん。変わった色の後ろ髪しか見えなくて、彼女の顔は見えない。僕が彼女の顔を見れないということは逆また然りであって。じわりと刺激された頭から脳に指令が飛んでいく。

 
 殴られた場所が痛くて痛くて零れてくる涙は誰に見られることもなくベッドのシーツに吸い込まれていった。



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