主人公の条件

兄さん。
夢の中でぱくぱくと雪男が口を動かしている。真っ青な海みたいな幻想の世界は何故だか空気を震わせなくとも音を伝えられるらしい。柔らかく微笑むように雪男はもう一度俺を呼んだ。この夢の中の雪男は眼鏡をかけていなくて、まるで鏡を見ているようにそっくりだった。久しぶり過ぎてこそばゆいが、夢も中々いいもんだと思う。むしろこんな幸せな夢なら別に覚めなくていい。
 ふわふわと足が地面につかない奇妙な状態。しかしやっぱり悪い気分はしない。辺りを見渡せば、いるのは雪男と俺だけだった。何処までも青い世界に二人きり。別段物足りないわけではないが、少し悲しい。俺の感情にシンクロしてか、雪男は寂しそうな顔をした。何が言いたいんだろう。再び雪男が口を動かすのを待つ。せっかちだった俺も多少は待つことが出来るようになったのだ。ちょっと、ほんの少しガキみたいな誇らしげな気分で雪男に笑いかければうっすらと雪男は言葉を紡いだ。



「燐?」

 ゆるいふわふわした髪が顔にかかるように覗き込まれていた。しえみの、さっきの夢みたいに青い目がなんだか眩しくてぱちぱちと瞬きを繰り返す。
 漸くはっきりしてきた頭で、ここが自宅であり、この春結婚したしえみが俺を起こしてくれたのだと理解した。未だ慣れない事もあるけれど、二人でいて幸せだと思う。だが穏やかな空気の中、何故か薄膜を張ったようにすっきりしない。

「雪男は?」

 夢の続きが見たくて、思わずきょろきょろと部屋を見渡す。整理だけは高校の時に言われ続けて出来るようになったのだ、雪男だって最後にはちゃんとできるようになったと珍しく褒めていたんだ。
 しかし俺の言葉にしえみは瞳を曇らせた。なんでだ。しえみも、雪男を好きだったじゃないか。いや俺やしえみだけじゃなくて皆が雪男を好きだった。なんだかんだ言って面倒見がいいところも、守るためだけに呆れるくらい訓練を積んでいたことも皆知っていた。だから、皆雪男が大好きだったじゃないか。

 自分の思考としえみの悲しそうな顔に違和感。好きだった? なんで過去形なんだ? どうしてしえみは目に涙をためて俺を見ているんだ? 

「燐、雪ちゃんは、もういないんだよ」


 さくりと、突き刺さったような気がした。


「あ、……あ、あああ…………」

 
 もやが晴れたように思考がはっきりする。

 そうだ。雪男は死んだんだ。俺と皆を守って。しえみが優しく抱きしめてくる。けれど彼女の身体も少し震えていて。忘れちゃいけない記憶がしっかりと脳内で再生されていく。


「兄さん、悪いけどシュラさん頼むね」

「ゆ、きお……」

 青い炎が一面を包んでいた。魔神を倒すなんてほざいていた俺は一歩も動けなかった。仲間達も次々と倒れふす中で雪男は背筋をしゃんと伸ばしてぼろぼろでも自分の足で立っていた。薄れていく意識を繋ぎとめながら、雪男に手を伸ばせばいつものように、本当にそこが寮の部屋なんじゃないかって錯覚するくらい普段どおりに笑う。

「あと」

 最後に雪男がもう一度銃を構えた。射線上には結界を今にも食い破ろうとしている魔神。獰猛な牙と青い炎が溢れんばかりの憎しみと共に結界の中で暴れ猛っている。ここで逃せばきっと今度は完璧に俺に憑依してくるだろう。今回みたいな奇跡はきっともう二度と起こらない。でも、ここで無理をしないでくれ。あの一発を撃てば雪男は死ぬ。死んじゃうんだ。度を越えた魔法弾、それも禁弾の使用なんて寿命を縮めるなんてこと、あいつわかってんのに。散々俺の事馬鹿って言ってたじゃねぇか。お前が一番馬鹿だ。
 俺が死ぬから。ここで逃して、再び憑依する前に俺が身体を破壊すればいい。俺のせいで誰かを、雪男を巻き込むくらいだったら、いっそ。

「止めろよ……ッ!」

 振り絞って出した声も掠れた。それでも聞こえていた雪男は振り返らない。真っ直ぐに姿勢を引き締めストッパーを外す。そうして本当の最期に幼い頃に見た泣き虫の雪男の顔のままで、雪男を引き金を引いた。

「幸せになってね、兄さん」



 そう言って雪男の人生はあっけなく終わった。俺が覚えてるのは救世主なんて馬鹿みたいな肩書きをつけた雪男のお葬式だけ。覚えている限り二回目の大切な人を送る儀式。救えなかった虚無感と、勝手に祭られた英雄なんて下らない名誉に対するどこにもぶつけられない憤りをどうすればいい。神父さんの時みたいに目の前で零れ落ちていった大切なものの記憶だけが未だに俺を縛り続けている。
 気がつけばしえみも泣いていた。しゃくりあげる声が肩越しに聞こえる。抱きしめている身体はこんなにも細いのに、無理矢理捻りだすような泣き方だった。

「しえみ……」

 あとは言葉にならない。どうすれば正解だったんだろう。どうすれば皆で生きて笑ってられたんだろう。俺もしえみも同じ事にとらわれてる。あれから何年もたって、もう俺たちは大人になったというのに。


 雪男の夢を見た。時たま薄れた頃に見る、後悔と悔悟の記憶。どうしようもない犠牲の上になりったている僕らの幸せは、紛れも無く犠牲者の願いで作られていた。




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