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「ペンキ足りなくないか?」

「ダンボールもテープも欲しいな」

 様々な人々が出入りして、様々なにおいが立ち込めている教室。文化祭を数日後に控え、生徒達は忙しなく準備を進めていた。

「手ェ空いてる奴いるか」

 誰かが呼びかける。しかしクラスメイト達はそれぞれ仕事を抱えている。加えて重い荷物を持って急いで帰って来なければならないということもあり、手を挙げる者はなかなか現れない。どうしたものか、暇な奴は居ないのかと心理戦が繰り広げられ、ピリピリした雰囲気になっていく。

「私行ってくるよ。リスト作って貰っていい?」

 そんな中で声を上げたのは、若葉だった。

「私も行こっか?」

「れんちゃん居なくなったら皆困っちゃうよ!それに、手伝ってくれそうな人はいるから」

「ごめんね、よろしく」

 メモを受け取り荷物を持って教室を出る。そして携帯を取り出しメールを送信した。姿は見かけないのに、想像よりも早く返ってきたメッセージに若葉は苦笑した。




 緑色の看板が特徴的なホームセンターで若葉はメールの相手を待っていた。そろそろ来る時間か、と携帯の液晶を眺めていると、若葉、と名前を呼ばれた。声の方に顔を向けると、制服姿の静雄が立っていた。

「来てくれてありがと」

「まあ、断る理由もねぇし」

「忙しいのかと思ってた」

 その言葉に静雄が苦虫を噛み潰したような顔をしたのを見て、買い出しに誘って正解だったと若葉は思った。

「…で、何が要るんだ」

「うーんとね」

 若葉は静雄の半ば強引な話の切り替えを茶化すか一瞬迷う。しかし今これ以上突っ込めばキレかねないなと思い、促されるままメモを取り出すことにした。

「俺が来なかったらどうしたんだよこんな量」

 メモを覗き込んだ静雄は眉間のシワをさらに深くした。

「私結構力持ちだし」

「仮にそうだとしてもよ…他に頼るとか…」

「静雄なら来てくれると思ってたし、実際来てくれたからいいじゃん!」

 その言葉に静雄は勝ち目がないことを悟って閉口した。誰かに頼られるという事自体は静雄にとって嬉しいものだった、というのもあったが。

「…ペンキ探すか」

「ちゃっちゃと買って学校戻ろ!」




 購入品をそれぞれ抱えながら学校への道を歩く。

 今なら良いか、と若葉は深堀りするか迷っていた話題を静雄に振ることにした。

「静雄さあ、今日買い足し手伝ってくれたのに何で準備自体には参加しないの?」

「さっき誤魔化されてくれたんじゃねぇのかよ」

 理由によっては静雄にも準備を、ひいては文化祭を楽しんでもらえると思っていたからだ。
 若葉は、彼が一人でいるのは、それが好きだからというより、周りに気を使ってのことだと推測していた。「おせっかいだ」と一蹴されれば、それ以上何も言えないが、それでも何か自分に協力できることがあるのならやりたい、と考えるのが若葉という人間だった。


「あはは。やっぱ気になるし。恥ずかしいの?」

「恥ずかしいっつーか……俺がいても邪魔になるだろ。去年のキャンプファイヤーでも、あんなことになっちまったし。」

「あ、何かすっごい音したやつ?」

「若葉あの場にいなかったのか?」

「うん、ちょっと別のとこいた」

「意外だな」


 キャンプファイヤーといえば、文化祭のラストを飾るイベントで、人混みが苦手だったり、役員の仕事があるような生徒以外は参加するのが基本だ。

 静雄は若葉のことだから、教師に雑用でも頼まれていたんだろうと考えて、特に気に留めることもなかった。

 それよりも若葉が爆発に巻き込まれなかったことに安心していた。あの現場に若葉がいたら、席替えの日に自分に声をかけてくれることもなかったかもしれない、そんなことも考えたが、若葉なら変わらず声をかけてくれていたんじゃないか、と期待している自分もいることに気づいて、静雄は頭を掻いた。


「『邪魔になる』って言うけど、静雄は力持ちだし、身長も高いし、活躍の場だらけだと思うし、皆ありがたがるんじゃないかな。」

「…どうだろうな」

「意地の悪い人も中にはいるかもしれないけど、静雄が優しい人で在るなら、それに応えてくれる人もいると思う。」

 “他人は自分を写す鏡だ”と現代文か何かの教師が言っていたことを静雄は思い出していた。若葉が近くに居る今、自分はどんな人間に見えているのか、自分が何か若葉にしてやれてるのか考え込んでいた。

「説教臭いこと言っちゃった!ごめん、気分悪くした?」

 若葉は、黙ってしまった静雄の様子を見て、自分のことを考えられてるなど気づかず、ただ焦って謝った。

「ああ、いや……悪ィ、考え事してた」

「…そ。結局は『人手が全然足りないから、静雄も準備手伝って』ってのが、私の言いたいこと。」

「……わかったよ」

 諦めたような返事をしながらも、少しほころんでいる静雄の顔を見て、若葉は満足気に笑った。



「…俺からも一個聞きてぇんだけど」

「何でもどうぞ」

「臨也のことどう思ってんだ」

 確かに、それなりに仲良くしている友人が、自分の嫌いな相手といるのを見たら、気分は良くないだろうし、気になるのも無理ないか。何か心配させているなら悪いな、と若葉は答えに悩む。


「自分でもよくわからないんだよね、それが。」

 どうも思ってない訳でもない、それどころかどうしたものかと悩まされているのに取り繕っても仕方ない、と正直な思いを伝えることにした。

「よくわかんねぇって……」

 迷惑だとかタイプじゃないだとか、否定の言葉が聞きたかった静雄は、若葉の返答に不満を感じていた。友人が危ない世界に足を踏み入れかけている、というより引きずり込まれそうになっている事に、焦りも感じていた。


「色々と噂立っちゃってて申し訳ないなーってのはあるけど」

 体育祭での一件は、テストや修学旅行の準備などイベントが多くそれどころではなくなったこと、友人達が若葉を守ったこともあり、臨也が期待していた程取り沙汰されることもなかった。その話をしていると静雄の機嫌が露骨に悪くなることも、その一因ではあったが。


「俺が言える立場じゃねぇけど、アイツはやめとけ。俺はお前が酷ェ目に遭うのを見たくねぇ。」

「むしろ私が遭わせてる気がするんだよね」

「……女がアイツに騙されてどっか連れてかれてたのとか、見たことあるしよ」

「へえ。護身術とか調べとこ。」

「冗談とかじゃねぇからな。」

「信じてないわけじゃないよ。自分で見たことを信じたい質なんだぁ。」

 心配しているというのに素直に聞き入れない若葉の様子に、静雄の怒りが徐々に湧き上がっていく。若葉もそれを察していたが、それでも自分の信念を曲げ、適当な返事をしてこの場を済ませたくないと思っていた。

「お前な……」

「まあ、よっぽど様子が変だったら、静雄が声かけてくれるでしょ?」

 期待するような目に静雄はたじろいで、ため息をついた。

 いざとなれば俺が守ればいい。それが、今の自分が若葉に出来ることなんだろうと考えついた。

 もっとも若葉には守られたいといった願望はなく、この言葉で静雄が妥協してくれればそれでいい、という思いしかなかったのだが。

 会話が終わると若葉の意識は早々に臨也の事へ移り、一度きちんと本人と話さなければ、と頭を悩ませながら学校への道を急いだ。




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