【第9話:非接触により増える傷】

「新米パパの金蝉童子サマ、情報部隊長より直々の宅配便でございまーす!開ーけーてー!」
「ございまーす!」

一発叩かれるのを承知で、金蝉の執務室前で叫ぶ。鍵なんてかかってない扉は普通に開けて、勝手に入ったって追い出されやしないけれど。今は出迎えてほしい気分だった。

私の真似事をする悟空と顔を見合わせて、くすくすと笑いあっていれば、修復作業をして新しくなったばかりの扉がけたたましい音を立てて開いて、怒り心頭の部屋の主が顔を出す。

「新米じゃねえ!悪ガキの世話が初めてなだけだ!」
「わあ、びっくりした……というか。突っ込みどころ、そこなの?なんか違うくない?」
「お前の世話は楽だった」
「金蝉。多分、それ幻想。記憶改竄してるよ」

私は私で、悟空とは違う方向性で手がかかったと思うんだけどなぁ。廊下で騒ぐなと怒声が飛んでくると見越して身構えていたのに、まったくの別角度から投げ付けられた返答の変化球に、怪訝な顔をして首を傾げる。

私たちに抵抗する意思はありません。両手を上に挙げてバンザイの格好をした悟空と、背後でその両手を掴んだ私。暇さえあれば終始遊んでいる私たちを見て、迎え出た金蝉が口元をわずかに緩ませた。

「……やっと帰ってきやがったか」
「あれ。驚かないね」
「バカ猿がそっちに遊びに行ったと、お前の副官から昼過ぎに連絡をもらったからな。ちなみにお前が仕事を放り投げて、猿と一緒に遊びに行ったことも把握済みだ」
「あんにゃろ。全部報告しやがったな」
「真面目に仕事しろ」
「してるよ」

早起きして作った隊長お手製デザートでは、副官の口止め料に足るものではなかった。チッと舌打ちをして口を尖らせれば「悟空が真似するからやめろ」と、人差し指の先で額が弾かれる。

「こっちで夕飯食べて、向こうに帰るのか?それとも、今日は泊まっていくのか?」
「ううん。このまま帰る」

てっきり部屋でくつろいでいくものだと思っていたらしい金蝉は、部屋の中へと踵を返しかけて動きを止める。入口で立ち止まった私の予想外な返事を受けて言葉に詰まった彼は、未だ好き放題して遊ばれている悟空を見下ろして、再び口を開く。

「……悟空は床に布団敷いて寝かせてるから、お前の寝床はあるが」
「金蝉のベッドが壊れない限り、私の寝床が無くならないのは知ってるよ。また来るから」
「何時間後だ?」
「なんでそうなるのさ。また後日ね」

別に悟空が居るから、遠慮したわけじゃない。あくまで泊まる前提で話を進めている金蝉に苦笑いで首を振って、此処まで連れてきた小さな身体をそっと彼の方へと押す。

「え。采霞、帰っちゃうの?」
「うん。今日は帰るよ」
「そっかあ……遊んでくれて、ありがとな!」
「ばいばい、悟空。また遊びにおいで」

金蝉の足元にくっつけた悟空に、ひらひらと手を振って別れを告げると、さっき辿って来た道をひとり寂しく戻る。ふと見上げた空は、徐々に夕暮れの色が消えて、端から夜の色が混じり始めていた。

あの話を耳にしてから、どうにも疲れてしまった。あのまま金蝉と一緒に居ると、要らぬことまで喋り倒して、最終的に泣きつくのは目に見えていた。



悟空が不在にしていたおかげで、散々邪魔されて滞っていた仕事が捗った。唯一の誤算は、泊まると言い出すと思っていた采霞に帰ると言われて、盛大な肩透かしを食ったことだ。

二人の帰りを待つ間、何もしないのは暇だから机の上を無駄に片付けたりしてみた。綺麗サッパリした机に明日分の書類を並べて準備しながら、采霞と別れた時のまま、傍らで服を握って棒立ちしている悟空に視線を落とす。

「どうした、悟空。外遊びは楽しくなかったのか」
「ううん。めっちゃ楽しかった」

普段なら。とっくに執務室を駆け回って、すかさず怒鳴り散らしているところだが、やけに静かだった。俺の服を握りしめたまま、頑なに傍を離れようとしない悟空は、俺の投げた質問に首を横に振る。

借りてきた猫のように大人しい悟空の様子を見て、暴れすぎて采霞に叱られたのかと思ったが、すぐに考えを撤回した。あれは心ゆくまで一緒に暴れて、俺や夏野といった周りにこっぴどく怒られる。そういう奴だ。

「なあなあ。金蝉」
「聞いてるだろうが。わざわざ引っ張るな」
「異端児ってさ。悪い奴なの?」

采霞といい、悟空といい。背の低い奴らは、総じて服をグイグイと無遠慮に引っ張る。服が伸びるだろうと続けるはずだった文句は、悟空の口から転がり出した予想外な問いかけに、一瞬で声にならずに消えた。

「俺の住んでたところ。目の色違う人間なんて、いっぱい居たけど。此処じゃあ金蝉たちと一緒の色してないと、仲間外れにされるのか?」

黄金の澄んだ瞳を見つめる俺が表情を凍り付かせたのを見て、自分の言ったことが上手く伝わらなかったと勘違いしたらしい。しかしながら、実際は正反対で。皆まで言われぬうちから、直感ですべてを悟った。そして、続けざまに足された言葉に、とうとう俺は逃げ道を失うことになる。

「……誰に言われた」
「知らない人。采霞と一緒に散歩してたら、俺のこと異端児だって」
「……それでどうした」
「采霞が怒って、川に落っことそうとしたから、頑張って止めたんだ。それで散歩やめて、金蝉のところ一緒に帰ってきた。多分、采霞それで機嫌悪くなった」

ひりついた喉のせいで、短い言葉を紡ぐだけのことが酷く難しいことのように思えた。怒気の滲む低い声で問い返した俺に、一瞬たじろいだ様子を見せたものの、それが自分相手に向けられた感情でないと知ると、矢継ぎ早に説明が返ってくる。

「俺、異端児?とか凶事?の象徴って言われることは、別に慣れたから良いんだけど。采霞がめちゃくちゃ怒ったり、金蝉がそんな顔するってことはさ。やっぱり言っちゃいけない悪口なんだろ?」

見慣れない真新しいノートと色鉛筆を大切そうに片手で抱えた悟空の一言に、ますます表情が厳しくなる。采霞にもらったであろうそれらを胸元に抱える悟空は、そう言って俺を見上げると眉を下げた。

「采霞は『お揃い』って言ってたけど、采霞は悪い奴じゃねえじゃん!目の色違ったら、みんな悪い奴になるのか?」

悪い奴じゃねえのはお前も一緒だ、悟空。采霞は過去にやらかした案件があるから、手放しにそうじゃないとは言い切れない。だが、例の件に関して采霞は事件を起こした張本人ではあるが、それは最終的な結果論であって、種をばらまいた奴は他に居たし、彼女が被害者であることは間違いない。

異端児の意味も、凶事の意味も。難しい言葉の意味を理解するには、悟空はまだ幼い。しかしながら、それが他人から自分へと向けられた悪意であることは、なんとなく肌で察することができる。

悟空への悪口を耳にした采霞が激昂するのは至極当たり前の話で、悪口を言った奴らは背後から殴られなかっただけ良かったと、懸命に止めたであろうコイツに感謝すべきだ。

目の色が違えば、仲間外れにされる。一見、子供の考えた短絡的な方程式のように見えるが、色々なものを繋ぎ合わせていくと随分的を得ている発言であることがよく判る。

小難しいことを説明しても、悟空には判らない。そう思って悟空を宥めた采霞は、自分だけは何があっても味方になると暗に伝えたつもりなのだろう。だが、そう言った采霞自身を護る者が居ないことに気付いて、今度は悟空が必死になって庇おうとした。お互いがお互いに庇い合ったあげく、逆に簡略化されてしまった天上界の構図には、いっそ目眩すら覚える。

「随分と騒がしいですね?」
「うぃーす。邪魔するぜ」
「……って、あれ?采霞はどうしました?」

ぐるりと部屋を見回して、足りない一人分の姿に気付いた天蓬は火のついた煙草片手に俺に訊ねる。その背後で携帯灰皿を持って、悟空による上司への襲撃に備えていた捲簾が顔を覗かせて、挨拶代わりに軽く手を振った。

見ての通り、此処には居ねえ。残念だったな。誘い断られて、家に帰ったんだよ。そして、現在進行形で厄介事が発生中だ。つらつらとした文句を声に出す気力もなく、溜息に変えて吐き出すと死んだ顔で来訪者を見遣る。

采霞が夕方来るだろうから、暇ならお前らも来るか。数時間前、部屋にやってきた友人は誘われた言葉通り部屋を訪れただけで、彼らに何ら罪はない。

一方的に身体を揺さぶられている俺と、癇癪を起こして手が付けられない悟空。ようやく異変に気付いた天蓬と捲簾の二人は、揃って怪訝な顔になる。

「……何かありましたか?酷い顔してますよ」
「この状況下で何も無かったと思えるならば、よっぽどおめでたい頭だぞ」
「采霞関連ですか」
「荒れる要因がそれ以外あると思うか?」

全力で揺さぶられて歪む視界に耐えきれず、執務机に片手をついて寄りかかる俺の顔を見た天蓬が眉を寄せる。気の利いた返事など浮かばず、天蓬に皮肉めいた言葉を返すと、返事を放ったらかしにした悟空へとそのまま視線を向ける。

「……お前は采霞のこと、どう思ってる。悪い奴に見えるのか」

腰までの背丈しかないのに、懸命に見上げてくる悟空の首がもげては困る。仕方なく膝を折って視線を合わせてやれば、さっきまでの喧しさが嘘のように、ぴたりと静かになった。

「どうって。采霞は良い奴だし、大切って言う以外なんかあんの?」
「少なくとも。お前の目には、そう映ってるんだろ?大切だと思うなら、それでいい。もし采霞やお前に何かあったら、後ろの二人が黙ってないだろうしな」
「それは貴方もでしょう、金蝉?」

こんくらい大切!両腕をいっぱいに広げて訴える、幼い悟空が考えた最上級の好意の表現。逆にそれ以外の感情があるのかと不思議そうな表情をする彼に、ぽんぽんと頭を手のひらで軽く撫でた後、ゆっくりと重い腰を上げる。

「少し席を外す。その間、コイツの世話を頼む」
「どうぞ。ごゆっくり」
「こっちは任せな」

事情を話す時間が惜しい。こっちは片付いたが、向こうはまったく片付いていない。むしろ、こっちより面倒なことになっていそうだ。

二人に留守番を押し付けると、足早に部屋を出る。数十分前に見送った采霞は、大事な時に何も言わず飲み込むのが昔から呆れるほど得意だった。

非接触により増える傷

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