「あなた、怪我をしてるわね?」
「……はい」
「いらっしゃい、治してあげるから」
わざわざ腰をかがめて自分と同じ視線の高さにしてから微笑みかける。
女性の笑う顔は本当に明るいと葵は思う。
それは普段から元気すぎる乱菊の笑顔を見ていたからかもしれないが、女性の笑顔は何か体の中に染み入るものがある気がしていた。
それでも、この場所でやさしい笑顔を正面から向けられたのは初めてだった。
「あなたお名前は?」
「#name2#葵です」
「そう。私は卯ノ花、烈」
変わった名前でしょう?と春の風のように笑う。
葵の中に母親の記憶はない。
自我が芽生えるころにはそういった存在がいないことを知っていたので、追求したこともない。
ただぼんやり、暖かくて、物静かな母親の印象が心の中にあっただけ。
だからなのかは分からないけれど。
「…うのはな?」
「ええ、卯ノ花って言うのよ。
はじめまして―――葵」
母親が子供の名を呼ぶとしたら、こんなふうに呼ぶのだろうかと。
一瞬、そんなことを考えた。
卯ノ花は四番隊の隊長になったばかりで、まだうまく隊を回せていないと言っていた。
けれど葵の手を引いて四番隊へ帰ってきたときに隊員たちからかけられていた出迎えの声を聞くと、全くそうは感じられない。
「お戻りですか卯ノ花隊長」
「ええ、少々この子の手当てをしてきます」
「あ、はい」
珍しいものを見る目で男の副隊長が葵を見下ろしていた。
その理由には葵の容姿も含まれていたが、子どもというだけで十分なところがある。
そんな隊内の視線を遮るように卯ノ花が隣室の治療室へ誘導してくれた。
「零番隊の隊長を引き継ぐための練習は、やはり厳しいのね。さあ腕を出して」
椅子に座って袖口をめくると、卯ノ花が静かに縦に裂けた傷口へ手を添えた。
薄い光が傷口を包んだところまでは見つめていたけれど、慣れないうちはあまり治癒を直視しないほうが良いと言われて顔をそむける。
「……ご存じなんですね」
「ふふ、もちろんよ。でも顔までは知らなかったから、名前を聞いて初めてわかったわ」
うつむいて傷を治している最中でさえ、卯ノ花の口元は微かに笑みをのせていた。
そういえば傷は袖で隠れていたのに彼女に一瞬にして見抜かれたことを思い出す。
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