それはもう随分前、真選組が結成して少し経った頃の話。



「はぁ・・・」


今俺が居るのは屯所の裏庭。ここはちょうど部屋から死角になっているせいか、あまり人が来ない。そのため、いつの間にかこの場所は俺の愚痴溢し場と化していた。


真選組の監察となってから日にちが経ち、それなりの任務も一人でこなせるようになった頃、俺はまた新たな悩みを抱えていた。



「まだ苗字すら覚えてもらってないのかよ・・・」


そう。真選組に入ってから随分日が経つというのに、まだ局長と副長以外に名前どころか、苗字ですら呼んでもらったことがないのだ。潜入捜査のときは名前を覚えてもらわない方が嬉しいが実生活では哀しいことこの上無い。


そんなくだらないこと、いや俺にとっては深刻な悩みを抱えながら思い詰めていると、後ろからいきなりポンと肩を叩かれた。


「うわあああああああ!!」

「あ、すみません」


俺の叫び声声を聞き、笑いながら謝ってきたのは隊士達の人気の的である女中のなまえさんだった。


「なまえさん・・・?こんな所でどうしたんですか?」

「あ、私ですか?休憩だから昼寝しに来たんです!ここ普段は誰も通らないので。そしたら山崎さんが居て・・・」


珍しいですね、今まで会ったこと無かったなぁと笑いながら言う彼女。っていうか今、


「今、俺のこと呼びました?」

「呼びましたけど・・・?」


今まで話したことも無かった女の子に突然名前を呼ばれ、舞い上がっていると、不思議そうに俺を見ていた彼女は次の瞬間イタズラを思い付いた子どもの様に、


「この場所、山崎さんと私だけの秘密の場所ですよ」


と笑った。それからというもの、俺と彼女・・・なまえさんは隙あらば二人でお茶を飲んだり、副長や女中頭のおばさんの愚痴を言い合ったりしていた。





そんなある日、珍しく任務が長引いてしまいで何時ものお茶会の時間に遅れた俺は、待っているであろうなまえさんを驚かせようとして自分の気配を消して近付いた・・・ときだった。


「はい。全て手に入りました。大丈夫です・・・本日中にそちらへ帰還します」


彼女はいつもとは全く別の雰囲気を身にまとい、電話の向こうの誰かと話していた。



電話が終わったのか、いつもの俺が知ってるなまえさんに戻った彼女は、こちらを振り向き「山崎さん、」と俺の名を呼んだ。



いつから俺が居たことに気付いていたんだろうか、さっきの電話の相手は一体誰なのか、とか気になることは沢山あったが、それよりも今にも消えて無くなりそうな彼女との二人の空間を壊したくなくて、俺は彼女が淹れてくれたすっかり冷めていたお茶に手を伸ばした。


いつものようにくだらないことを話しているうちに時間が経ち、俺が最後の一口を飲もうと湯飲みに手をかけた時だった。


「さっきの電話の相手、気になります?」


その彼女の言葉とどこか寂しげな雰囲気に戸惑いながらも、俺は笑いながら「別に気にしてませんよ」と言った。けれど口ではそう言いつつも、本当は気になって仕方がなかった。電話の相手なんかよりも、今の彼女がまとっている雰囲気が俺の知っている誰かと似ているような気がして、



俺がその“誰か”を思い出すのと、彼女が口を開くのはほぼ同時だった。




「電話の相手は、攘夷志士の頭。私、そいつに雇われた密偵なんです」


そう、今の彼女は、潜入捜査のときの“俺”に似ていたのだった。

彼女が告げた真実を、すぐに理解することが出来なかった。密偵。なまえさんが?あんなにいつも楽しそうに笑っていて、俺の名前を呼んでくれた彼女が、俺たちの敵?


「何で・・・何で、俺にそんなこと」


そうだ、何故敵である俺に自分が間者だと自ら名乗ったのかわからない。こんな自分にとって不利な状況なんて殺されてしまってもおかしくないのに。


「うーん、何でですかね?ここが楽しかったから・・・かな?」


そんな曖昧な理由で俺に密偵であることバラしたのか。それに楽しかったからって、そんなこと理由があってたまるものか。

必死になまえさんに返す言葉を見つける中、自分の意識はどんどん遠くなるのを感じた。どうやらさっき飲んだお茶には眠り薬が入っていたらしい。


「なまえさん・・・」


薄れていく意識の中で彼女の名前を呼びながら、俺は眠りに落ちた。


「山崎さん、立派な監察になって下さいね」


彼女の悲しそうなその言葉を聞きながら。











「山崎ィィィィィィィィ」


副長の馬鹿デカイ声で俺は飛び起きた。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。


「もう忘れてると思ってたのになぁ」


久しぶりに彼女の夢を見てしまった。

監察の経験を積んだ今ならば、彼女が何故こんな人気の無い場所に居たのかという理由も、初めて話したときに気配に気付かなかった理由も全てわかる。全ては彼女が俺よりも優秀な密偵だったからだ。



「山崎ィィィィ!!どこだァァァ!!!」


今にも俺を叩きのめしそうな副長の声で我に返り、焦りながらも俺は、冷め切ったお茶を飲み干して秘密の場所を後にした。




ねぇ、なまえさん。君は今どこで何をしているかわからないけど、俺は今日も副長や隊長にパシられながらも監察として頑張っています。

いつか、“監察”として君に会えたらそのときは、


「行ってきます。」


―――そんな俺の元に新しい任務が入り、それが彼女との再会となるのはあと数時間後。



090203/201207
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