【第24話:最後に一つ捨てるとしたら】

鮮やかなミッドナイトブルーの裾が、細く白い足首を晒して揺れる。澄んだ瞳の色と相俟って、やはりこういった色も良く似合う。

陽に晒されていなかったせいで白い肌に映える、濃い青紫色に身を包む紫雨を煙草片手に視線で追いつつ、改めて選んだ自分のセンスを自画自賛した。

使う先が無いからという理由で、またもや給金は自身に微塵も興味の無い紫雨のアレコレに費やした。強制的に買い与えられた服に、紫雨は初めこそ極めて迷惑そうな顔をしていたものの、それは金の使い道についての不満であって、決して俺の選んだ服が気に入らなかった訳では無いことだけは確かだ。

「……はしゃぎすぎてコケるなよ」

八戒指導のもと、行われる勉強を終えて。ボール遊びに飽き始めた悟空を、ようやく昼過ぎになって起き出してきた紫雨が眠気覚ましと言わんばかりに構いだした。

俺が見ていることに気付いてか。悟空を背負って、身軽に回ってみせる紫雨の背中で、悟空が嬉しそうな声を上げる。まったく器用なものだ。火のついた煙草の煙を吐き出しながら、ほんの少しだけ目元を緩める。

「あー!あった!」
「何が?」
「紫雨下がって!もうちょい右!」
「何?鳥の巣でも見つけた?」

少しだけ高くなった目線に、失踪していた過去の産物が無事に発見されたらしい。ごちゃごちゃと木の下で騒ぐ二人組だが、ド下手糞な悟空の説明は要領を得ず、紫雨が首を捻る。

「三蔵と飛ばした紙飛行機!」
「……悟空のだけ、真っ直ぐ飛ばなかったって奴か」

ここ最近の紫雨は、俺の部屋を帰宅地点として定めている。仮家に帰ったところで、どうせ気の赴くままに突撃訪問をかます悟空に叩き起されて、昼過ぎには寺へと顔を出す羽目になる。

夜更け前に出て行って、朝方帰ってくる。完全な昼夜逆転生活を続けている紫雨を心配する、俺の懸念を知ってか。此方から言い出す前に、成り行きで慶雲院に転がり込んだ頃と同じく、俺の部屋で休むようになった。

十分な休息が取れているならば、それでいい。彼女からすれば、口煩い小言を聞きたく無いが故の先回り行動だったのかもしれないが、精神衛生上とても有難い。

いったい何をしているのやら。朝の勤めがある俺が起き出した頃、帰宅した紫雨と鉢合わせることも少なくない。たまたま早く帰って来たとしても、悟空の寝ている布団の端で、文字通り横になっているだけだったりする。

見かねて帰宅直後の紫雨を寝台に引きずり込めば、初めからそこで寝て欲しいと思うほど大人しく収まって、寝息を立て始める有様だ。それも俺が起き出すまでの、ほんの数時間に過ぎないのだが。

「……よく動けるな」
「どう考えても。体力削ってますよね」
「おいコラ。追い打ちかけてんじゃねえぞ八戒」
「あはははは。すいません」

まとまった睡眠時間が取れていないのは明白で、細切れの睡眠時間に倒れやしないかとハラハラとする。日を重ねるごとに、色濃くなる疲労感。わずかだけ覗く疲れた表情が見られるのは、帰宅時だけ。本人が仕事について口を割らないせいで、どうせ突っ込んだところではぐらかされるのがオチだ。

執務室の窓辺で八戒と並んで、悟浄を追いかけ回し始めた元気の有り余ったチビ二人を眺める。ただでさえ少ない体力を惜しげも無くガンガン削っている、どうしようも無い片割れが体力切れを起こす前に。誰でもいいから、早く止めてくれ。

「……三人とも!そろそろ出掛けますよ!」

口元に手を当てて催促した八戒の声に、寺の庭で遊びに興じていた三人が仲良く揃った返事をする。直後、違うベクトルで手のかかる二人が、いつだって騒がしい大男の横っ腹に追突した。急停止した悟浄に、慌てて足を止めたものの勢いを殺しきれず、大笑いする悟空を背中に乗せたまま、ド派手な衝突事故を起こした紫雨に頭を抱える。

疲れが抜けていないのは、どこからどう見ても明らかだった。普段からは考えられないほどのボケた動きをしでかした本人を捕まえて、わざわざ訊ねて確かめるまでも無い。



「紫雨。三蔵から頼まれた物、先に買ってしまいますか?」

慶雲院を出る間際。三蔵が紫雨へと手渡していた、紙の切れ端と金銭。何やら言葉を交わした後の出来事だったから、恐らく何かしら買い物の用事を三蔵は、彼女に言いつけたのだろう。

人通りの多い往来へと身を溶かす前に、町の入口で足を止める。隣を歩いていた姿を見遣るべく視線を下げて尋ねれば、紫雨は迷ったように首を捻った。

元々、三蔵も一緒に町へ行く予定だった。それが急遽、寺を訪れることになったお偉方の応対に追われているせいで、責任者である三蔵は寺を空けることができなくなった。

煙草のフィルターを噛みながら、不機嫌そうに。かたや表情の変化に乏しい彼女にしては、珍しく些か不満そうに。三蔵と紫雨は、度合いの違いこそあれども、同じ反応をしていた。

「んー……三蔵のマルボロと私の日用品だけだから、別行動してもいいよ。あと、悟空は連れて行くし……」

腰元で緩く両手を組んだ格好で、少しだけ考える素振りをみせた紫雨が考えた末に言葉を口にした。結われていない色素の薄い、柔らかそうな髪がさらりと胸元で揺れる。

「あんまり早く帰っても。結局、紫雨の家にお邪魔することには変わりないですもんねえ……」

向こうの家でな。無言のまま、三蔵は親指で裏手にある家を指し示した。寺に帰ったところで三蔵の仕事が終わっていなければ、門番の坊主に敷居すら跨がせて貰えないだろう。

「食器と椅子と……あとなんだ?酒と煙草と食料品か?」

放っておけば、すぐに飛び出していきそうな悟空の首根っこを掴んで、悟浄が指折り買う物を数える。食料よりも酒と煙草の優先度が上なのは、如何なものか。思わず溜息が漏れるのは、仕方が無い。

「食料って言っても、今日の夜の分だけで十分です。別に急ぐ必要も遠慮も必要無いんですよ、紫雨?」
「そう?食料品選びなんて、悟浄より役に立たないと思うけど」
「オイオイ!?俺が基準か!?」

ガッと手荒に小さな頭を掴んだ悟浄の手を、数秒で払いのけた紫雨の手つきがもはや慣れている。的確に関節を狙ってきている辺り、彼女が味方で良かったと密かに思った。

「このメンツに三蔵を加えても、どうせ役に立つのなんて僕しか居ないんです。だから、安心してください。悟浄に任せたら最後、酒と煙草しか買ってきませんからね」

食事は、カップ麺とツマミのみ。酒と煙草をそこに添えれば、もう文句無しの典型的な男の一人暮らしが出来上がる。流れで始まった同居生活で、ぶち当たった高い壁には頭を抱えたが、どうにかこうにかやっている。

「八戒!!お前が一番酷ェんだよ!!」
「なので、四人で行きましょう」
「わかった」
「聞いてんのかコラァ!!」

ド直球で「役に立たない」と通告された悟浄が、喧しくギャアギャアと騒ぎ立てているが、無視を決め込む。事実を言って、何が悪い。

こうして応酬を繰り広げる間にも。どんぐり眼の黄金色から向けられる視線は、あっちこっちを忙しなく行き来する。今は掴まれているから、大人しくしているだけだ。この場に保護者役が居なければ、間違いなく飛び出して行って、数秒後には迷子が出来上がっている。

素直に頷きを返した紫雨の指先が、悟浄に手放された悟空が駆け出す寸前で捕まえる。無造作に首根っこを掴むのではなく、極々自然に右手首を掴んだ紫雨に、あっという間に鉄砲玉は傍へと引き戻されてきた。

「重たい荷物は悟浄が持ってくれるそうなので。先に家具と食器を見て、日用品と今日の晩御飯の材料を買いに行きましょうか」
「ンなこと一言も言ってねえだろうが!」
「え…………どうして悟浄着いてきたの?」
「ハイハーイ!紫雨の荷物、オレが持つー!」

情け容赦のない言葉を投げかける紫雨は、確信犯だ。その証拠に、ガックリと肩を落とす悟浄を見て、クスクスと笑っている。ばっと手を挙げて、目をキラキラとさせながら手伝うと意気込む悟空は、普段から積極的に手伝いをしているらしい。良い子だと言わんばかりに、彼女の手のひらがぽんと一つ頭を撫でた。



「真っ先に三蔵の煙草を買う辺り。貴方とは大違いですね、悟浄?」
「……うっせえ」

三蔵から頼まれた煙草の入った買い物袋をぶら下げた、紫雨の後ろ姿を見つめれば、隣で煙草を吸って突っ立っていた悟浄がバツの悪そうな顔をする。

両手で悟空を背中側から抱えながら、顔馴染みの煙草屋の店主と会話を交わす紫雨の表情がよく分からないから何とも言えないが、適度に愛想を振りまいているだろう彼女は、とにかく相手方に取り入るのが驚くほど上手い。

もっとも。それは彼女のデフォルトであり、仕事の延長線にある行動だ。見たままの態度と同じく、本心から思っているか?と問われれば、それはそれで大いなる疑問が残るし、狙ってやっていると言っても過言ではない。要するに、本音と建前と言うやつだ。

「おまたせー」

しばらくして。こちらに戻ってくる頃には、しれっと袋の中にカートン単位でもう1箱増えていた煙草に、流石に口が上手いと舌を巻く。

「ねえ、八戒」
「はい。何でしょう」
「悟空のご飯。余分に買っときたいんだけど、足りるかな?」
「貴女、どれだけ悟空の食料を買うつもりなんですか。それに食器と悟浄の椅子の代金は、こっちが出すので大丈夫ですよ」

たかだか買い物に。多すぎる金額を渡した三蔵のせいで、紫雨の表情に戸惑いの色が混じった。おもむろに財布の中身を悟空と一緒に覗き込んで、お互いの顔を見合わせる。財布の中の金額を確かめた後、揃って視線を上げた表情には、ますます困惑が広がった。

「考えてみてください。あの三蔵ですよ?悟浄のために買う、足りない椅子ごときにお金を払うと思いますか?」
「あの生臭坊主に、そんな優しさある訳ねェわ」

財布の中から家具代諸々を出す気だった紫雨の口から「あー…」と平坦な声が漏れた。我ながら、筋の通った説得をしたと思う。そんな彼女の隣で、頭の後ろで手を組んだ悟空が何度も頷く。

「三蔵だもんなー」
「通りで……食器買って、悟空の食料買ったら。椅子買うのには、絶妙に足りなくなる金額しか入ってない」

この場に三蔵が居たら睨まれるか、怒声が飛ぶか。はたまた、マッハで短銃が向けられるか。出るわ出るわの不平不満は、本人に直接聞かせてやりたいくらいだ。

煙草と紫雨の日用品、それから悟空の馬鹿にならない量の臨時食料。それらを買っても、かなりの金額の残るであろう渡された金銭。

既に三蔵の定位置となっているリビングルームの椅子があるにも関わらず、彼が余分な椅子を買うための金を懐から出すとは思えない。余った分は好きに使えと言いたかったのであろうが、紫雨には微塵も真意が伝わっていない辺り、三蔵に同情をした。

「最高僧って。傍若無人の性格破綻者じゃないとなれない……なんて規則あるの?適度に物騒じゃないとダメ、とか」

腹が減ったと騒ぎ出す前に、絶妙なタイミングで買い与えられた肉まんへと歩きながらかぶりつく悟空を横目に、歩くスピードを意図的に落とす。

身長差があるから、歩幅も違う。慶雲院を出たばかりの時こそ、スタスタと自分のペースを貫いていた悟浄は、後ろを小走りで着いてくる紫雨と悟空をちらりと見て、心做しか速度を落として歩幅を狭めた。

途中で面倒になったのか。悟浄が悟空を片手で構い始めたおかげで、進みは必然的にゆっくりになった。巻き込まれないように、そろりそろりと距離をとって逃げてきた紫雨は、町の手前に差し掛かる頃には自分の隣へと並んでいた。絶対に巻き込まれてやらないと無言で示す、彼女の強い意志は何があっても揺るがないだろう。

「てか。意外だわ」
「……何が?」
「三蔵様ファーストのクセに、ド辛辣な言葉並べて文句言うトコ」
「それ、僕も思ってました」

紫雨と接して、自分の優先度を限りなく後回しにする人物だと知った。そして、それが三蔵を怒らせる要因になっている。主である三蔵の言葉を素直に聞くと思えば、紫雨も紫雨で歯に衣着せぬ物言いで噛みつき言い返すせいで、盛大に両者の間で火花が散る。

大概、三蔵が疲れて諦めるかゴリ押しで押し切る。相当危ないことをしでかさない限りは、とりあえず許容範囲内らしい。勝率は紫雨の方が高いが、ほぼほぼ半々の割合だ。

初めは慌てて止めに入ろうとしたものの「アレは三蔵と紫雨の楽しみみたいなモンだから」と、呆れた顔で袖を引っ張って止めた悟空の一言に、傍観者の立ち位置へと落ち着いた。

「意外と喧嘩するよねってこと?基本的に三蔵の言うこと聞かなくて、キレられてるだけだよ。別に一から十まで三蔵の言うことに従うつもり無いし、なんなら三蔵も従わせるつもりすら無いと思うよ」

三蔵を振り回している張本人は、直す気があるかどうかは別として、とりあえず自覚していたらしい。想像していた主従関係と違う二人の関係性に、こうして尋ねてみたくなる悟浄の気持ちも分かる。

「……ほら。お互いに言いたいことは、その時に言っとかないとさ?」
「熟年離婚する夫婦みたいなこと言うなっつーの!」

困っちゃうでしょ?と続けた紫雨に、すかさず悟浄の冴えた一言が炸裂する。上手い喩えをした彼に、ふっ……と笑いが込み上げて、堪えきれずに変な声が漏れる。

それは紫雨も同じだったようで、くすくすと目を細めて薄い肩を揺らして笑う彼女がどういう意図で、その言葉を選んで口にしたのか。その真意は分からない。至って普通の当たり前な言葉の裏側に、何か別の意味が隠されているような気がしたのは、例の如く考えすぎかもしれない。

隠しに隠したつもりの表情を窺う視線に対して、目敏くも気付いた紫雨がにっこりと笑う。見透かすようなその顔に、ますますそう思えてしまったのは、仕方ないと云うものだろう。

最後に一つ捨てるとしたら

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