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::道路考2.馬と男と男と壁と

オリンピック障害馬術を観ていて、あろうことかとかあるまいことか、すぐさまこれを想起してしまいました(笑)



(画像引用:Advanced Dungeons & Dragons HILLSFAR 1988 1991 TSR inc PONY CANYON inc)


その筋では大クソゲーとして有名な「AD&Dヒルズファー」
まあ確かに、ちょっと腰砕け作品でしょうか(笑)
よい点もあるし、雰囲気など私はわりと好きです。


ちょっと久しぶりにやってみます。


キャラメイク。焚き火を見つめるほふまん22歳。まさかの過去編エピソードか



キャンプを出れば選択式フィールドマップ。行き先経路を指定すると



マップ間移動は全部障害馬術です。移動ごと毎回これで白目



飛越失敗して落馬。HP削れます



さらに落馬がつづくと馬が驚いて逃げてしまいます。
運よく馬が見つかることもあれば、歩いて戻れることもありますが、まず大抵は山賊につかまり、乱暴されたり所持品を奪われてしまいます。



障害の配置は毎回ランダムなので、時にはいやこれ無理でしょwwというパターンも。





しかしこんな迷惑なもの、誰が道に置くん?
それは盗賊でしょう。



映画「バリー・リンドン」にこんな場面があります。
故郷を追われ、ダブリンの街を目指すバリー。
街道の行く手が倒木で塞がれており、その前に立ち尽くす男が。

(画像引用:BARRY LYNDON 1975 Warner Bros.)

どうしたのだろう。声をかけて近付くと…

振り返った男は両手にピストルを構えている。見れば先ほど茶屋で会った男ではないか。



道脇に潜んでいた相棒がすかさず背後にまわって退路を絶つ。逃げ場はない。




追い剥ぎのお仕事いっちょあがり。
馬は草食みだしてます。肩に剣が下がってますが、揺れてべしべし当たらないですか。そうでもないですか。

アクションヒーローものではないので、これで詰みです。現実は非情である。
お金と武器と馬を奪われ、無一文で歩いて辿り着いた街で、他にやりようもなく彼は軍隊に入ります。流転は続く。




ヒルズファー周辺街道でも、盗賊達がこういう目的で道にバリケードを作ってるのではないかな。
ちなみにこの映画の追い剥ぎ氏は、まず手前の茶屋で客を物色しています。
そして一人旅で経験も不足してそうな若者をカモとみて、先回りして待ち構えたわけですが、先回りするには近道や隠れ場所や封鎖地点などの周辺地理を熟知していなければならない。


こうした盗賊の狩り場がはびこるから、集権国家のにらみが弱いと街道が発達せず、ローマ後18世紀までまともな道が生まれなかったというのが一つにはあるでしょう。

そういうところ通るのは危険なので、通行者は武装隊商を組むのですが、時に荷を奪われる。それで荷主や船主を株分けするリスク分散が冒険貸借などで、損害保険のようなことですか。
ならまた集権国家の防衛費(税金)で盗賊被害ぶんを分配負担するのも保険のようなものですか。

しかし盗賊の発生も、現象的には富の再分配機構です。
強力な集権国家の君臨する平和期に富の偏在が進む局面(系)もあるし、その偏りはまた次の動乱(分配)を準備し、ある国の繁栄は他の国との衝突を導くもの。



ところで、バリケードといえば長篠の戦いの馬防柵など、広い場所でも使われますが、経路の限定される市街戦でもよく使われました。
1848年のパリ、2月革命と6月蜂起の描写が「ああ無情」に出てきて、馬車を横倒しにしたり、椅子や卓や、ありあわせのもので障壁を築いていました。

それらも再分配の要請とも言えます。
革命は欧州各地に伝播し、3月にはウィーンやベルリンでも民衆が蜂起。市街中に一夜にして数百ものバリケードが築かれたといいます。
道の封鎖だけでなく、みんな敷石を剥がして投石の弾にしました。道は武器にもなる。

当時は囲い込みで農村を追われた者らが都市に流入し、欧州各地の都市人口が膨れ上がった時期。市壁の外に住む人が増えたこともありますが、一つにはこうした民衆のバリケード戦を防ぐため、都市から中世風の市壁が取り払われ、近代都市の形を用意したという説明もあったりします。



農業効率化により農業労働価値が低下し、あぶれた雇用が石炭を掘り鉄道を敷く。
当時の鉄道敷設は、流通需要より雇用創出が先んじた場合もあったのでしょう。線路の完成は失業を意味するので、どんどん作る。

ローマ軍団の場合も、平時にほおっておくと悪さするのでローマ街道作らせてた事情もあるようです。
16世紀のドイツ傭兵なども、国としては有事に備えて彼らをキープしておきたいけど、戦争がないと村を略奪したりするので、公共事業として小競り合いを投げておくようなこともあったそう。
そしてそれら軍隊の移動に際して道が作られ、防御に際して橋が落とされ道は壊される。


人類の際限ない落ち着きのなさが道の形になって残り、同じ衝動から古代の道が滅んで風化する。

しかしその大気現象の中で生きてきた一人一人は必ずその都度存在します。逆に「大衆さん」という人物が存在した試しはないです。


ホフマンも元々は道を整えたら馬とか楽かな、くらいで個として鉄道馬車など発想したのですが、それが全に対してどんな意味を持つのか。

しかし大衆というのが概念であるように、個と全どちらが大事とかの価値評価は、対比が成り立ってない気もして、どうもよくわかりません。
そういう話でなく、どうあれ自分以外の者が存在するのだ、ということ。それはいつも覚えておいていいような気はします。
これヘラクレスの栄光3のゼウスの台詞に似てますね。似てるんです。


そして自分以外のもの(世界)を常に想起する、というのは、要するには耳をすますようなことではないでしょうか。ホースウィスパラーですし。
これからもそれらをロールの中で考えていけたらなによりです。




でそれはいいけど、ヒルズファーどうしよう。進めるかまいか。
ある日時空の扉が開いてフォーゴトン・レルムの世界へ召還されたほふまん22歳の冒険を、気が向いたら追ってお伝えするかもしれません。ふつうにクソゲで投げるかもしれません…(笑)
 

2016.08.24 (Wed) 04:07
コラム|comment(2)

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