マリッジブルー
ところで、肝心の結婚式についてだが、名前はあくまで目立たずひっそり、身内だけで静かに執り行うつもりでいた。
何故かというと、派手な婚礼は例のお姫様が担当しているので、これでまた名前がド派手な式を挙げてしまうと、せっかくお姫様で撹乱させた外野の目が、再び名前に向けられてしまう。
名前が白昼堂々と天女を名乗るのは、きちんとタソガレドキ城入りを果たし、身辺の安全を確保してからにすべきだーーと、普通思うじゃん?

しかし、黄昏甚兵衛の考えは違ったらしい。

「“女子にとって、婚儀は一生に一度の晴れ舞台。せめて美しく着飾り、天女様にとって良い思い出にして頂きたい“……と、慈悲深い殿は仰せでしたよ」

器用に声色を使い分け、黄昏甚兵衛の有難迷惑なお言葉を代弁してくれたのは、いつぞや世話になった“椎良勘介”を名乗る忍者だ。
結婚話が持ち上がってからというもの、入れ替わり立ち替わりタソガレドキ忍者が顔を出すようになり、たまたま今日の当番が、このシーラカンスみたいな語呂の名前の奴だったというわけだ。
彼は相変わらず、片手にお手製の組頭パペットを装着し、ことあるごとにパクパクさせている。……それだと、上記の台詞も雑渡昆奈門が言っているように見えるから、誤解を避けるためやめた方が良いと思う。

「別にそういう思い出作りとかするつもりないので、簡素で良いんですが……。むしろ、儀式を派手に執り行って天女の身が危険に晒されたら、一体誰が責任とってくれるんですか?」
「天女様は心配性なんですね。その時は恐らく、うちの五条が腹でも切るんじゃないですか?アイツは天女様が大好きですから、恐らく喜んでホイホイ切りますよ」
「一番切らなそうな人の名前出してきましたね……。そもそも切腹されても天女は生き返らないんですよ。黒魔術じゃないんだから。責任っていうのは、命じゃなくて金銭で償うものです」
「あはは」

名前のぼやきは、雑な笑いで黙殺された。

「まぁ安全面についてはご安心ください。その件に関しては、こちらから既に学園の方々へ話を通しておりますので」
「……話とは」

今こそ出番だ!とばかりに、組頭パペットが大口を開けた。

「天女様と殿との婚礼の儀は、忍術学園で行います!」
「は……?」

ーー名前は、それ以降の記憶がない。

***

あくる日のことである。昨日の会話は悪い夢だった……。なんとかそう思い込もうとした名前はしかし、自室の外から聞こえる騒がしい音で、全てが現実であることを思い知った。
“音”を幾つか抜粋すると、ざっと下記の通りである。

「オーライオーライ、ストーップ!そこで降ろせ〜!足元気を付けろよ、昨日その辺に綾部が落とし穴掘ってたぞ!」
「ここの幕、あと少し長さが足りないかも……予備のが無いか倉庫見て来ます!」
「兵助が“豆腐の白を白無垢に見立てる”とか不穏なこと言い出したから、手が空いてる奴は誰か様子を見に行ってくれ……」
「うわー!伊作先輩……と他多数が落とし穴に落ちた!」
「言わんこっちゃない」「人の話を聞け」「不運」
「豆腐は手遅れだった」

ーー以上である。
上から順に、用具委員が大きな舞台を組み立てる様子。低学年の生徒が中心となり、野外に紅白幕を張る様子。尾浜少年が久々知少年の陰謀に気がつく様子。保健委員が落とし穴に落ちる様子と、それを見て呆れる人々の様子。そして最後に、豆腐が手遅れだった様子を表している。

彼らが何をしているのか、答えは一目瞭然。
名前と黄昏甚兵衛が挙げる結婚式の、式場設営をしているのだ!

「や、やめてほしすぎる〜」

大急ぎで身支度を整えた名前は、くのたま長屋を出て音の出所へーー忍術学園の広大なグラウンドへと向かった。
案の定、まだ朝早い時間にも関わらず、そこには大半の忍たまの姿があり、誰もが忙しそうに作業している。
……何となく気まずさを覚え、名前は木の陰に身を隠した。

「結構進んでる。皆やたらテキパキしてるし。もしかして、このこと知らなかったの天女だけ?」

首から先だけをほんの少し覗かせ、遠目で様子を伺う。
設営はかなり順調らしく、おおよその式場の全貌が見え始めていた。

グラウンド中央に横たわる巨大な舞台が、恐らくは式の目玉ーー名前と黄昏甚兵衛が鎮座まします予定の高砂だろう。まだ足場の骨組みなどが露出している状態だが、気の早い誰かが既に金屏風を持ち込んでいた。
でもって、舞台を取り囲むように木の支柱が等間隔に並び、戦場における軍陣のような風情を醸し出している……が、風にはためく布は物々しい陣幕にあらず。世にもおめでたい紅白の幕だ。入学式で見たやつ。

「あれって親族席とかそういうやつ?天女、招待する身内が一人もいないというのに……」

舞台の前は、空間がだだっ広く取られている。恐らくこの後、足元全体に毛氈が敷かれ、一般の参列者が座る場として機能するのだろう。
それとは別に、両サイドにも細長く足場が設けられ、こちらはいわゆる親族席だったり、割と偉めの招待客を座らせる席と見受けられた。

しかし、本当にこの世界に身寄りのない名前は、招待すべき人間が一人も思い付かぬ。
こういう時って、普通は新郎側と新婦側とで示し合わせ、両家の招待客の格を同等に揃えるものだと思っていた。
それが、現実ときたらどうだろう。片や親戚友達数十人が列席し、片や客席に鳴く閑古鳥……。会場の左右でパワーバランスが崩壊しすぎている。どうして晴れの席で公開処刑されなければならないのか!

「本当に何もかも嫌だ……ング!?」

名前が絶望感に打ちひしがれた、その時。背後から何者かに首を絞められ、名前はあわや気絶しかけた。
この感じ……たぶんラリアットをかけられている!
名前はそのまま、ずるずると何処かへ引きずられて行った。

***

一瞬意識が飛んでいたらしい。
目を開けると、名前は先程まで潜んでいた木陰を離れ、物置小屋のような場所にいた。周囲に薄汚れた道具が散乱している様子を見ると、あまり人が来る場所ではないのかもしれない。昼間なのに薄暗くて埃臭い。

「何がしたいんですか……綾部少年」

こちら側に背を向け、入口から外の様子を伺う人影がある。
位置関係上、完全なる逆光のため相手は影に塗り潰され、その姿は判然としない。
しかし、名前は確信を持って名を呼んだ。
綾部少年ーー奴こそが誘拐犯にして、名前にプロレス技をかけた戦犯!
ここで会ったが百年目〜!とばかりに睨み付ける名前とは対照的に、彼は……綾部少年は、相変わらず無感情な顔で振り向いた。

「おやまあ。よくお気付きで」

ぱちりと視線が噛み合った瞬間、扉から差込む陽の光を背負い、綾部少年はふんわりと目を細める。
緩やかにウェーブを描く髪も、色素の薄い大きな瞳も、やんわりと持ち上がる口角も、どれを取っても曲線的なイメージを抱かせるためだろうか。いっそ少女然とした容貌は、恐ろしさとは真逆の姿をしている。

ーーそれなのに。
ゾワリと、名前の全身に悪寒が走った。
コイツは見た目通りの人間じゃないと、本能が叫んでいる。
今すぐ逃げなければ。捕まったら一番まずい相手だ。全身の細胞がありったけの警鐘を鳴らした時、しかし、もう目の前には奴の手があった。

「た、助けモガッ!」
「はいはい静かにしてくださーい」
「んんんん!!!!」

先手を打たれ、声を上げるより早く口を塞がれる。
何故こんなにも犯罪行為に手慣れているのか!忍者だから!?

「ちょっと黙っててくださいね。僕、天女様に接見禁止令が出てるんです。こうして会ってることがバレたら怒られちゃうので」
「ん!?」
「誰に?って言いました?立花先輩です。僕は天女様と仲良くなりたいだけなのに、虐めてると勘違いされたんです」

それは勘違いではなく、れっきとした事実である。
名前の言わんとすることが伝わったのか、無表情なりに拗ねた様子の綾部少年が、名前のつむじに顎を乗せてきた。

「天女様、どうしたら泣いてくれますか〜?」
「それが悪いんだってば!」

噛み付くように言い返したことで、綾部少年の手が離れ、口が自由になっていることに気付いた。
バカめ!相手が非力な乙女だと思って油断したな!今こそチャンス!
名前は助けを求めるため、早速外に向かってSOSしようとしたが……

「天女様、お嫁になんて行かないでください」
「ぎゃあ!!」

走り出した足を爪先に引っ掛けられ、名前はその場で転倒した。
この足捌き、さては立花氏仕込みだな!?余計な教えを広めやがって!

「綾部少年!これは本当に犯罪ですよ!人としてどうかと思う!」
「天女様はいつもそうですよねぇ。口数ばかり多くて、本質を見ようとしません。現実を直視するのが怖いですか?どうして僕が今あなたを捕まえているのか、少しは考えてみたらどうでしょう」
「か、考えることなんかない!誰か助けて〜!」
「……あっそう」

綾部少年はスンッとした。あ、地雷踏んだな……と悟った頃には時既に遅く、いつになく目が座った綾部少年が体に跨って来ていた。

「天女様、ご存知でしたか?天女様が天女様であるためには、その身が清らかでなければならないんです。誰かに暴かれたが最後、あなたは天女ではなくなるんだ」
「ちょっと待ってください!その語り出しはマズイです!」
「へえ。天女様も、一応そういう感覚はおありなんですね」

あるに決まってんだろ!
名前は、うっかり潤みかけた涙を、気合いと眼圧で堰き止めた。

「……チッ」
「舌打ちした!」
「往生際が悪いですよ」

いつの間にか手首を掴まれ、床に押し付けられている。
本当に意味がわからなすぎる……。何でここまでして名前の泣き顔が見たいの!?今すぐ精神鑑定してもらった方が良い!
でも、それと同時に、名前は自分の頑固さにも呆れていた。
ここで大人しく涙を見せれば、たぶん綾部少年の暴走は静まるのだ。
それなのに、どうしてか泣きたくないと思ってしまう。
暴力に訴えかければ全てが思い通りになる……そういう成功体験を作って欲しくなかったのかもしれない。
ただ単に、名前が負けた感じがして悔しいというのもあるし、綾部少年も分別のつく年齢だ。そろそろ妥協という言葉を学んでも良い頃だ。

「綾部少年、わきまえてください。天女がその称号を失えば、タソガレドキが黙っていません。綾部少年一人に負いきれる責任ではないです」

辛抱強く、じっとこちらを見下ろす目に語りかける。
……どうしてか、今では彼の方が泣き出しそうに見えた。

「天女さ、」
「この!大たわけ者がーー!!!!」

一瞬くしゃりと顔を歪め、何かを言いかけた綾部少年だったが、悲しいかな。その声が名前の耳に届くことはなかった。
ガコーン!と。
急に凄まじく良い音がしたかと思えば、彼はその場に崩れ落ちたのだ。

- 90 -

前のページへ目次次のページへ

しおりを挟む

Index / PageTop!

- ナノ -