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「フェアじゃないと思うんです」

大きな窓ガラスから煌々と光る夜景を見下ろしながら、ナマエは口を開いた。
安室の言う「素敵なところ」がいわゆるホテルなのは想定内だったのだけど、連れ込まれた部屋の家具や内装が豪華絢爛だったものだから、ほんの少しだけ怯んでしまった。飲みに誘われた時点で手配していたのだろう仕事の速さには恐れ入るし、どのくらいロマンティックな夜にするつもりだったのか気にならないと言えば嘘になる。自分が獲物になるのは真っ平ごめんだが、恋慕と別の理由で男が女を誘う処世術はいっそのこと教えを請いたいくらいだった。今から繰り広げられるのは甘さの欠片すらない、泥臭い血生臭い話に違いないのに。
ナマエが振り返ると、キングサイズのベッドに腰掛けた安室が、常の爽やかな笑みを消し去り腕を組みながら、眉間に皺を寄せている。

「此処に来るまでの間にわたしのこと、分かりました?」
「……あなたが一般市民の、女子大生の、ミョウジナマエだったことがよく分かりましたよ」
「それは良かった」

にっこりとナマエが笑むと、皺が一層深くなった。安室にどの程度のツテやコネがあるのか知らないが、情報収集力を買われている上に私立探偵を名乗る男なのだから、ナマエの正体が分からなかったということはそういうことだ。良かったですね。身分偽装から同僚の正体がバレる可能性がゼロになったことを心の中で祝福する。
分厚い絨毯に吸い込まれ、足音が鳴らなかったのにも関わらず、ナマエが近寄ったことをいち早く察知したらしい安室が、長い前髪の隙間から睨み上げてくる。ナマエが知らない、もうひとつの顔だった。ブルーとグレーの入り混じった瞳が、熱の篭った彩色をギラギラと放っている。

「あなたは誰だ、ミョウジナマエ」
「その言葉、そのままお返しします。安室透さん」
「質問を変えましょう。あなたは何処まで知っているんですか?」
「A secret makes a woman woman.」
「! それは……」
「なあんちゃって。同僚の受け売りです」

出血大サービスですよ、と軽口を言うナマエを余所に、確信を得たらしい安室がナマエの顔をジッと見つめた後、薄い唇から溜め息を吐くように嘲笑が落ちる。

「その口癖を好む女性を、僕はふたり知っている。ひとりは僕のビジネスパートナー。もうひとりはアメリカ合衆国の連邦捜査局に属する捜査官……。あなたが日本名とアジア圏の顔立ちだから、思い至りませんでしたよ。まさかナマエさんが、FBIだったなんて」
「安室さん……、正解です」

言いながら、右後ろの裾から手を差し入れ、スカートの中の内腿につけたガンホルダーから、ナマエは拳銃を引き抜いた。ガチャリ。頭頂部に突きつけた銃口がシャンデリアの光を鈍く反射する。ナマエが薄い笑みのまま安室を見下ろすと、お手上げと言わんばかりに両手を挙げた。

「随分と物騒ですね。まさかスカートの中に隠し持ってるとは思いませんでした」
「ふふ。まあ――今日の拳銃はオモチャなんですけれど、ね」
「…………は?」

――パンッ!!
空砲と共にひらひら紙吹雪が舞う。呆気に取られた安室の頭の上に、色鮮やかな紙切れが降る。無駄に豪華な空間に、お遊戯会の終幕を思わせる演出は当然ちぐはぐに見えるものだから、珍しい表情を見られたことも相まって間抜けだった。
金髪に埋もれる紙切れの中から赤色を摘み上げ、ふうっと吹いて吹き飛ばす。

「言ったでしょ、フェアじゃないって。今日はわたしのことをネタばらしするつもりだったんです。それなのに、安室さんがわたしのことを酔い潰して好き勝手しようとするから……。ちょっとだけ意地悪したくなっちゃった」

昼間のお返しに片目を閉じながら茶化したのなら、安室は今度こそ脱力するように溜め息を吐いた。酔いの醒めた顔で天井を仰ぎながら「今日は僕の完敗です」とぽつりと零す。髪と指の隙間から除く表情は思いの外、穏やかだった。
踵を返すナマエを、安室が呼び止める。やっぱりあなたは優しいひとだ、と。

「左腿の内側に拳銃がもうひとつあるのが見えました。そちらは本物だったのでは?」
「……意地の悪いひと」
「お互い様です」

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