【第19話:愉快な二人の不愉快な夢】

逆さまになった顔を真上から覗き込めば、結びきれなかった横髪がサラリと頬を滑って落ちる。色素の薄い自身の髪とは違い、足元で広がる赤い髪にはどこかで見た綺麗な花を思い出した。

「嬢ちゃん。こんな所、一人で来るもんじゃねェぜ」
「さっきまでフルボッコにされてた、お兄さんにだけは言われたくないよ」

くるくると片手で中身の入ったビール瓶を回しながら、疲弊して地面に大の字になっている人物をニコニコと見下ろす。

「通行人に当たりかけたビール瓶に関して、何か一言。はい、どーぞ」
「投げてスンマセンっした」
「別に良いけどね。綺麗に決まったし」

何も考えずに路地を歩いていれば、いきなり連続してビール瓶が飛んできた。奇襲攻撃などでは無く、投げられたそれがたまたま通りがかった通行人である私に当たりかけただけだ。

うっかり気を抜いていれば、流れ弾に頭をカチ割られかけるとは一体どんな状況やら。路地裏でヤクザ顔負けの喧嘩をしている一団は、此方の存在にも気付かずド派手な喧嘩を続行する始末だ。

流れ弾とはいえ。通行人にビール瓶を当てかけておいて、謝罪の一言も無いのはどういうことか。流石に頭にきて、参戦したのが事の次第だ。

「強い女は好みよ、俺」
「ほんと?私もお兄さんみたいな人好き」

多勢に無勢とは言ったもので、ボコスカと殴り合いをして劣勢に立たされながら一人で大立ち回りしている方に、ほんの少し手を貸した。

無防備にも晒されていた背中に、ナイフを振りかぶった敵方らしき男の後頭部に、そのうちの一本をお返しとして全力で見舞ってやった。後方からの予期せぬ攻撃によって、絵に描いたように男は昏倒した。

突然、現れた人物が手を出してきた。ほんの一瞬だけ凍った空気は、すぐ溶けた。女だからと舐められて、矛先の向けられた攻撃は、総じて生温い。焦ることもなく、足蹴で全員沈めてやった。私に挑もうなんて、百年早い。

いっそ感動を覚えるほど、綺麗に伸したおかげか。俺の相手だから手を出すなと、怒鳴られることも無かった。顔を引き攣らせていたことから察するに、口を出せばブン殴られるとでも勘違いされたのかもしれない。

「なに?オレ様に一目惚れした?」
「んー。セックスするなら知り合いの方が好みかな」
「……酷ェフラれ方した気がすんだけど」
「あ、ごめん」

見かけによらず、大胆ね。掛けられる言葉に普段のように笑って誤魔化せば、微妙な顔をされる。手を借りることも無く立ち上がった男は、服に着いた土埃を払う。引っくり返って居る時から思っていたが、ドン引きする程に背が高い。上から見下ろす男は、ポケットに手を突っ込んで首を傾げる。

「で。こんな裏路地で何してるワケよ?」

こういった裏路地には娼婦の一人や二人いるだろうが、こんな金になりそうな男を振る商売女が居るならば、さっさと他の仕事を探した方が身のためだ。

「ツテに教えてもらった店探してるんだけど、看板出てなくて。それらしい店の扉叩いて、一軒一軒当たっていくのもアリだけど、お兄さん知ってたりしない?」
「この界隈、怪しい店ばっかだぞ?突撃訪問とか、蜂の巣に素手でパンチ食らわすようなモンだから、マジで止めろ」
「わーお……」

助けてもらった礼に、店は知らんがその住所まで案内するわ。着いてこいよと言って歩き出した男の大きな背中を追いながら、こちらが勝手な理由でキレて首を突っ込んだだけであるというのに、とんだ律儀な男だと思った。

「ああ、そういや名前言ってなかったな?……沙悟浄。悟浄でいいぜ。お兄さん呼び、なんか目覚めそうだから止めてくれ」
「私も紫雨でいい」
「名字は」
「無い。名前も知り合いがつけてくれた」
「……俺よりイイ男とか、超絶会ってみたいわ」

三蔵と悟浄が会ったら、どうなるのだろう。大爆笑不可避の面白い光景が見れそうだと思考を巡らせつつ、慣れた足取りで路地裏を抜けていく大きすぎる背中を追う。

「普通の女の子だったら、悟浄に靡いてたかもね」
「だったら今頃、家に送り返してるっつーの!」

散々迷った末、慶雲院を出る寸前で刀は三蔵に預けてきた。刀を携えて、寺院の門を叩いてみろ。白昼堂々、正面突破でやってきた物盗り第二号と間違えられて、門前払いされかねない。

「良い子はお家に帰りな!って言われたかったなぁ……」
「あんだけ派手に暴れ散らしといて、そりゃあねェだろ」
「えー。それは私だけじゃなーい」

至極、正論。集中砲火を喰らいかけた私を大慌てで助けに入ろうとして、大立ち回りを繰り広げている目を疑う状況に、最終的には奇妙な共闘となった。

これが町娘であれば、その場から逃げている。進んで巻き込まれに行ったり、手出しをする人間を普通の人間とは言わない。不意に三蔵の一言を思い出して、苦い顔になった。

「目的地、着いたけど。一個、聞いていいか?」
「なんでしょう?」
「そのビール瓶、どうするワケ?」

投げ損ねたビール瓶のもう一本は、図らずも手放す機会を失った。どうせこれから会う相手は、話し合いの通じる相手では無い。それに。いつも手に持っている刀を置いてきたせいで、どうも心許無いのだ。ならば、いっそ持ったままに限る。

「どうって。投げる」
「数分前に俺が言ったこと、ホントのホントに聞いてたか!?」
「お邪魔しまーす」
「あーーッ!?待て待て待て!?」

扉前で最後通告でもしようとしたのか。ここまで来て、退くはずが無いのは分かっているだろうに。扉を目前にしてストップを掛けてきた悟浄には悪いが、初めから穏便な話し合いによる解決ではなく、武力解決しか考えていない。

もぎ取られかけたビール瓶をうちの子よろしく両腕に抱いて、力いっぱい扉を蹴り開ける。後先考えない行動に、制止の声が背後から掛かるが既に遅い。

愉快な二人の不愉快な夢

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