(1話)
ナンバーワンアタッカー、太刀川慶は退屈していた。ライバルと呼べるような人間が、ボーダー内に居ないというのが大きな理由だろうか。かつてのライバルである迅悠一がS級となり、ランク戦から遠ざかってからずっと、太刀川はどこか退屈していた。
戦うのは好きだ。勝つことも好きだ。だが、どこか物足りなさを感じる。やるかやられるか。あのゾクゾクするような感覚をもう一度味わいたい。
そんなことを考えながら、太刀川はロビーを歩く。ランク戦ロビーは今日もそこそこ混雑していた。さて、今日はどうするか……。そんなことを考えながらスクリーンを眺めていると、背後から声がした。
「あ、あの!」
急に声をかけられ振り向くと、自分の目線よりもはるかに下に、小柄な少女が立っていた。ほんのりと頬を赤く染め、両手を祈るように胸の前で組んだまま自分を見つめる姿は、ウサギやリスなどの小動物を連想させた。
「えっと……?」
どこかで会っただろうか。なんとなく見覚えがあるような、無いような。よく見ると少女の胸のワッペンには『B』と書いてある。B級隊員だ。
「あ、あの! 太刀川さんですよね? わ、私、B級隊員のミョウジナマエと言います! 私、太刀川さんのファンで……。あ、あの……その……あ、握手してください!!!」
先ほどよりもはるかに赤い顔でそう言うと、ナマエと名乗った少女はガバッと頭を下げた。
「おー、いいよ」
そう言うと、太刀川は差し出された小さな右手を握ってやった。ハッとしたような顔で太刀川を見つめる少女と目が合い、太刀川は笑いかける。ナマエは握った手を見つめると、感動したように「わぁ……」と小さな声で呟いた。握った手を小さく上下させると、ナマエの顔も小さく上下に動く。
可愛い。
ファンだと言われるのは初めてでは無いが、こんなに可愛い子にここまでストレートに好意を向けられては、当然悪い気はしない。
「ナマエちゃんだっけ? 君は戦闘員? それともオペレータ?」
「せ、戦闘員です。アタッカーです」
「へぇ。スコーピオン?」
この小柄な身体でアタッカーならば、当然武器はスコーピオンだろうと思ったのだが、ナマエの答えは意外なものだった。
「いえ、弧月です」
「弧月!? 珍しいな。重くない?」
驚いて問いかけると、よく言われるのだろうか、ナマエは気まずそうに笑った。
「重いです。よくスコーピオンにしろって言われます」
「じゃあなんで弧月使ってるんだ?」
「スコーピオンだとすぐ折れちゃうから。弧月なら当たり負けしないので」
確かに、ナマエの言うように、スコーピオンよりも弧月の方が耐久性能は上だ。だが、この小柄な身体で重量のある弧月を振り回す姿が太刀川には想像できなくて、思わずナマエを見つめた。
じっと自分を見つめる太刀川を、ナマエは不思議そうに見つめ返す。
「あ、あの……太刀川さん?」
「ああ、ゴメンゴメン。どんな感じで戦うんだろうなーって思って。……なぁ、今時間ある?」
「はい」
「じゃあ訓練室行こうぜ。ちょっと見たい」
「へっ!?」
心底驚いたような声を出したまま固まってしまったナマエの手を引いて、太刀川は訓練室へと向かった。
「あ、あの……太刀川さん」
「ん?」
「本当にいいんですか? 私なんかのために太刀川さんの貴重なお時間が……」
申し訳なさそうに眉を寄せるナマエに、太刀川は笑いかける。
「いいんだよ。俺が見たくて誘ったんだから。あ、悪い。ひょっとして迷惑だったか?」
自惚れるわけではないが、自分はナンバーワンアタッカーだ。ランキング一位なのだ。A級ならともかく、B級が敵う相手ではない。実力に差がありすぎて、当然勝負にはならないだろうし、負けてナマエに得るものがあるのかどうかすら怪しい。
「まさか! 迷惑だなんてそんな!! A級一位の太刀川さんにお手合わせいただけるなんて、こんなチャンス普通に生きてきたら一生無いですから!」
「大袈裟だな」
ブンブンと首を振りながら言うナマエに、太刀川は苦笑する。ナマエという少女は、とても素直な物言いをする子のようだった。可愛い顔に、綺麗な言葉遣い、そしてナマエの発する真っ直ぐな言葉は、太刀川の胸に直接響いてくる。なんだか気恥ずかしくなってきて、太刀川は誤魔化すように咳払いを一つして、口を開いた。
「じゃあ、始めるか」
「はい! お願いします」
掛け声とともにトリガーを起動する。ナマエの弧月は、米屋達のように特にカスタマイズされたものではなく、ごく普通の形をしていた。刀身もそこそこ長い弧月は、小柄なナマエが構えると余計に長く見えるほどだ。
「いつでもいいぜ」
そう声をかけてやると、ナマエは弧月を握る手をグッと握り直した。
「では、参ります」
ナマエがそう言った直後、太刀川の背に、ゾクゾクッと快感にも似たような感覚が走る。小動物のような外見からは想像できないような、まるで獲物を狙う肉食動物のような鋭い瞳が太刀川を一直線に射抜く。一瞬にして太刀川も戦闘モードに切り替わる。気を抜いたらやられる。太刀川の本能が警鐘を鳴らしていた。
最初に動いたのはナマエだった。一気に間合いを詰めると、ナマエは太刀川へ向かって弧月を振り上げた。太刀川はそれを難なく自分の弧月で受け止めると、グッと押し返す。
そしてよろけたナマエの頭上から容赦なく刃を振り下ろした。
ナマエは弧月を盾にするように刀の下へと入ると、攻撃をそのまま弧月で受け、スルリと抜け出した。
なるほど、攻撃を刀身で受けて、そのまま流すスタイルか。なかなか面白い。確かにこれをスコーピオンでやっていたら、すぐに刃が折れてしまうだろう。弧月を使っているのにも納得がいく。
だが……。
「甘いな」
ナマエが弧月を構え直す前に、太刀川の突きがナマエの胸へと突き刺さる。
トリオン受容体の破損。太刀川の勝ちだ。
「瞬殺……」
身体が元に戻ったナマエは、呆然と呟く。ナマエはまた小動物に戻っていた。この子のどこにあんな殺気が潜んでいたのだろうか。太刀川の身体にあのゾクゾクとした感覚が蘇る。
「なあ、もう一回ヤろうぜ」
もう一度あれを感じたくて、太刀川はそう切り出した。すると太刀川の思惑など知らないナマエは、嬉しそうに微笑んだ。
「えっ? い、いいんですか? ありがとうございます!」
そんなナマエを見て、太刀川は少しだけ胸が痛んだ。だが、同時に酷く興奮している自分にも気が付いた。
三十回目の勝負がついたとき、太刀川の耳元へ聞き慣れた声が届く。
「おい、いい加減にしてやれ」
いつのまに来ていたのか、風間の声でふと我に返り目の前のナマエを見ると、少し頬を上気させて、肩で息をしていた。トリオン量が減らない仮想空間とはいえ、精神的疲労は溜まるのだ。
「わ、悪い! つい――」
「いえ! だ、大丈夫……です……」
息も絶え絶えにそう笑って言うナマエに、太刀川の胸が痛む。
部屋を出るべくコントロールパネルに触れると、扉が開き、仮想戦闘モードが解除される。部屋を出ると、風間の呆れ顔が目に入った。
「お前は手加減というものを知らないのか」
「いや、それ風間さんには言われたくねえよ。この前B級の眼鏡の子ボコボコにしてたじゃん」
太刀川の言葉を無視して、風間は続いて部屋を出てきたナマエへと向き直る。
「別に無理に相手をしなくていいぞ」
「そんな、無理にだなんて……。こんなチャンス滅多にないので、嬉しいです」
ナマエはいきなり現れたA級三位に恐縮したように首を振りながら、笑顔でそう答える。
「ほら、風間さん。もういいだろ? ナマエちゃん、おいで」
「はい! それでは、失礼します」
軽く手招きをしながら声をかけると、ナマエは風間に丁寧にお辞儀をして、太刀川の後へと続いた。
時間を忘れてこの子との勝負に没頭してしまった。今何時だよ。そう思って時計を見ると、時刻は八時半を過ぎたところだった。
「うわぁ……もうこんな時間かよ。悪い、俺送っていくからな」
「そ、そんな! 大丈夫ですよ!」
「でも親御さん心配するだろ。俺ちゃんと説明するから」
内心焦りながらそう言うと、ナマエはクスリと笑った。
「一人暮らしなので大丈夫ですよ」
「マジ? え、ナマエちゃんいくつなの?」
てっきり出水と同じくらいかと思っていたのだが。出水ではなく自分と同じくらいだったのだろうか。むしろ年上だったらどうしよう。
「十七です。高校二年です」
答えにホッと胸をなでおろすが、いや待てよと逆に不安になった。高校生の女の子が一人暮らしという状況は、あまり一般的ではない。何か複雑な事情があるのだろうか。そんなことを考えていると、ナマエは気まずそうに口を開いた。
「父の再婚相手と上手くいかなくて……。悪い人ではないんですけど」
「そっか……」
太刀川はそれだけ言うと、ナマエの頭をポンポンと撫でた。
「なら一緒に飯食ってこーぜ。俺も一人暮らしだから、家帰っても何もねーし」
「えっ!!!?」
勝負を持ちかけた時と同じくらい驚いた顔でそう言うと、ナマエは目をパチパチと瞬かせた。
「あ、悪い。迷惑だったら――」
「迷惑だなんてそんなこと! う、嬉しいです!!」
頬を染めながら力強く言われて、太刀川はつられて少しだけ赤くなる。この可愛らしい少女から、目が離せなくて、太刀川はチラリと盗み見る。
「わぁ……夢みたい」
小さな声で、心底幸せそうに呟くナマエを見て、太刀川は心の中でため息をついた。
まいった。可愛すぎる。
これが太刀川慶とミョウジナマエの出会いだった。
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