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ナマエ・ミョウジ。アメリカ合衆国の警察機関のひとつ、連邦捜査局に属する捜査官。二十六歳。赤井秀一と同じチームを組んでいた過去がある、同僚の女性。
更新されたデータを頭に叩き込んだ降谷は、目を閉じた。マツダ・RX-7の運転席に腰掛け、長々と息を吐き出した後、眉間に指先を這わせながら身を投げ出すように座席に凭れ込む。
あの日と同じだった。安室透がミョウジナマエを好きになると決めた日。しがない喫茶店の店員と女子大生の関係性を利用すると決めた日。雨模様と光るネオンの幻すら見そうだった。降谷の頭の中と裏腹に、車を停めた閑静な住宅街の路肩は、真っ昼間の平穏そのものだったのだけど。
木々の隙間から差す陽がウインドウ越しに柔らかく降谷の瞼を焼いた。いっそのこと、脳裏に浮かぶ残像を燃やして欲しいと思った。写真を燃やすように、ゆらゆらと揺れる炎がいっさいがっさいを消してくれたのなら、楽になれるに違いないのに。
いつからナマエはバーボンのことを知っていたのだろう。出会いは本当に偶然だったのか? 仕組まれていた可能性は? 東都大学の薬学部に潜入した理由は? ――俺に、正体を明かしたのは何故だ。
いくら憶測を重ねようと無駄なことは分かっていた。ナマエの本心はナマエにしか分からないのだから、降谷が最後の謎を解き明かすためには本人に聞く他ない。件の夜からミョウジナマエに関する情報を徹底的に洗い出し、名前と性別が一致するデータや数年前の顔写真を手に入れ、身を隠すどころか堂々とした所業だったことに驚いたものだ。素顔のまま名前すら変えずに日本国民に擬態する異国の警察官に、自分の思惑がいかに的外れだったのかを思い知らされる。
ほんの少しだけ開いたウインドウの隙間から、雑踏と雑音が聞こえてくる。降谷が身を起こし左手の腕時計を見ると、十二時を回ったところだった。裏手に閑静な住宅街が広がる、都心から少々離れたところに位置する東都大学。昼休みに入った敷地内からは、人が生み出す音が波のように押し寄せる。後ろ手に車のドアを閉め、降谷は薬学部の研究棟を目指し歩き出す。
胸の奥に燻り始めた感情の名前を知るのは、まだ早い。





安室自身、自分の容姿が人目を惹くものだということは分かっていた。講義室や図書館、食堂だったのなら大学関係者以外の一般市民が立ち入る機会が多々あるに違いないが、研究棟は元々の利用者が限られるため、馴染みのない人間は否が応でも目立つものだ。無遠慮な視線に辟易しながら、安室が適当に愛想を振ると目先の集団から黄色い声が上がる。年頃の女の子は素直で、単純で、かしましい。由乃がこのくらい簡単だったら、と思わずにいられなかった。
由乃を見つけられる自信はある。昼休憩のタイミングすら棟内に篭ったままだったのなら元も子もないが、彼女が愛用する傘は確か雨晴兼用だった筈だ。ほら、やっぱり。晴天の下、見慣れた傘を差す女を見つけた安室は、一直線に人混みを突き進む。
ひらひらと手を振りながら歩み寄る、東都大学構内に居る筈のない男の姿に、ナマエは目を瞬かせた。

「あっ、安室さん?!」
「突然すみません。たまたま近くを通り掛かったので、もしかしたら会えるかなあと」
「たまたま……ですか」
「はい。たまたま、です」

微笑む安室にナマエは無音のまま唇を動かす。うそつき。あなたに言われたくありません。安室が行動を真似ると、当然のように唇の動きを読んだナマエの顔に満面の笑みが浮かんだ。にこにこ、にこにこ。延々と続くと思われた笑顔の応酬に終止符を打ったのは、蚊帳の外に居たナマエの友人たちだった。
誰? と首を傾げる友人ふたりに向き合い、ナマエは安室の紹介を始める。

「米花町の喫茶店で働いている私立探偵の……」
「安室透です。よろしくお願いします」
「探偵……。あの眠りの小五郎と同じ?」
「そうですよ。僕は毛利先生に弟子入りしているので、眠りの小五郎は師匠です」
「へえ、すごい! 最初はナマエがどこぞのサーファー引っ掛けてきたのかと思ったのに」

サーファー。笑顔のまま絶句する安室に、ナマエが肩を震わせながら顔を背けた。必死に堪えているのだろうが、耳を澄ますと漏れ聞こえてくる笑い声に、腹立たしい気持ちと思い掛けない気持ちが半々。ナマエが無防備に喜怒哀楽の楽を出す様を、安室に見せるのは初めてだった。

「それで?」
「え?」
「え、じゃないでしょ。ナマエと安室さんはどういう関係なの?」

きた、と思った。答えは既に決まっている。有無を言わさず指を絡め、ぎゅっと握り込むと、意図を察したらしいナマエから力が返ってきた。いわゆる恋人繋ぎだ。呆気に取られた友人たちに、照れ臭そうな困ったような表情を見せる。

「まあ……、あまり揶揄わないであげてくださいね」
「えっ、ほんとに?」
「本当に」
「ええ、ナマエ、沖矢先輩はどうしたの?」
「……沖矢先輩?」
「違う、違うんです。……彼はそういうつもり更々ないっていつも言ってるでしょ?」

まったくもう、と口を尖らせるナマエの横顔を見ながら、安室は変にむず痒い気持ちになった。此処へ来てからのナマエの表情は女子大生のミョウジナマエそのものだったものだから、錯覚しそうだ。すべてが演技なのか、自身の素があるのか、それは安室の知り得るところじゃないのだけど。
今のナマエは一般市民の、普通の女子大生に見えるのに、とぼんやり思った。

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