▼ 第一幕
目が覚める。身体は重く、全身が痛い。
だけど、これはいつものことだ。
既に麻痺して、痛みを痛みとして感じられなくなっている自分にはどうでもいいこと。
「やぁ、影アリス。今回は随分と遅かったね。調子はどうだい?」
「チェシャ猫……? 問題ないわ。いつも通りよ」
「いつも通り、アリスの歪みを吸っているのかい?」
「えぇ、そう。いつも通りアリスの歪みを吸ってるの。それが私の役割だもの」
どれだけ痛かろうと、どれだけ苦しかろうと。
アリスの痛みは影アリスである――イリスの痛み。
二人仲良く半分こ。
そうすることが私がここに存在する理由。
それを知っているはずのにんまり顔のチェシャ猫は、けれど忠告めいた言葉を口にする。
「影アリス。いくら僕たちとは違うと言っても、いつか君も歪んでしまうよ」
「大丈夫よ」
「目覚めるのに時間がかかったのにかい?」
この間までは四週間だった。
今回は……四月の眠り。
眠る度、帰ってくる時間が伸びていく。
それは、身の内に増えていく歪みを押さえるのに掛かる時間。
間違えれば、引き受けた歪みがこの世界に流れてしまう。
「……それでも、この世界の歪みの進行が速まるよりはずっとマシだわ。ここはアリスの為の世界。だけど、歪みきってしまったなら、それはアリスを傷付けてしまう」
この世界の登場人物の中で、私だけは歪みに強い。
何故なら、私には器があるから。
アリスが生んだ空想じゃない。現実に、アリスが亜莉子として生きる世界に産まれ、存在した、アリスの妹。
今はもう、この世界と共に忘れ去られてしまったけれど。
耐性があるならその分、私が引き受ければいい。
「もう限界だよ。シロウサギも、もう狂い始めてる」
「だからこそ、食い止めなくてはいけないの。全ては、私達のアリスの為に」
そう言って、私はその場を離れた。
アリスの世界を覗きに行くの。
壊れていないアリスを見て、安心するために。
(シロウサギが傍にいる……だけど、きっともうすぐ)
いや、もう、と言い換えられるかもしれない。
歪んで狂って、狂おしい程アリスを愛して、そしてアリスを壊してしまう。
「どうか、その前に……」
私は目覚めた。
次の眠りは、きっと耐えられない。
だって、私もシロウサギと同じ。もう限界に近い
それでも、私は……――
『……影アリス。忘れては行けないよ。君もまた、僕らのアリスだということを』
立ち去り際に発されたチェシャの言葉は、影アリスには届かない。
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