- ナノ -


(嵐の夜 1話)


 夜になり、私はミスラの部屋を訪ねた。


 ドアをノックすると、中から気怠そうなミスラの声が聞こえた。

「ミスラ、入りますよ?」

 断りを入れてからドアを開けると、可愛らしいアイマスクをしたままのミスラがベッドに横たわっていた。片手でそれをずらしこちらを見るミスラは、いつもよりも少しだけ幼く見える。

「……遅いです。どれだけ待たせる気ですか? 危うく寝るところでしたよ」


 ――私の手が無くても眠れるのならそれで十分なのでは……。


 咄嗟にそんな言葉が出そうになるが、グッと呑み込む。ただでさえ自分が不在にしたせいでミスラはここ数日思うように眠れなかったのだ。これ以上彼の機嫌を損ねるような真似はしたくなかった。

「すみません。支度に手間取ってしまって……」
「ほら、早く来てくださいよ」

 ポンポンとベッドの空いているスペースを示すように軽く叩く。まるで幼な子が寝る前のお話をせがむような仕草に、思わず頬が緩む。
 言われたとおりにベッドに腰をかけると、ミスラの眉間に皺が寄った。

「は? 何してるんです?」
「えっ……と……いつものように寝かしつけを……」

 普段ミスラの入眠を手伝う時には、ベッドサイドに腰掛けて彼の手を握り、彼が眠るまでの間付き添うことが多い。いつもと変わらない手順のはずだが、今日のミスラには何かが気に食わなかったらしい。

「あなた、これだけ長い間居なかったくせに、まさか俺が寝たらさっさと部屋に帰る気じゃないでしょうね。途中で目が覚めてしまったらどうしてくれるんです?」
「……分かりました。では、ミスラが寝た後もここに居ます」
「当然ですよ」

 ふん、と口を尖らせながら、ミスラは言った。

「なら早く靴を脱いでくださいよ」
「靴?」
「まさか靴のまま俺のベッドに入る気ですか?」
「えっと……ベッドに入らなきゃダメですか……?」
「当たり前じゃないですか。俺は最高に気持ちよく寝たいんです。あなたを抱いてると落ち着くんですよ」


 ――言い方……。


「ほら、早くしてください」
「……分かりました」

 言われたとおりに靴を脱ぎ、恐る恐るベッドへと入る。今までにもこうして添い寝のようなことをしたことはあるが、昼間の出来事が頭の中でリフレインして、なんだか落ち着かない。ベッドのギリギリ端で縮こまっていると、ミスラの長い腕が伸びてきた。

「うわっ……!」

 ぐっと引き寄せられ、背中越しにミスラの体温を感じた。

「……ん?」

 怪訝そうな声がしたと思ったら、耳元でスンスンと鼻を鳴らす音がした。


 ――また匂いを嗅がれている……。


「いい匂いがしますね」
「あ、分かりますか? ルチルがくれたハーブなんです。ほら、今ミスラが着けているアイマスクにも、ミスラが眠れるようにってハーブが詰めてあるでしょう? 私がミスラを寝かしつける時にも、ミスラがよく眠れるようにってルチルがくれたんです」
「コレをつけたおかげで眠れるってことはないですけど。……まぁこの匂いは嫌いじゃないです」

 そう言いながら、ミスラはゆっくりと息を吐き出した。少し満足そうに深呼吸を繰り返すところを見ると、少しはリラックスできているのだろう。

「あと、お風呂にも入ってきたんですよ。昼間言ってたでしょう? その……オズやフィガロの気配が、って。……今も気になりますか?」
「は? ……ああ。いえ、特に気になりません。どうせ俺の魔力で上書きされるでしょうし」
「上書き?」

 不思議な表現に首を傾げる。移ったり、上書きされたり、ということを考えると、やっぱり魔力は匂いみたいに移るものなのか。なら、寝かしつけた次の朝は、私からミスラの気配が少なからず漂っているんだろうか。

「試してみます?」

 『続き』をするんでしょう? そう言いながら、ミスラが小さく笑う気配がした。

「続きって……?」

 恐る恐る振り返ると、エメラルドの瞳がこちらを見ていた。吸い込まれそうな鮮やかな緑色を見つめていると、ミスラは私の肩を掴んで自分の方へと向け、そのままベッドに縫いつけるように組み敷いた。真上から覗き込まれ、たまらず視線と外す。そんな私の頬に指をかけると、再び正面を向かせた。

 ミスラの整った顔が先ほどよりも近くに見える。ミスラの薄い唇がゆっくりと近づいてきて、私の唇にそっと触れた。思わず目を瞑り、されるがままミスラに任せていると、ゆっくりと離れていった。

 そっと目を開けた先には、先ほどよりも色気を孕んだ瞳でこちらを見つめるミスラの姿があった。

 再び近づいてくるミスラをそっと片手で制すると、ミスラはピタリと動きを止めた。

「……何です? この手」
「これ以上はもう……やめた方がいいんじゃ……」

 できるだけ刺激しないようにゆっくりと言葉を繋ぐと、ミスラはキョトンとした顔をして首を傾げた。

「なぜですか?」
「なぜって……うまく言えないんですけど……流されちゃダメな気がするっていうか……。こ、こういうのは、好きな人としないと……」
「あなた、俺のこと好きですよね?」

 さも当然の如く言い放たれ、一瞬言葉に詰まる。

 薄々自分の気持ちには気付いていたが、できるだけ考えないようにしてきた。考えてはいけないことのような気がしたからだ。

 好きかといえば、間違いなく『好き』だろう。でもそれはミスラだけじゃない。賢者の魔法使いたちのことはみな一人残らず大好きだ。心から大切に想っている。
 だが、全員を同じように思っているかと問われれば、たぶん私にとってミスラだけが違う。


 ミスラはいつだって気まぐれで、気分屋で、何を考えているのか分からないところがあって。でも時々思いついたように私の世話を焼いてくれて、かと思えば面倒だと放り出される。私に珍しいものを見せては子供のように無邪気な顔で笑い、そのままふらりと何処かへ行ってしまう。まるで猫のようだった。
 それに、夜に眠れないと駄々をこねたり、拗ねたり、役立たずだと当たり散らすように罵倒されたりすることもあるけれど、私に危害を加えるようなことは一度だって無かった。

 ミスラは『優しい魔法使い』ではけっしてないけれど、私にとっては恐ろしいだけの存在でもなかった。


 ――ああ、そうか。私は好きなんだ。ミスラのことが。


「……好き……です……」

 自覚したのと同時に、気付けばごく自然にそう口にしていた。

「なら問題ないでしょう?」
「いや、問題は……あるんじゃないかな……」

 私は賢者で、ミスラは賢者の魔法使いだ。個人的にどうこうなるのは、きっと良くない。賢者といっても私自身は大した決定権を持っているわけではないので、ミスラへの気持ちを自覚したところで魔法舎でのミスラの立場が有利になるわけでもないが、なんとなくいけないことをしているような気がして不安になってしまう。
 ……それに、肝心のミスラの気持ちが自分に向けられていないのなら、やはりこの先に進むべきではないだろう。

 煮え切らない私の態度に苛ついたのか、ミスラの眉間にググッと皺が寄った。

「はあ? 好きならいいとあなたが言ったんじゃないですか」
「それは……お互いがっていう意味で……。だって、片方だけが好きでもダメでしょう?」
「片方? あなた俺のこと好きじゃなかったんですか?」
「……だから好きって言ってるじゃ――」

 言いかけて、なにか引っかかるものを感じた。頭の中で今のやりとりを反芻して、ゆっくりと口を開く。

「……ミスラは……私のことが好きなんですか……?」

 恐る恐る問いかけると、ミスラはやれやれといったように肩をすくめながら、軽くため息をついた。

「じゃなきゃ人間風情を寝床に招き入れるわけないでしょう? 俺は北の魔法使いですよ」
「そう……だったんだ……」
「は? 知らなかったんですか? 俺が北の魔法使いだって」
「いえ、そっちじゃなくて……」

 色んなところに連れ出してくれたり、珍しいものを見せてくれたりするのは、ただの気まぐれだと思っていたけれど、そうじゃないんだろうか。
 ひょっとして、ほんの少しくらいは私に対して特別な感情を抱いてくれていたんだろうか。

 私がミスラを想うのと同じように。

 ……いや、ミスラのことだから、好きのレベルは私とは違うかもしれないけれど。


 ――私と鹿のソテー、どちらが好きか聞いたら『肉ですね』とか答えそうだしな……。


 そんなことを考えながら、ぼんやりとミスラの整った顔を見つめる。

「なんです? ジロジロ見て」

 ミスラの言う『好き』がどんな種類のものかは分からない。だが、あの『北のミスラ』からこんなふうに彼と関わることを許してもらった賢者は、きっと居ないだろう。

 私はきっと、ミスラがこの何百年もの間に出会ったどの賢者より、大切にされている。それだけで十分幸せなことだと思った。

「……ミスラが好きだなぁと思って見ていました」

 ほんの少しだけ気恥ずかしさを感じながらそう告げると、ミスラはいつも見せる得意げな顔で笑った。

「そうでしょう? じゃあさっさと俺に脚を開いてくださいよ」
「ミスラ……もう少し言い方ってものがあると思うんですけど……」
「セックスしましょうって言えばいいですか?」
「そういう直接的なのもちょっと……」
「どんな言い方でもやることは同じなんだから同じことでしょう?」
「ムードとか、雰囲気とか、そういうものを大事にしたいんです。……この先に進むのは、私にとって勇気がいることなので」
「あなた以前俺の部屋をムーディーだとか言ってたじゃないですか」
「それは……言いましたけど……」
「なら大体大丈夫じゃないですか?」
「そう……なのかな……?」

 若干流されている自分を自覚しながらも、不思議とさっきまでの不安は無くなっていた。

 ……それに、私はこの先あと何年ミスラと一緒に居られるか分からない。なら、今くらい何も考えずに、心の赴くままに流されてしまってもいいんじゃないか。そんなずるいことを思った。

「では、お手柔らかにお願いします……」
「善処します。加減は苦手なので、確約はできませんが」
「えぇー……」
「ああ、そうだ。多分最中はあなたのことばかり気にかけていられないので、死なないように自分で気をつけてください。死にそうだなと思ったら、ちゃんと言ってください。でないと気付けませんので」
「ミスラ!? やっぱりちょっと考えさせ……」
「ほら、グズグズしないでさっさと服を脱いでくださいよ」


 前言撤回。やっぱりミスラとの夜には、不安しか無さそうだ。
prev next

Back  Novel  Top