- ナノ -


(1話)



「なぁ、そんなもんばっか食うて腹減らんの?」

 後ろの席に座る男が、私の手の中のブロック型のクッキーを指差して、そう言った。

「え……今食べてるし……お腹は空かないです……」
「そうやなくって、ソレ、時間が無い時とかにパパッと食べるやつやろ。食事ちゃうやん」
「……はあ」

 ……なんなんだろうこの人。いきなり話しかけてきたと思ったら、人が食べてるものに対してケチつけてきた。別に私が何食べようがこの人に関係無いし、これ一本で手軽に栄養補給ができるというんだから、身体に悪いわけでもないだろう。
 二年になってから転校してきた私は、正直言ってまだクラスメイトの名前と顔も一致していない。したがって、この後ろの席の灰色髪の男が誰かもわからない。

「もっとこう……握り飯とか食うたら? その方が美味いやろ。美味いもん食った方が元気なるで」
「……別に、そこそこの栄養が取れて、空腹が満たされればいいです」

 だから私に構わずどっか行ってください。そう付け足したいのをグッと堪えて、彼から視線を外した。
 彼はしばらく腑に落ちないという顔をしながらこちらを見下ろしていたようだが、やがて誰かに呼ばれて去っていった。

 彼が『オサム』と呼ばれたのを聞いて、思い出した。そうだ。確かバレー部の有名な双子の片割れだ。『オサム』ってことは、宮治の方か。女の子達がキャアキャア言っているのを聞いた事がある。

 そんな有名人なら、ますます私のことなんか放っておいてほしい。あなたと私は住む世界が違うんだから。



***



 翌日も、彼は後ろから私の席を覗き込んだ。

「あ、またんなもん食うて。おにぎりにせえって言うたやん」

 そう言って、彼は私から『食事』を取り上げた。

「ちょっと、何するの」
「ほれ、こっち食うてみ」

 そう言いながら、私の手におにぎりを一つ乗せた。

「え……」
「騙されたと思っていっぺん食うてみって。絶対こっちのが美味いで」

 掌の上の小さなおにぎりを見つめる。丸みを帯びた三角形に四角い海苔が巻かれている。どこからどう見ても普通のおにぎりのようだが……。

 チラリと目の前の男を見つめる。宮治は笑うでもなく、ただこちらを見つめていた。……きっと、私が食べるまで逃してはくれないだろう。正直言って、面倒で仕方なかったが、これ以上抵抗する方がもっと面倒な気がした。

 小さくため息を吐くと、とりあえずひと口だけそのおにぎりにかじり付いた。次の瞬間、ふわりと梅の香りが口の中に広がる。え、なんだろう。今まで食べた梅干しのおにぎりの味じゃない。酸っぱいだけじゃなくて、なんか……なんだかわからないけど美味しい。内心首を傾げていると、目の前の男がフハッと笑った。

「ほら、美味いやろ」
「……何が入ってるの?」

 不思議に思って問いかけると、宮治はニッと口元を上げた。

「梅干しと、おかか。梅は潰して、おかかと混ぜてあんねん」
「……美味しい。でも、宮君のご飯だったんじゃないの?」
「あと二つあるし、足らんかったら購買で買うわ」

 そう言って、宮君は笑った。

「それ、ちゃんと食べるんやで」

 宮君はそう言って、教室を出ていった。


 残された私はおにぎりと見つめ合う。何かを食べて、美味しいと思ったのは、生まれて初めてだった。

『美味いもん食った方が元気なるで』

 元気になるかはわからないが、とりあえずこのおにぎりは最後まで食べようと思った。



***



 翌日、昼食を買おうといつものコンビニに立ち寄った。

 いつも通りに栄養補給用のクッキーを買おうと思ったはずなのに、何故か私の足はおにぎりの棚へと向かっていた。


 昨日宮君から貰ったおにぎりが忘れられない。

 梅干しが特別好きなわけじゃない。おにぎりを食べたことだってもちろんある。でも、あんな味じゃなかった。もしかしたら、以前食べた時よりも、世の中のおにぎりの味が劇的に飛躍して、ものすごく美味しいものになったのかもしれない。

 ……きっとそんなことはないんだろうけれど。

 そう思いながらも、私は梅のおにぎりを手に取っていた。






「お、今日はちゃんとしたもん食うとるやん」

 先日と同じように後ろから声をかけられ、チラリと振り返った。

「……宮君……」
「ん? どないした?」

 昨日と味が全然違う。そう言おうとして、言葉を呑み込んだ。宮君が、何か特別な理由があって、昨日私におにぎりをくれたわけじゃないことはわかっている。そんなことを言われても、宮君が困るだけだ。

「……なんでもない」
「なんでもないこと無いやろ。そんな顔して」

 言うてみ。そう言って、宮君は小さく笑った。

「……宮君がくれた方が美味しかった」

 小さな声でそう言うと、宮君は一瞬驚いたような顔をしてから、ケラケラと笑った。

「そうか! ほんならまた作ってくるわ」
「……つく……? えっ!? アレ、宮君が作ったの!?」
「ほかに誰が作んねん」
「……お母さん、とか……」
「まぁオカンが作る時もあるけどな。昨日のは俺やで」

 そう言って、宮君がにんまりと笑った。

「つまんなそうに飯食うてる子がおったから、美味いもん食わしてやりたいなぁ思って」

 ニッと笑いながらそんなことを言う宮君の前で、私は馬鹿みたいにぽかんと口を開けることしかできなかった。

 世の中には、優しい人がいる。そんなことさえ、この時の私は知らなかったのだ。



***



 翌日、約束通り宮君は私におにぎりを持ってきてくれた。小さな箱には、この前くれたのよりも一回り小さなおにぎりが二つ入っていた。一つは先日と同じものだったが、もう一つは白いご飯と海苔が見えるだけで、見た目ではわからなかった。

「もう一つの中身は何?」
「さあ、なんやろね? 当ててみ?」
「じゃあ……鮭、かな?」
「お、当りや。なんでわかったん?」
「なんとなく……」

 宮君には言わなかったが、なんとなく宮君は、私が食べやすいように、オーソドックスなものにしてくれたんじゃ無いかと思った。

 昨日食べたコンビニのおにぎりとは違って、宮君のおにぎりはやっぱり美味しかった。

「美味し……」

 思わず呟くと、宮君は満足そうに笑った。

「初めて笑うたな。元気なったやろ?」
「うん。…………あの……」
「ん?」
「……私にも、作れるかな……その……宮君みたいに…………やっぱり難しい……?」

 図々しいかとも思ったが、聞いてみた。もし、私にも作れるなら、作ってみたい。こんなに美味しいものを。
 すると宮君は少し驚いたような顔をしてから、まるで子供のような顔で笑った。

「ほんなら、土曜とかヒマ? 部活夕方で終わりやから、待っとって? その後うちで一緒に作ろうや」
「い、いいの!? 難しくない?」
「おん。ちょちょいのちょいやで」


 目の前の景色が、今まで見ていたはずの見慣れた景色が、一気に華やいで見える。こんな気持ちは初めてだった。
 何かを楽しみに待つということは、こんなに嬉しいことなのだと、私はこの時初めて知った。
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