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::9月の声の形

9月。
ピクニックのお弁当に、ホフマンの好きな食べ物、あるいは作って欲しいリクエストを教えてくださいと言われて、特に好物設定してなかったので、考えました。

名前からしてホフマンはドイツ系なので、ドイツ料理のようなものも好きとしてもいいのですが、ペティットに移民してきてから三代目だし、母は7歳で亡くしているので、家庭で郷土料理はあまり出なかったかもしれないです。
たぶん祖母ウルスラの料理はあったろうけど、しょっちゅうのことではないはず。預かってもらった時とか、親戚集まる時とかで。

つまり基本は男所帯で育ったし、自分で当番する時もあったでしょう。まあざっくりしたもの食べてたはず。
となると、彼女に料理作ってもらえるというのはそれだけでしみじみあたたかく有難い気持ちでしょうが、自分でも家事の手間など多少知っているわけで、実家で出た伝統料理を彼女に求めたりするマザコンみは、あまりないかな?


とすると何が好きなのだろう。ホフマンの生い立ちからは、あまり好みがあぶり出されないので、別角度から。一般的なピクニックのお弁当とは。

クロード・モネの「草上の昼食」に、ピクニックのシートの上にひろげられた料理を見ると、ローストチキンとワインと、立派なパイが描かれています。

リクエストは「パイ」にしました。
パイはこうしたお弁当での用いかたも、よくあったようです。

もともとパイは「調理器具」としての役目が始まりだったとか。
昔はパンをお皿にしたとはよく聞きますが、パイ皮は具材をオーブンで焼く為の、鍋の代わりでもあったよう。だから当初のパイ皮は分厚く固くかった。
また焼いたまま皮を開けないで、保存容器としての役割。
またランチボックスの代わりの持ち運び容器としての役割。
たしかに、サンドイッチなどと同じで、切り分けて手で食べられる気軽さもあったりで、よさそうです。

きっといつかのピクニックで食べたこともあったのかもしれません。
ネージュさんがサンドイッチを好物とされてるのも、なにかそういう記憶に基づいてるのだろうか、とホフマンも想像したりしたことでしょう。



しかしパイ調べると面白くて、種類やエピソードも豊富。
けっこう何でも包んで焼いちゃうので、お国柄ごと、時代ごとに千差万別の感。

また、宝箱のように中にどんなものでも込められるし、装飾も自由にほどこせて、なにがしかロマンをかきたてる食べ物ではあるのでしょう。こだわりも生まれます。

それぞれのこだわりは西欧人に一種の国民性としてあるようで、何をもってパイの定義とするかもしばしば問題になるよう。
例えばパイの条件として、イギリスでは皿の上に被せるパイ皮の存在が重視され、アメリカでは底に敷いたパイ皮が重視され、いやそれはイギリスではむしろタルトと言う、といった。
かくして1927年のタイムズ紙の読者投稿欄で、パイ、タルト、パスティー、プディングの差異と定義について、大真面目な論争がまき起こったこともあったよう。

いいですね、皮肉でもなんでもなく、いい大人がそういうの。
リアル酒場の論争、TRPGのセッションなどと同じく、こういうののコツは、ウケや映えを気にしてすぐ面白いこと言おうとするのとかでなく、馬鹿真面目にやることだと思います(笑)



お約束の日は小雨だったので、急遽予定変更してお宿のお庭で、ネージュさん手作りのトマトとベーコンのパイをいただきました。
PL様はわざわざ試作していただいたとかで、お手間とらせて恐縮。m(_ _)m
でもロールの為にそういうのを真面目に調べていったりするのは、少なくとも私は、なかなか楽しいことです♪




続いた週の川へのピクニックも、釣りをやってみたいとのことだったので、事前にアイザック・ウォルトンとかの17世紀から19世紀の西欧の釣りエッセイをひっくり返して、昔風の道具や釣り方調べたり。
したらけっこういい加減に書いてるとことかあるんですよねー。
資料丸写しはしないで、なるべくはイメージを総合して加減乗除して、ファンタジーとしてから出すべきだと思うから、あんまり正確な知識はいらないかもでいいんですけど。

また例えば魚にしても、日本の魚で言えばウグイに似たもの、オイカワに似たもの、とかはあっても、厳密に同じではない。
これは草花の時でも、訳語の対応がなかったりするのと同じで。よく言われる、村岡花子さんが赤毛のアンでメイフラワーを訳した「さんざし」は、イギリスではそうだけど、カナダでは別の花だとかそういうのもありますし。

だからペティット世界の生き物が、こちらと同じ名前で呼ばれていても、実はよく似た違う生きものでもいいのです。
ここでは、スチールヘッドをもじって、ブロンズヘッドという、初心者にも釣りやすい架空の魚を作りました。

はがねのあたま、でなくどうのあたま。
といったら、PL様が正確に反応されてました。「はがねを装備した時の高揚。どうは本当に初心者用かもしれない」とか。
知ってるねえ、と。
ロマリア着くといきなり1500Gではがね売ってるんですよね。手が出ねーとか思って、しかしコツコツお金貯めて買った憧れのはがね、いざ装備すると、ぐんたいがにやキャタピラーも一発で斬り倒せたりしてホアァ...となる高揚。

ここでも、ネージュさんのダイスが走ってて、持ってるねえ、と。
射的の時も、街道の旅2のときの歌のダイスにしても、理想的な展開。


ここでは、みみずを針に付ける時、ホフマンがやってあげてもいいのだけど、過保護もよくないかなあ、というフレーズに反応されて。

十代の女性が、8歳上と付き合うのは、どういった気持ちでしょう。
妹のように守られるのは嫌でもあろうし、しかし背伸びがしんどいこともあろうし。
もちろんホフマンは特に歳下扱いしてるつもりはないはずですが、なんも気をつかわないのも不自然です。
この辺りは今後の時間を重ねる中で、何か形になっていくこともあるのでしょうね。

それにネージュさんはこの日も教わる側としての役割というか、ホフマンがうんちく述べるのをうんうんと興味深げに聞いてくれる役をしてくれて、いつもながらデートを楽しく盛り上げようとしてくれてる感じがありました。
それをしんどくないかな?などと慮ることは、あるいは失礼でよくないのかもしれません。けど感謝しないのもおかしな話のよう。

また例えば、お弁当に好きなものを聞かれた時、「そういうお弁当を用意したりできるのって、とてもいい女の子なのじゃないかしら、と思って」というようなことをおっしゃってらした。
これは言葉面だけ見ると、相手の満足よりそうしている自分への自己愛の言葉にも見えますが、どうもそういう感じではなくて、相手が望む彼女像への、役割へのなりきりのようなこと、自己愛どころか滅私をむしろ感じはしないでしょうか。

なんと健気な、とホフマン的には素直に喜ぶのが正解だとおもうのです。正解とかでなくとも実際にそう思いますし。
しかし、これはそんなに手放しで歓迎していいことだろうか?とも一抹思いますよね。そんなに尽くしちゃいかんですよ〜(笑)

たぶん感覚としては、尽くすとか、相手優先自分優先というのではなく、おそらく関係自体の優先の感覚がある気はして、案外そう心配したものでないのかもしれませんが。誰の手柄かにこだわるより、プロジェクトの成功を祈るかのような?

それにいかに尽くされようと、ホフマンがそれを都合よく当たり前のように思ってしまわず、いつも感謝し、君が尽くしてくれるのなら、俺は君が迷わないようちゃんと手を引くので着いて来てくれ、と甲斐性出してくれるのなら、なんら問題はないと思います。

単にホフマンの欲はもちょっと深い。
相手のしんからの声を聞きたいわけですから。

と、しかしこの頃を思い出しながらこの記事綴っていて、聞きたいというその声は、どうもホフマンや私があほやから聞けてないだけで、すでに発されている感じもするのです。
自分だけでなく、相手だけでなく。
彼女が大切にしたいものは、本人もそうと知らない内、そうした形で、常に話されているのかもしれません。
 

2018.12.30 (Sun) 17:57
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