「……」
「あ、ハッシュ!」

おはよう、と昨日までよりも少し親しげに手を振り自分を呼ぶイオナ。ハッシュは慣れなさからくる違和感を感じながらイオナの元へ行き朝食を受けとった。


「おはよう……ございます」
「だから敬語いいって」
「…慣れねえ……」
「えへへ、だよね
それもわかるけど、なんかくすぐったいんだもんちょっとずつでいいから慣れてよ」


そう笑ってイオナはすぐに他の団員に朝食を渡すのに行ってしまった。いつも通りの後ろ姿もハッシュには少し違って見えて変な気分だ


(……ハンカチ、夜にでも返すか)

昨日イオナに借りたハンカチはちゃんと洗って返そうと洗濯した。まだ乾いていないそれを思い出しながらいつもどおり少し大きめの丸いキャスケットから出され、ゆるく結わえられて揺れる彼女の耳元の髪を見つめて昨晩のことを思い出した。

まるで海月のようなシルエットのイオナの頭部、彼女が笑うたびゆらゆらと揺れる触覚のように垂れ下がった長い髪。その髪と同じくらい伸ばされた、普段はキャスケットの下に隠された彼女のきれいな髪、そして風になびいたその髪を押さえる彼女の姿。月明かりに照らされたその姿はヤケに頭に残って、離れなかった

昨日までとは、少し違う感じがしてどうにも違和感を感じる



その日の夜、乾いたハンカチを変えそうとハンカチを片手に部屋を出て来たハッシュは夕食の時に渡しそびれた自分をひどく責めていた


(俺、アイツの部屋なんか知らねえよ……!)

「あぁもうなんでメシん時に渡さなかったんだ…!」
「あれ、ハッシュくん何してるの?こんな時間に」

「……!」


忙しそうで声をかけられなかった数時間前の自分を悔やみ一人でどうしたものかと考えていると、後ろからアトラに声をかけられた。昨日のこともあって少し気まずいのと、理由はともあれこの時間に女子の部屋を訪れるというのとで話すのをを渋ったがこのままではハンカチを返せないのでアトラに話して、イオナの部屋の場所を聞くことにした

「えっと、イオナに借りてたこれ返したくて持ってきたんですけど、あいつの部屋知らないんで…

お、教えてもらえませんか…」
「ハンカチ……?」
「昨日、あのあとあいつに手首冷やしとけって渡されて…

あの、その節はすいませんでした……」
「え?ああ、いいの!もう気にしてないよ。

そっか、冷やすもの渡しに行っただけか」
「?」

どこかホッとしたような、それでいて少し残念なような反応をするアトラの様子にハッシュが首を傾げると「あ、イオナの部屋だよね!案内するよ!」とアトラは慌てて部屋の前まで連れていってくれた



「ありがとうございました」

「ううん。それじゃ、私はここで

おやすみ」

「ッス」


イオナの部屋の前でアトラと別れるとハッシュは部屋の扉をノックして外から声をかけた


「イオナ、入っていいか」

「えっ、は、ハッシュ!?待って今開けるから!!」


中から慌てたイオナの声が聞こえるとバタバタっと音がした後ですぐに部屋の扉が横に開いた


「悪い、急に……!」
「と、とりあえず入って!お茶もってくるね!すぐだからとりあえず……適当に座ってて!!」
「!?いやそんな……って聞けよ……」


わざわざ部屋まで来たものだから、大事な話と思ったのかイオナは慌てて部屋の中にハッシュをいれるとお茶を淹れに飛び出していった。残されたハッシュはハンカチだけ置いて帰ってもよかったが自分のためにわざわざ茶を淹れに行ったイオナの行為を無碍にするのも気が引けたのでとりあえず言われた通りベッドの端の方におとなしく腰かけた


(俺たちの部屋とは全然作りが違うんだな……割と新しめだし)


ぼうっと眺める部屋の作りは、自分たちのような新人団員が寝泊まりしている部屋よりも狭くこぢんまりとはしているが一人部屋で一人用のベッドに裁縫箱の乗った机とパイプ椅子、棚の上には彼女らしく、兄や三日月、アトラたちと撮った写真が入った写真立てが置かれていた


(当たり前だけどあいつも……女……なんだよな)


“上司の妹”もしくは“ただの炊事係”くらいにしかイオナの事を見ていなかったハッシュは部屋に入ってあらためてそれを思い直して、今ここに座っていることに少しだけ罪悪感のような気持ちと気恥ずかしさを感じた。自分たちの部屋に漂う男臭さとは違ってこの部屋は清潔な匂いがする。それもまた、気恥ずかしさを掻き立てる原因のひとつとなった

この事は、ザックあたりに知られるとうるさいから黙っておこう。とハッシュが考えていると「お待たせ、ごめんね」とお茶入りのカップを2つ乗せたお盆を持ったイオナが戻ってきた。


「はい」
「どーも」


ハッシュにカップを渡すとイオナはすぐに上に着ていたジャケットを脱いで畳むとそれを机の縁にかけ自分もカップを持ってハッシュの隣に腰かけた。風呂上がりだったのか、おろした髪はペタリとしていて肌は所々赤みを帯びていた。普段からダボッとしたトップスを着ているためわからない体型も黒のカットソー一枚の今ではくっきりわかって、普段とのギャップに少し戸惑った。

(警戒心とかないのかこいつ……)

自分の気も知らず普段と同じような顔で隣に座っているイオナを尻目に、普段から大きなサイズの服と帽子で体型と髪が隠れているのと、ユージンが“ちんちくりん”呼びしていることもあってか同世代の女の子というか実際の年よりも少し幼い少女のようなイメージのあったイオナだがこうして見ると年相応の女の子で、色気もある……など黙っていると色々余計なものばかり目についてしまってダメだとハッシュは視線をカップに戻した


「それで、どうしたの?こんな時間に」
「あー……昨日借りたハンカチ、返しに」
「……へ、それだけ?別にいいのに」


そういって目を丸くしたあとでイオナは「なんだ」と少し照れくさそうにはにかんだ


「……昨日さ、ハッシュの話聞いて私も考えてみたんだ」
「……?」


少しの間黙りこんだ後、イオナが口を開いた


「私たちもね、スラム出身でお母さんもお父さんも私が物心つく頃にはもういなくてお兄ちゃんと元々住んでたところから二人で飛び出してきたの

それでお兄ちゃんは、私のためだって言ってCGSに入ったんだ」

伏し目がちに話すイオナの話し声は落ち着いたものだったが、前髪で隠れてしまって表情はよく見えないが一瞬髪の隙間から覗いた瞳がどこか寂しげで、悔いるようなそんな目をしていたように見えて彼女の顔から目が離せなかった。

「お兄ちゃんは阿頼耶識の手術に成功した。だから私は運が良くて、それに甘えた


知ってる?阿頼耶識使いのこと大人が“宇宙ネズミ”って呼ぶの。あれ比喩でもなんでもなくて、大人たちは皆お兄ちゃんたちのことネズミみたいに扱ってた

大人のストレス発散用に苛められたり、捨て駒や肉壁みたいな扱いを受けて……危ない仕事してるお兄ちゃんたちのこと見てるしかなかった私はそれが歯がゆくて、鉄華団ができて炊事係になって裏方で支えれるようになっても戦ってる皆を待ってるの不安で、いつも自分も戦えたらって思ってた」


寂しげに話すイオナは、そこで一息置く気持ちのこもった声でに「けどね」と話を続けた


「ラフタさんたちのこと見てると思うんだ。女だからとか阿頼耶識がないからっていうのは言い訳でしかない。もうCGSじゃないんだから女でも、阿頼耶識がなくてもモビルスーツ…は無理かもだけどモビルワーカーに乗って戦える。結局は自分が選ぶかどうかの問題で、私はその選択を持たなかった甘えてたのかもしれないって

だからハッシュのこと素直にすごいって、応援したいって思ったよ。モビルスーツ…乗れるようになれたらいいって反対されたら私いつだって味方になりたいって思ってる

けど、だからこそ無茶はしないで欲しいもっと自分を大事にして欲しいの……!昨日の夜言ってた“死ぬのが怖い”ってその気持ち絶対に忘れないで、お願いだから……もう、失敗してもいいから手術をうけたいなんて……言わないで……!」


話の途中できゅっと握りしめられた小さな手からは小さな震えが伝わってきた。直接的でなくても彼女は自分よりずっと長く戦いに参加して色んなものを見てきたのだ。今でこそ鉄華団は火星で名を馳せ憧れや尊敬の目を向けられているがその設立や栄誉を手にするまでにどれだけの過酷な日々があったのか自分には知る由もないが彼女はそれをずっと近くで見てきた。
たった1人の家族が常に命掛けの現場にいるのを見守るのはどれ程辛かっただろう、望まぬ手術をリスクを背負ってうけたのにその後も命を軽んじる人間に手綱を握られているような環境をどう耐えていたんだろう。

そんな彼女の辛い記憶、想いを自分の発言が踏みにじってしまったような気がする。なのに、今も握られたままの手と自分の目をまっすぐ見つめるイオナの目から真剣さが伝わってきて自分の事でこんなにも真剣になってくれるイオナにハッシュはどう言葉を返せばいいかわからなかった。言葉に詰まっているハッシュに気づいてかイオナはハッとした後で慌てて手を離して少し後ろに退いた


「ご、ごめん変な話しちゃって!!えっと、その…だから、お節介だと思うんだけどあんまり焦らないでほしいっていうか、自分を大事にして欲しいっていうか何と言いますか…」


上手く言葉を纏められずに慌てるイオナにハッシュは少しおかしくなって口元を緩めた。

さっきまであんなに真剣な顔で話していたのに、辛いことを思い出させてしまったはずなのにそれを感じさせないコロコロと忙しく変わるイオナの表情。変なやつだなあとハッシュが思わず笑えば笑われたイオナはわけが分からず混乱した様子で首をかしげた

「…別に、お節介とか思ってねえよ」
「…そっかあ」


安堵した様子でへにゃりと笑うイオナがどこか愛おしく感じて、思わず手持無沙汰になっていた右手をイオナの頬へ伸ばした


「えっ…ど、どうしたの?」
「ありがとな。話てくれて、それと応援してくれるって言ってくれて」
「…ううん。いいの私には応援するしかできないし」
「いや、他の奴なら大体無理だって笑うだろ。でも、一人でも応援してくれるってわかってるのとわかってないのとじゃ違うから」
「… …そっか」


ハッシュの言葉に嬉しそうに微笑むとイオナは自分の頬を撫でるハッシュの手に優しく包むように自分の両手を重ねた


(あぁ……なんでそんなに優しい顔を、嬉しそうな顔をするんだ)


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