会議は踊らない
異能の目覚めを悟ったきっかけは、ジュンコに噛まれた傷が綺麗に癒えていたことだ。
包帯を替えようとした新野先生が驚きの声をあげ、そこで発覚した。
そういえば、朝起きてから一度も怪我した所が痛んでいなかった。
綺麗に元通りになった腕を見下ろし、名前は唖然とするばかりだった。

***

「傷を癒す力……なんでしょうか……?」

体中の傷が綺麗さっぱり消えていることを確認した後。名前は、すぐさま場所を学園長の庵に移し、他の参加者に混じって首を傾げていた。

「むむ。何か気になる事があるようじゃの。これは天女様の身に起きたことじゃ。些細なことでも、気付いた事があればじゃんじゃん発言すること!」

なんとな〜くな満場一致で、名前の異能は“治癒能力”に落ち着きかけていた。さもあらん。
しかし、その決定に異議を唱えたのが名前本人である。何がどう違うかと聞かれれば答えに窮するが……どうしても、そんなにシンプルな能力とは思えなかったのだ。
如何とも明文化し難い、喉の奥に小骨が引っ掛かるような気持ち悪さ。

「いや、うーん……本当にフィーリングで申し訳ないんですけど、な〜んか違うような気がするんですよね。もう一段階ありそうというか?最終形態がまだみたいな?……あと、普通に能力の使い方分からないですし。昨日たまたま偶然できただけで、また同じことやれって言われたら無理なんですよ」
「え〜?やっぱり無理そう〜?」
「むりむり。朝から何回も手の平に力を集めようとしてるんですけど、てんでダメです。昨日の天女どうやったんだろう。そもそも、力を集める場所が手の平で良いのかも分かんない」
「じゃあまだ本格的には発現してないんじゃろなぁ」

名前と学園長は顔を見合わせて同時に溜め息をついた。
もう少し様子見するのが吉だろうか。

「恐れ入りますが、発言のお許しを頂けますか」

その時、先生軍団と学級委員長委員会に紛れて会合に参加していた山田利吉が、キリッと手を挙げた。ハイ山田くん早かった。名前が手で指すと、奴は生真面目に頭を下げる。

「ここしばらく、私も私なりに“天女”の情報を集めて参りました。やはり天女伝説がある地には、天女様の遺物とされる結晶が残されており、その多くは御神体のような扱いで各地の寺社仏閣に祀られているそうです。今回報告に上がった石は、恐らく何処からか盗まれた物か、長らく人から人の手を渡り歩いていた物でしょう」
「え!そんなこと調べてたの!?ありがとうございます」
「しかし、残存する記録を辿る限り、過去に石が天女様の異能を再現した例はごく僅かです。それも、ここまで強力なものではありませんでした。何か、条件があるのかもしれません」
「条件かぁ」

名前が湯気の立つお茶をすすり、明後日の方向を見上げた時。まるで見計ったかのようなタイミングで、土井先生が「そういえば」と続けた。

「天女様は、昨日の夜から今日の朝にかけて能力が発現したんですよね。ということは、天女様の行動そのものがヒントになるのでは……。天女様は昨晩、何か変わったことをなさいませんでしたか?」
「ン"ッ!!!!!」

その瞬間、名前は口に含んでいたお茶を吹きそうになった。
気合いで堪え、マーライオンの悲劇はギリギリ免れたが、その代償として気管に熱湯が流れ込み、あわや和室で溺死しかける。
息苦しさを乗り越え、喉がひりつくまで激しく咳き込んだ挙句、名前は残像が生まれるほど震える手で畳にしがみつき「なななな、な、なななな、ななっなにも無かったが?」ーーと、渾身のドヤ顔で答えた。

「いや絶対嘘じゃん」

背後から尾浜少年の声がする。す、鋭い……!
名前は、四方から突き刺さる疑惑の視線に気付かないフリをした。

「ぜぜぜんぜん心当たりななななないです。わわわからないです」
「呂律どうしたんじゃ」
「どどうももししてななない」

手に持つ茶器からは、震度5強ほどの揺れを観測できる。
緑茶の津波が今にも堤防を突破しそうだったので、名前は慎重に身を屈め、湯呑みを畳の上にリリースした。もう味とか分からんし……。

「……」

このタイミングで山田利吉の方を見たが最後、勘の良い忍者諸君は即座にピンと来てしまう。あ〜さてはこの人、山田利吉と何かあったんだな〜?という具合に。だから名前は、必死に視線を畳に固定し、そのイグサの連なりから生まれる壮大なドラマに思い馳せるしか無かった。

***

昨日の夜……のことは、正直何もなかったことにしたい。
あの後、さんざん不埒を働いた後、山田利吉は元の従者に逆戻りし、いっそ慇懃さを感じるほどに、嫌味なくらい丁寧な物腰になった。
その立ち居振る舞いは、オーマガトキで毎日一緒にいた頃の奴と同じで、名前は動揺しつつも、見慣れた姿に懐かしさと安堵を覚えていた。

「何故、こんなことをしたんですか……」

山田利吉が跪く様を見下ろし、昨夜の名前は尋ねた。
奴は一瞬迷った末、静かに口を開く。

「貴女を諦める口実が欲しかったのです。貴女はーー天女様は、やはりこちらの世界にあるべきではない人だ。私の私情で天女様をお引き止めし、その結果不幸にしてしまうくらいなら、私は自分が死んだ方がマシだと思いました。……それでも、せめて告げずにはいられなかった。愚かな私を、どうか許さずにいてください」

名前は、下唇を血が出るまで噛んだ。
まだうっすらと残る体温が散り散りに消えるまで、強く。
どこまでも酷い人間だと思った。見下げ果てた奴だ。
自分だけ気持ちを吐き出してスッキリして、名前の心に傷痕を残して、いつまでも記憶の中に居座るつもりなのか。
本当に名前を思いやるなら、奴は何も言うべきじゃなかった。付かず離れずの距離を保ち、ずっとぬるま湯に浸っていれば良かったものを。
許さずにいろ?それだって山田利吉のエゴじゃないか。
名前が奴を許さない限り、奴の全部を忘れることが出来ない。
名前は、何もかも置いていくつもりだったのに。
いつか元の世界に帰る時、名前はこの世界で得たものを、何一つ持ち帰りたくなかったのに。
記憶も、感情も、思いも、全部ーー全部、ゴミ箱に捨てたかったから。

「血迷ったかと思いました。天女に対する信仰心の薄さが、貴方の心に邪心を招くのです。もう一度教義の復習でもしてください。第一、貴方を許す許さないを決めるのは天女なんだから、山田利吉に口出しする権利はありません。……何か報告があって忍術学園に来たんでしょ?学園長に挨拶でもして、もう帰りなよ」

山田利吉は、深々と頭を下げて退室した。
本当に、名前と出会ったばかりの頃に戻ったみたいだった。

***

ーーで、今日なのである。気まずすぎて笑うしかなかった。
山田利吉は、失踪している間中ずっと、各地の天女伝説を調べていたらしい。それである程度情報が集まった所で、一旦報告に戻ったのだ。
期せずして、こちらも天女の遺品関係で一騒動あった。
両者のタイミングが上手い具合に噛み合って、この報告会がある。

「名前さん……あ、失礼。天女様、先程は様子がおかしかったですが、体調は大丈夫ですか?私が何か余計なことを言ってしまったようで」

会合が終わり、一人また一人と離席する様子を眺めながら、名前はまだ、残った茶菓子をポリポリ食べていた。
すると、後ろから控えめに肩を叩かれる。
振り返った先には、苦笑いを浮かべる土井先生がいた。

「あ、いや……大丈夫です。さすがの着眼点だと思いましたし」

何やら酷く申し訳なさそうにされたので、名前は慌てて首を振った。
……が。本人が良いって言ってるのに、外野から「ごめんで済んだら警察はいらないんだよ」とかダルいこと言って来るタイプの者もいた。
土井先生のそのまた後ろから、並々ならぬプレッシャーを感じたのだ。

「“名前さん”?」

妙な含みを持たせて土井先生の呼び間違いを復唱するのは、にっこり笑顔の山田利吉だった。
……もちろん言うまでもなく、額面通りの感情ではない。
確実に怒っていることは分かるのだが、このタイプの怒り方をされたことがないので、只今の激おこ指数がどの程度なのか分からない。
ちなみに、上限いっぱいまで振り切れると、奴は真顔になる。怖い。

「ああ利吉くんか。はは、聞かれてしまっていたんだね……。実はこの間、話の流れで天女様の名前を呼んでしまって。その時の癖が残っていたみたいだ。すみませんでした、天女様」
「あ、いえ、お気遣いなく」

あの、悪しき黒歴史……土井先生の制服が、名前の涙と鼻水で水没した事件のことだ。一生の恥すぎて、照れ笑いを浮かべるだけでやっと。
ここで一発ぶん殴ればあの時の記憶消えるかな?と一瞬魔が差したが、それは人としてダメなのでやめた。まず忍者に拳で勝てるわけない。

「天女はご覧の通り繊細なので、最近も泣くほど辛いことがあったんですよ。その時たまたま居合わせた土井先生に励ましてもらったというわけです」

山田利吉が怖かったので、名前は口早に経緯を説明した。
幻覚かもしれないが、はよ説明しろや、と脅された気がして。
結果的に、それは悪手だったのだが。

「“泣いた”?」
「ヒッ!?」

地獄の底を這うような声に、名前は心底震え上がった。
あれ、この展開デジャヴ……。
これもだめ?間違えた?今の回答のどこが地雷だったんだ!?

「え、いや、まぁ、泣いたけど、えっと」
「…………そうですか」

完全に彫像と化した名前に、山田利吉はふわりと笑いかけた。

「まだ学園に来て日が浅いと言うのに、もう泣いて弱みを見せられるお相手を見つけられたようで、何よりでございます。他の者達にも随分と慕われていると伺いました。どうやら天女様は、忍をたぶらかすのが大変に得手らしい。従者として誇らしく思います」
「………………え」

吐き捨てるように言うだけ言って、スタスタと歩き去る山田利吉。
しんみりとした沈黙が置き去りになり、奴の背中が完全に見えなくなると、何かを察したように苦笑する土井先生の前で、名前はーー

「な……殴る!」

さっき諦めたはずの拳を握り、奴への復讐を誓ったのだった。

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