【第18話:救われよう喰われよう】

庭を走り回る悟空を目で追いながら、陽当たりの良すぎる窓際で眠さに負けて欠伸する。

よく遊び、食べて、寝る。超健康優良児の襲来によって一時的な改善傾向を見せていた生活は、一人の生活になった途端、呆気なく元の不良生活へと逆戻りした。

「おい。寝るな」
「えー……ダメ?」

放っておけば、人間を辞めるとでも思われているらしい。昼飯の時間だと叩き起しに来た三蔵に、朝方ようやく落ちた眠りから覚めやらぬうちに寺院へと連れ去られた。

だらけきった格好で窓際に置いた椅子に座っていれば、コツンと頭頂部に軽い拳が落ちてくる。三蔵には悪いが、そんな生易しい攻撃ではしつこい睡魔は追い払えない。

「さっき悟空と一緒に昼寝したばかりだろうが」
「……抱き枕にされてただけだし」
「向こうの家に戻って、ちゃんと夜寝て朝起きるなら構わんがな」
「無理」

白いボールを追いかけて庭のあちこちを動き回る悟空は、保護者役に比べて元気なものだ。元気に満ち溢れた姿を並んで見ていれば、黄金の瞳の持ち主は、ポンッとボールを投げ寄越してくる。

「紫雨!あそぼ!」
「三蔵、パス」
「ハア!?こっちに押し付けるんじゃねえよ」

片手で受け止めたそれを、呑気に煙草を吸う三蔵に手渡す。運動が必要なのは、そっちの方だろう。

仏頂面で雑に投げられたボールをすぐさまキャッチして懲りずに再度投げ渡してきた悟空によって、あっという間にボールが手のひらの中に戻ってくる。中継地点よろしく回ってくる度、三蔵にボールを渡す。何度か流れ作業の妙な遊びを繰り返しているうちに、開け放したままの執務室の入口で恐る恐る坊主が彷徨いているのが見えた。

「さーんぞー様」
「……チッ」

ここ最近。入り浸っている私と目が合った瞬間、嫌そうな顔を見せた坊主に肩を竦める。せめてもの心配りですぐさま視線を逸らすと、無視を決め込もうとする三蔵の横腹を指先で突っつく。

私を傍に置いているのは、他ならぬ三蔵自身だ。この寺の総責任者でもある彼に、坊主らが直接文句を言えるはずもない。待覚の血縁であると三蔵がでっちあげたおかげで、目に見えた嫌がらせがなされないのは幸いだが、後ろ盾の無い悟空にその分だけ陰口が集中している感が否めない。一度シメてやろうかと思ったが、バレれば三蔵に怒鳴られる特典が付いてくるし、彼の迷惑になる。

「……猿と一緒に遊んでろ」
「はーい」

保護者の頼みならば、仕方あるまい。適度に投げる位置をずらしながら、悟空へ向けてボールを放る。弧を描いて跳んで行くボールを追いかける悟空の姿は、まるで仔犬のようで目元が緩む。

要件を告げに来た坊主と二三言短い言葉を交わして、受け取った書簡を広げた三蔵が背後で長々とした溜息を吐く。面倒臭いと言いたげな表情といい、仕事関係で何やらトラブルがあったのは明白だった。

「紫雨」
「うん?……っと…あぶない」

投げた力が強かったのか、はたまた軌道が逸れたのか。兎にも角にも、ボールを手放すタイミングで三蔵の呼び掛けに応じて振り返ったせいで、悟空の手元が大幅に狂った。

私の頭上を通り越して、あろうことか三蔵の後頭部に直撃しかけたボールに、慌てて腕を伸ばして片手で受け止める。何事も無かったかのように後ろ手にボールを隠して向き直ると、手元から視線を上げた三蔵が此方を向いて、訝しげに眉を寄せる。

「失せ物探しは得意か?……って。何をしてるんだ、アイツは」
「ふふっ。元気だよね……やれって言われたら、やるよ」

一直線に三蔵の後頭部に飛んで行ったボールに、言葉にならぬ叫び声を上げながら大慌てで駆けつけようとした悟空は、何故か草むらの中に突っ込んでいった。知らぬうちに危険を回避したとは微塵にも思っていない三蔵に向き直ると、畳まれぬまま書簡が差し出される。

個人的に調べたい案件も、手元に転がり込んでいるところだ。三蔵の仕事を受けておけば、同時進行でその案件を調べる時間も取れる。先の案件一つだけで探りたくは無いと思っていたところだから、失せ物探しは渡りに船だ。

「小さいが懇意にしてる寺院でな。そこの本尊が盗まれたらしい。ついでに、うちの寺院から貸している掛軸も一緒に盗まれたらしいくてな」

なるほど。その報告も兼ねて、三蔵の元に急ぎの書簡が届けられた訳か。謝罪の言葉ばかりが連ねられている書簡の文面に、いっそ同情を覚える。

「場所は?」
「慶雲院から南西方面。約一里……も離れてないはずだ」

何処を探して良いか分からず、人手も足りぬから探すにも探せない。けれども、どうにかして盗まれた物を取り戻したい。そちらの寺院に、誰かこういった出来事に詳しい人は居ないか。手元に戻ってきた暁には、相応の謝礼金を。盗まれたことに対する慰謝料も、言い値で払うと末尾に書かれたそれを返せば、入れ替わりで引き出しから出された地図を受け取る。

「遠くは無いね。昨日今日の話だし、売り払うには早いか。そこら辺の盗賊団か、金の流れ追えば出てきそう」

最終的にボコッて取り返せば良い。いくら三蔵が容認していても、そんな言葉は言えない。まかり間違って、誰かに聞かれては困るから、口には出さないでおくのが吉だ。

「任せて構わないか?」
「いいよー。三蔵さえ良ければ」

横着をして窓から部屋に入ってきた悟空が足を床に着く前に、窓枠に座らせて土で汚れた足を拭く。靴を履く習慣が無かったせいか、気を抜くとそこら中を足跡だらけにされる。しかも、よくよく見れば、勢いよく草むらに突っ込んだせいもあって、頭が葉っぱだらけになっている。

「少しは落ち着きを身につけやがれ!!」
「イッデェ!?」

三蔵曰く、走り回る悟空が髪を仏具に引っ掛けて壊しまくるから、長い髪は結ぶことにした。かさむ寺院の修繕費と、ブチ切れそうな三蔵の頭の血管。ついに白い髪紐で毎朝結わえるのが、三蔵の朝の日課の一つとなった。

せっかく結んでやったのに、仕事を増やすな。髪をぐちゃぐちゃにした悟空の頭をハリセンで忘れずに引っぱたいた三蔵は、ギャアギャアと文句を連呼する悟空の動きを封じて、もはや意味を為していない髪紐をほどく。

「何か他に聞きたいことは」
「先方に直接話聞きたい。話通すか、一筆欲しい」
「分かった。少し待ってろ」
「急がなくていいよ」

外出の準備を整えると言っても、刀と銃を装備するだけだ。いくら寝ぼけていても、そんなものを置き去りにして家を空けるほど馬鹿じゃない。身なりを整えるだけの作業には、それほど時間もかからない。

柔らかそうな悟空の髪を結いあげる慣れた手つきを見つめていれば、ふと遣られた紫暗の瞳と視線が交わる。

「なあに?」
「紫雨。お前もこっち来い」

手招きにつられて三蔵の目の前まで歩み寄れば、突如腰元に回った腕に思考が停止する。

「うおわっ……」

くるりと回された身体に硬直する。すとんっと膝上に下ろす形になった腰に何も言われなかったということは、この行動で正しかったのだろう。

「……なっ……なにしてるのかな」
「見ての通り、髪結ってんだよ」
「そうじゃなくてさ」

頭を動かそうとすれば、動くなと片手で即座に押さえられる。黙々と背中で揺れる髪を三つ編みにしていく三蔵によって、拘束されること数分。終了の声掛けの代わりに、薄紫色のサテンリボンで御丁寧にも隠された尻尾髪の結び目がパシンと指で弾かれる。

「暴れると、すぐほどけるぞ」

告げられた言葉は、暴れすぎるなとの意味だろう。思いもよらぬ得意分野があることに驚きつつも、なかなか意地の悪いことをしてくれると、内心で謗るのを忘れない。

救われよう喰われよう

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