(2話)
あの日から、部活が終わるとなんとなく一緒にコンビニに寄り、あの空き家へと向かうようになった。特に約束しているわけではないのだが、なんとなく自然とそうなっているという感じだ。
一緒に居るといっても、男女の恋愛要素は一切無く、本当に空き家で猫を見て過ごし、帰るだけの関係だ。猫が居なければそのまま解散する。猫を介して繋がっているので、猫仲間と言ってもいいだろう。
そう、俺とミョウジは『猫仲間』だ。
「また一面に千切君の写真が大きく出てたね」
猫の首元をくすぐるように撫でながら、ミョウジが言った。おそらく地元の新聞のことだろう。
「ん? あー、見てない」
そういえば試合後に取材みたいなインタビューをされた気がするが、あまり覚えていなかった。
将来代表選手に選ばれるために名前を売りたいとは思っているが、写真の写り映えなどにはさほど興味がなかった。
「千切君ってサッカーには情熱的なのに、それ以外のことは結構冷めてるよね」
彼女は少し呆れたように笑いながら、猫用のオヤツを一つ取り出した。
「だからみんな遠巻きに見てるだけなんだろうね。せっかくモテるのに」
「別に興味ない。つーかそれを言うならミョウジこそ、この間部活前に告られてたろ」
「……なんで知ってるの?」
「ちょうど見かけた」
「見られてましたか」
彼女はバツが悪そうに肩をすくめてから、気まずそうに笑った。
……嘘は言ってない。ちょうど部活に向かおうと体育館横を通りかかった時に目撃しただけだ。普段なら素通りするところだが、少し困ったような顔で愛想笑いをしている『猫仲間』を見て、絡まれているのかもしれないと思い、一瞬足を止めた。その時偶然会話が聞こえてしまっただけのことだ。
ちなみに、彼女の返答も耳に入ってきてしまったので、告白の返事も実は知っている。
「付き合ってるヤツが居るんだろ? 俺とこうやって二人で居ていいのかよ。修羅場とか勘弁なんだけど」
正直、サッカー以外のことで煩わされたくない。
「大丈夫だよ。私、付き合ってる人居ないし」
しれっとした顔でそんなことを言われ、面食らって彼女を見つめていると、彼女は猫をわしゃわしゃと撫でながら、悪戯っ子のような顔で、んべッと舌を出した。
「一番当たり障りないでしょ? やんわり断っても伝わらないし、かといってハッキリ断って逆恨みされても怖いし」
「……まぁ、そうか」
それはそれで納得できる気がした。遠回しに断ろうと思っても、大抵『友達からでいいから』だの何だのと食い下がられる。正直、こっちにその気が無いのだから友達だろうが何だろうが変わらないと思うのだが、それを伝えたら伝えたで冷たいだの何だの。全く理不尽な話だ。
なら、恋人がいると言った方が諦めもつくだろうし、無駄に悪者にならなくて済むのかもしれない。
……とはいえ、案外強かというか、逞しい一面があることに驚いた。見た感じは穏やかというか大人しそうな雰囲気なのに、気が弱いというわけではないらしい。
彼女の意外な一面を見た気がして、なんだか新鮮だった。
「あ、千切君は? 彼女とか大丈夫?」
「ああ、俺もそういうのは特に無い。つーか、そんな暇あったら練習したいし」
「ならよかった。……まあ、千切豹馬ファンの女の子たちからは睨まれたりはしそうだけど」
少しイタズラっぽい笑みを浮かべながら、彼女はかりんとう饅頭を一口齧った。
あれから時々、彼女は俺の薦めたかりんとう饅頭を買っている。
「千切君はサッカーいつからやってるの?」
「俺? 四歳、かな。本格的にハマったのは六歳くらいだけど」
「へー、そうなんだ。何かキッカケがあったんですか?」
インタビューでマイクを向けるように、手で架空のマイクを作りながらこちらへ向ける。小首を傾げながら、イタズラっぽく見上げられ、不覚にも心臓がドキッと音を立てた。
親しくなってしばらく経つが、彼女は時折こうして無防備な顔を向けてくることがある。
彼女は元々人当たりが良い。教室では男女分け隔てなく仲良くしているし、部活でも上級生に対して臆することなく、かといって媚びることもなく、親しげに接している。
生意気だと言われることが多い自分とは大違いだ。
先日も告白されていたが、外見だけでなくきっとこういうところに惹かれるヤツも多いのだろう。
――っつーか、隙が多いんだよな……。
段々と胸の中にモヤモヤとしたものが広がっていく気がして、誤魔化すように一つ咳払いをした。
「えっと、キッカケ? そうだな……六歳の時にさ、初めて他のヤツをぶち抜いたんだ。そん時の快感が忘れらんなくて、気がついたらずっとサッカーやってたって感じ、かな」
「そっか。じゃあ千切君にとって、運命の出会いってヤツだったんだね。いいね、そういうの」
キミもちゃんと聞いてたー? と猫に話しかけながら、わしゃわしゃと撫でる。猫はどこ吹く風といったように大あくびを一つした。
「そういやミョウジは?」
「私?」
「なんでサッカー部? お前そんなにサッカー詳しくないだろ。元々興味があったってわけじゃないよな?」
なんとなく、サッカーのルールは分かっているが、所謂戦術やセオリーなどには疎いようで、監督が話している時に『ワケ分からん』という顔をしていることがある。
「えへへー、バレてたか。実はサッカー部入るまで、まともにサッカーに関わったことなかったんだよね。ルールくらいは知ってたんだけど」
「やっぱりな。なのになんでマネなんかやろうと思ったわけ? マネって結構ハードだろ」
洗濯やドリンクの用意だけでなくスコアの記録などもやっている。適当な気持ちで片手間にできるような仕事じゃないはずだ。
「……見たい景色があったから」
「国立とかってこと?」
「国立って?」
「マジかよ……えーっとアレだ、野球で言うとこの甲子園みたいなやつ」
「ああ、なるほど。……まあ、そんなとこかな」
若干含みを持たせたような言い方で頷いてから、彼女はそっと視線を逸らした。
「なんだよ。意味深じゃん」
「そんなことないよ」
「もったいつけてないで言えよ。詳しく」
「えー…………内緒」
「は? なんでだよ。言えって」
「だって恥ずかしいんだもん」
本当に恥ずかしいのか、彼女の頬がみるみる林檎色に染まる。両手で顔を隠しながら、指の間から大きな瞳が覗いている。
「ま、無理には聞かねーけどさ。……で? 叶いそ?」
「うん、そうだね。……千切君がいれば」
彼女の瞳が猫のように弓形に細くなった。
――だから……そういうとこなんだって……。
再び煩くなった心臓を落ち着けるべく、大きく息を吐き出す。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
誤魔化すように首を振ると、彼女は不思議そうな顔で首を傾げた。
別に彼女のことを好きだとか、そういうんじゃない。……と、思う。ただ、一緒にいて居心地は良いし、こうして一緒に猫を眺める時間を気に入っている自分が居るのも自覚している。
猫仲間だから。部活仲間だから。クラスメイトだから。
どの関係を挙げてもどこかしっくりこないのは、自分が彼女との別の関係を望んでいるからなんだろうか。
――……いや、ねーだろ。ただの『猫仲間』だっつーの。
なんだか頭の中がゴチャゴチャしてきた気がする。
「ニャー」
見ると、彼女の傍にいた黒猫がこちらを真っ直ぐ見つめている。
吸い込まれそうなくらい澄んだ金色の瞳に見つめられ、急に頭の中がクリアになった。
――いいや。考えんのやめよ。
今考えるべきはサッカーのことだ。恋愛とか恋人とか、今はどうでもいい。まずは全国優勝して、その先を目指す。世界一のストライカーになるために、やるべきことはまだまだたくさんある。
「もうすぐ地区予選だね。自信の程は如何ですか?」
「誰に向かって言ってんだ。俺が全員ぶち抜いてゴール決めてやる」
「千切君がいれば優勝も夢じゃないね」
「優勝なんかで終わるかよ。俺が目指してるのは世界一だ」
「ふふ、カッコいいね。頼りにしてるよ、ストライカー」
そう言って、彼女は手をグーにしてこちらに向けた。同じように握った拳をコツンと合わせると、彼女はニッと口を大きく開けて笑った。
高校入学から約半年。誰よりも得点を上げ、チームは負け無し。面倒な輩は居るが、文句を言わせないだけの結果は残している。
全てが順調だった。
俺はこのまま世界一のストライカーになるのだと、この時は本気でそう信じていたんだ。
Back
Novel
Top