【第23話:ひなたのお部屋に夜が来る】

「あれ?」
「あー!?」

驚きを孕んだ、二人分の声がほとんど同時に重なった。正確には、三人分だったかもしれない。だが、こちらを指差して大声をあげた約一名のせいで、隣に並んで立った彼が、驚きに目を丸くしている表情しか捉えることはできなかった。

「…………随分と遅い帰りじゃねぇか。紫雨」

開けっぱなしの執務室の窓枠に脚をかけて、部屋に飛び込もうとした格好のまま、ぴたりと静止する。顔見知りが二人、三蔵の部屋に居た。これはいったいどういう事か。

一息で言い切った嫌味ったらしい三蔵の一言を聞き流しながら、あれやこれやと可能性を考える。とりあえず、静かにブチ切れている三蔵がまた懲りずに面倒ごとに巻き込まれたことだけは、聞かずとも分かった。

「紫雨!」
「あ」

保護者の片割れの帰還に、悟空の箍が外れた。ぴゃっと真っ直ぐ飛び込んできた悟空を、片手で難無く受け止めたのも束の間。ずるりと窓枠にかけたままの足裏が滑って、後方へと崩れた体勢に、ぱちりと瞬く。

利き手には脱いだ靴と刀、もう片方の手は悟空の背中に回っている。うっかり身体を支えることを失念していた。自分だけの体重ならば、どんなに足場が悪くともバランスを取れる自信はある。視線を悟空の頭のてっぺんに落として、他人事のように考えた。

これは後頭部からひっくり返る。まあ、悟空が怪我をしなければ問題無いだろう。なんて冷静に考えていれば、靴をつまんでいた方の腕が勢いよく引っ張られて、身体が宙を飛んだ。

「ぶぎゃっ」
「わあ」
「………………痛てェ…」

後ろに傾きかけていた身体は、一瞬で今度は前方へと傾いた。そして気付いた時には片腕で抱き込んだ悟空ごと、椅子に座ったままの三蔵の膝上めがけて、ドサドサと一斉に雪崩込んでいた。

「馬鹿野郎」と腕を引っ張られる直前に、盛大な罵倒が聞こえた気がしたが、流石に口をついて出るのも仕方が無い。長々と溜息を吐いて呆れを表情に滲ませた三蔵の手刀が、ガツンと悟空とお揃いで頭頂部に振り下ろされて、きゃあっと悲鳴をあげる。

「……お前なぁッ!?」
「つい、うっかり」

真ん中に挟まれた悟空は、盛大に鼻を打ち付けたばかりか、あまつさえ頭頂部に一撃をオマケにもらったせいで、追撃を喰らってはならないと早々に間から這い出て行った。

普段ならば「急に飛び付くな」と、三蔵の特大級のカミナリが落ちているところだが、生憎その矛先は私へと向いている。じりじりとした鈍い痛みを伝えてくる場所を空いた片手で撫でながら、冷めた目で見つめ返す。

「毎回大口叩いてる割には、自分の身も守れてねえじゃねぇか!!ああん!?」
「ちょっと後頭部打ったくらいで死なないでしょ」
「死ななくとも窓の真下を血の海にされちゃ迷惑なんだよ!」
「ちょっとしたホラースポットの出来上がりだね」

ぎゃあぎゃあと至近距離でやり取りをしながら、三蔵の息が切れたところでようやく舌戦が落ち着きを見せる。無論、これくらいのやり取りで、此方の息が切れるはずもないから、言葉が返ってくる限り平気で打ち返す。

「…………はあ」
「…………うん。まあ、ごめんね?」
「…………そう思うなら、早く退きやがれ」

白旗を上げたのは、三蔵が先だった。一気に失速した勢いに、椅子代わりにしていた肘掛けの上から足裏を床につける。腕を引っ張られる途中に、手放して床に放り出してバラ撒いた靴は、先に逃げた悟空によって回収されたらしい。

触らぬ神に祟りなし。そう言わんばかりの顔で、巻き込まれない場所で舌戦を観戦していた二人を、改めてまじまじと見る。

相変わらずな悟浄に対して、深い傷を負っていた彼は、随分と吹っ切れたような清々しい顔をしている。とりあえず、彼が巻き込まれていた面倒事とやらには片が付いたらしい。

「また、会いましたね」

にっこりと微笑んで言った彼の一言に、何故知り合いなんだと言わんばかりの容赦ない視線が隣から突き刺さる。しつこすぎて、穴が開きそうだ。

「猪悟能改めまして、猪八戒です。八戒、で構いません。今日こそ名前、教えてくれますか?」
「……紫雨。よろしく」
「えー!?八戒と紫雨、知り合いだったのかよー!?面倒臭いことしなくても、紫雨に頼めば良かったじゃーん!!」
「おい……紫雨。いったい貴様の交友関係はどうなってんだ……?」

悟浄から聞いて名前は知っているだろう、なんて野暮な返しは無しだ。丁寧な挨拶とともに差し出された手を握りつつ、悟空のあげた声に苦笑いをする。

そのまんま、三蔵の心中を代弁するような声を上げた、悟空が膨らませた頬を人差し指でツンとつつく。黙ってはいるもののそれを一番言いたかったのは、椅子に座ってこうして諦観をあらわにしている三蔵だろう。

「ああー……確かに口煩い過保護で面倒臭い雇い主だな」
「そうでしょ?」

ぱっと手を開いて、悟浄の言葉に同意を返す。好き放題、言われている三蔵の怒りのボルテージが倍増しであがっているのは、この際無視しておく。案の定、飛んできた足蹴に、身体を後ろへと逸らすだけでするりと難無くかわせば、舌打ちが響いた。



「で。何でこうなるのよ?」
「近い。暴れても支障が無い。決まってんだろ」
「完全にセーフハウスになってるよねぇ……此処」

絵面だけでムサ苦しさが甚だしい。狭い家に大人の男が三人、悟空も頭数に入れると四人だ。どれだけ飲むのだと言わんばかりに、買い物袋に詰め込まれた酒缶が、悟浄と悟空が暴れて机にぶつかった拍子にコロコロと机上を転がる。

寺で酒盛りができるはずもなく、当然と言わんばかりに執務室に居た全員が家に来ることとなった。家主に断りもなく、騒ぎ倒している男たちを見ながら、キッチンでお茶を傾ける。

「すいません。転がり込んじゃって」
「此処の所有権は三蔵が持ってるし。三蔵が是と言えば、断る謂れもないんだけど…………むしろ八戒こそ、料理作らせちゃって悪いね」

キッチンに立って包丁を握っている八戒が、手元に視線を向けたまま眉を下げて言う。あっという間に切られていく野菜たちを横目に、言葉を返す。夕飯の支度は早々に戦力外を悟って、八戒に任せることにした。リビングに戻れば巻き込まれるから、家を邪魔するお詫びとして手渡された中国茶を、こうして料理する彼の隣で一人味わっている。

思えば、三人揃って生活能力が無い。三蔵を筆頭に、その場を乗り切るサバイバル能力に技能を全振りしているし、斯く言う私も全力で生活能力を投げ捨てているから、悟空を養う身としては揃って如何なものか。

「こんなことを聞くのは、野暮かもしれないんですが。三蔵とは、どういう関係で?」
「どういうって……飼い主と番犬?」
「…………また怒られますよ、それ」

たいした家具を置いていないリビングは、格好の遊び場になるらしく、悟浄と悟空は忙しなく走り回っては取っ組み合っている。缶コーヒーと灰皿をひっくり返されない限りは、怒鳴り散らすつもりはないのか。足を組んで悠然と煙草を吸っている三蔵を眺めつつ、苦笑する。

「八戒の思ってるような、男女の特別な関係じゃないよ」

きらりと穏やかな光を湛えた瞳が向けられ、華の香を味わいながら首を傾げる。返されたのは笑みだけだったから、彼には他に思うところがあるのだろう。

「最近、前にも増して帰って来ないって。三蔵が文句言ってましたよ」

八戒に告げられた一言に、カップを傾ける手が止まった。隠し事をしていることに対して、一抹の気まずさを覚える。

まるで親に怒られるのを怖がる子供のようだ。爪先に視線を落として黙り込んだ紫雨を横目に切った野菜を包丁で集めつつ、数日前のことを八戒は想起する。

「本当なら。もう一人、居るんだがな」

そう溜息混じりに言った三蔵の一言に、目を瞬いたことに気付いてか、珍しく彼にしては自分から続きを口にした。

「悟空より前に。拾ったヤツが一人居る。大人びちゃいるが、しょっちゅう危ないことに首突っ込むし、自分に無頓着だしで手が掛かる奴だ……」
「……そうなんですか」
「真冬に雪ん中で傷だらけで凍死しかけてたウサギだぞ。信じられねえだろ。首輪付けとくか迷うレベルだ。放っておくと何処に行くか、分かりゃしねえ」

目の前の男にしては、いやに饒舌だと八戒は思った。うるせぇと一蹴をせず、三蔵がここまで口を滑らせたのだ。さぞかし、その相手を気にかけているだろうことは明白だった。

この家に足を踏み入れた時、その生活感の無さに背筋がゾッとした。いつでも離れられるように。そんな彼女の意思が現れている。自分にはそう思えてならなかった。

「……個人的な仕事で。三蔵に言うと、絶対ややこしくなる」
「三蔵の言葉を借りると、また懲りずに危ないことに首突っ込んでるわけですね?」
「…………なんだろう。口煩いのがもう一人増えた気分」
「あははは。三蔵ほど、やいやい言いませんから安心してください」

微妙な顔をしながら呟けば、安心していいのか疑う返答がかえってくる。八戒のように、普段ニコニコ笑っている人物ほど怖いものは無い。

たいてい他の細々としたことを小言を言いながらも笑って見逃す限り、なにかしら不味いことをしでかした瞬間、弩級のカミナリが落ちるのだ。

「おい、八戒!夕飯はまだか?」
「はいはい。後は煮込むだけですから、もう少し待ってください」

いつの間にか煙草を吸い終えた三蔵の、夕飯を催促する声がリビングから飛んで、キリの良かった会話を終える。文句を言うくらいなら、箸と皿を並べるくらい手伝ったらどうなのだ。

しかも、伏せて並べてあるだけの食器は、どう考えたって数が足りない上に容量が合ってない。普段から必要最低限の三人分の食器しか置いていないせいで、寄せ集め感満載の皿をテーブルに置きつつ、なんとか帳尻を合わせる。

「鍋だー!」
「悟空、まだ煮えてないです」

バタバタと駆けてきて、生煮えの鍋に箸を突っ込もうとした悟空の手首を、無言のまま八戒と同時に両サイドから留める。頬を膨らませている悟空の為に、大盛りのご飯を用意しておいて正解だった。器を握らせれば、茶碗に即座に箸がつけられた。

「三蔵、椅子一つ足りないんだけど」
「何言ってんだ。そこのゴキブリ河童が立って食えば、問題ねえだろ」
「いやいや!お前が何言ってくれちゃってんだ!?クソ坊主!?」
「デカい図体してんのはテメェの方だろうが!」

食器は何とか出来ても、椅子はどうにもならない。三蔵の定位置と、その正面に座らせた悟空のおかげで、残る椅子は二つ。悟空を膝上に乗せるのもやむを得ないと、軽く考えていたくらいだ。立って食べればいいかと考える私の腕を引っ張った三蔵の勢いに負けて、空いていた彼の隣に腰を下ろす。

「アアッ!?だいたい当たり前の顔して座ってやがるテメェはどうなんだよ!!」
「ここの大家だ!!テメェはお呼びじゃねえんだよ!!何で居やがる!!」
「……家主は私なんだけど」

頭数から跳ねられている悟浄が三蔵に食ってかかる。当然、もれなく沸点を突破した三蔵の怒鳴り声が寸分置かずして轟く。

ダンッと叩かれたテーブルに、ガシャンと空の器が音を立てて揺れた。瞬く間に、ひっちゃかめっちゃかにされるテーブルと、頭上で繰り広げられる喧しい応酬に、八戒と揃って溜息を吐いた。

ひなたのお部屋に夜が来る

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