「自分の記憶が知りたい?」
「……誰ですか、あなた」
家に帰る途中、もう春なのにファーコートを羽織る男に声をかけられた。眉間に皺を寄せている私に、男は苦笑した。
「へえ、本当に覚えていないんだね!目の傷はもう癒えているんじゃないか?」
「……まあ。あなたには関係ないでしょう?」
「ふうん。タマは俺を忘れているようだ」
なに、この人……私の名前、踏み込んだところまで知ってる。警戒しながら睨み付ける私に、その人は言葉を続ける。
「とにかく、ここで話すのはあれだ。俺の事務所で話そうか」
「まだ同意してませんよ」
「俺は君の目を潰した奴を知っている」
「っ…!?」
瞠目して見上げれば、男は「どう?」と首を傾げて問う。んなの、決まってるじゃん。パーカーの裾を握りしめ、男に言った。
「聞かせてください、話を」
「交渉成立だ」
連れて来られたのは、新宿のとある高層マンション。うわ、私のアパートより数倍高い。値段も高いんだろうな。
エレベーターに乗りながら考えた。この人、若いのにこんな高級なところに借りてるなんて。実業家かなんかかな?
「着いたよ。ここが俺の事務所だ」
「……失礼します」
二人掛けのソファーに座るように指示され、コーヒーか紅茶、どちらがいいか聞かれた。
「あなたと同じものでいいです」
「分かった。今から淹れてくるね」
前の私はどう答えていたかな。ふと、最近考えなかった事柄を思い出す。過去のことを振り返ったって、意味がないって止めたのに。
あの人のさっきの発言とここの部屋の匂いが、どうも頭に引っかかっていた。
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